ほう‐とく【報徳】
ほうとく【宝徳】
ほう‐とく〔ハウ‐〕【芳×牘】
龐悳
ホウトク |
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若くして郡吏や州の従事となった。初平年間(一九〇~一九四)、馬騰に従い、叛乱した羌族・氐族を撃って功績を重ね、次第に昇進して校尉になった。 建安年間(一九六~二二〇)、袁譚・袁尚らは黎陽において太祖(曹操)と対峙する一方、郭援・高幹らに河東郡を攻略させた。太祖は鍾繇に関中諸将を率いて迎撃させることにした。龐悳は馬騰の子馬超に随従し、平陽において郭援らと対峙する。龐悳は先鋒として郭援らを攻撃、これを大破してその手で郭援の首を斬った。 戦いが終わったあと、人々はみな郭援が死んだのに彼の首がないと言った。龐悳が遅れてやって来て鞬(ゆぎ)の中から首一つを出すと、それを見た鍾繇は大声で泣いた。郭援は鍾繇の甥であった。龐悳が鍾繇に謝罪すると、鍾繇は言った。「郭援は我が甥だが国賊である。卿はなぜ謝るのだ?」この功績により中郎将の官を授かり、都亭侯に封ぜられた。 のちに張白騎が弘農で叛逆すると、龐悳はまた馬騰に従って征伐し、両殽の間で張白騎を破った。戦闘のたび、常に敵陣に突入したり敵軍を撃退して、武勇は馬騰軍でも随一であった。 のちに馬騰は朝廷に召されて衛尉となり、龐悳は留まって馬超に属した。太祖が渭南で馬超を破ると、龐悳は馬超に従って漢陽郡に亡命し、冀城を守った。のちにまた馬超に従って漢中に出奔し、張魯に従った。太祖が漢中を平定すると、龐悳は人々とともに降伏した。太祖はもともと彼の驍勇を聞いていたので、立義将軍の官を授け、関門亭侯に封じ、所領三百戸とした。 侯音・衛開らが宛城で叛逆すると、龐悳は配下を率いて、曹仁とともに宛城を攻め落として侯音・衛開を斬り、そのまま南に進んで樊城に屯し、関羽を討伐した。樊城にいた諸将は龐悳の兄が漢中にいたので、彼をすこぶる疑った。龐悳はつねづね言っていた。「我は国恩を受けており、義は死を顕すことにある。我は自ら関羽を撃ちたいと思う。今年中に我が関羽を殺さなければ、関羽が我を殺すだろう」のちに自ら関羽と交戦し、関羽を弓で狙って額に射当てた。そのころ龐悳はいつも白馬に乗っていて、関羽の軍中では彼を白馬将軍と呼んで、みな恐れ憚った。 曹仁は龐悳を樊城の北十里に屯させていたが、ちょうど十日余りも続く長雨となり、漢水は氾濫し、樊城の平地は五・六丈も水没したので、龐悳は諸将とともに堤に登って水を避けた。関羽が船に乗って攻め寄せ、大船で四方から堤の上に矢を降らせた。龐悳は甲冑を身に付けて弓を持ったが、放った矢が当たらぬことはなかった。将軍董衡・部曲将董超らが降服しようとしたので、龐悳は彼らを捕まえて斬り捨てた。 日の出から力戦を尽くして正午を過ぎたが、関羽の攻撃はますます激しくなるばかりだった。(龐悳の手元の)矢が尽き果てたので、刀剣を手にして接近戦をした。龐悳は督将の成何に言った。「吾は聞く。良将は死に怯えて逃げ延びず、烈士は節を損なって生を求めず、と。今日は我の死ぬ日だ」。戦いながらますます憤怒し、気迫はいよいよ壮烈になった。 しかし浸水がひどくなり、軍吏や兵士はみな降服してしまった。龐悳は麾下の将一人、五伯二人とともに弓を引き絞りながら矢の雨をかいくぐり(?)、小船に乗って曹仁の陣営に帰ろうとしたが、水の勢いで船が転覆して弓矢を失った。 転覆した船につかまって一人で水中にいたところ、関羽の捕虜になったが、立ったまま跪こうとしなかった。関羽は言った。「卿の兄は漢中にいる。我は卿を将に取り立てたく思っていたが、なぜ早々に降服しなかったのだね?」、龐悳は関羽を罵って言った。「小僧め、なぜ降服を言うのか!魏王(曹操)には武装兵百万があって、威信を天下に振るわせておられる。汝(おまえ)の劉備は凡才に過ぎぬ。どうして敵うものか!我は国家の鬼となるとも、賊将にはならぬぞ」。とうとう関羽に殺されてしまった。 太祖は聞いて悲しみ、彼のために涙を流した。彼の二人の子を列侯に封じた。 文帝(曹丕)は王位に即くと、龐悳の墓前に使者をやって諡を賜った。「思うに侯は戦いにおいて果毅を明らかにし、困難を踏み越えて功名を成し遂げた。名声は当時に溢れ、義心は往昔よりも高かった。寡人は哀悼し、諡して壮侯とする」。また子の龐会ら四人に関内侯の爵位を賜り、所領をおのおの百戸とした。 【参照】衛開 / 袁尚 / 袁譚 / 郭援 / 関羽 / 侯音 / 高幹 / 鍾繇 / 成何 / 曹仁 / 曹操 / 曹丕 / 張白騎 / 張魯 / 董衡 / 董超 / 馬超 / 馬騰 / 龐会 / 龐柔(龐悳の兄) / 劉備 / 渭南 / 宛県 / 河東郡 / 漢水 / 漢中郡 / 関中 / 豲道県 / 関門亭 / 漢陽郡 / 冀県 / 魏 / 殽山(両殽) / 弘農郡 / 都亭 / 南安郡 / 樊城 / 平陽県 / 黎陽県 / 衛尉 / 王 / 関内侯 / 郡吏 / 校尉 / 従事 / 将軍 / 壮侯 / 中郎将 / 亭侯 / 督将 / 列侯 / 部曲将 / 立義将軍 / 諡 / 羌族 / 五伯 / 氐族 / 白馬将軍 / 部曲 / 鞬 |
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ホウトク!
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『土曜イブニング・ニュース ホウトク!』(どようイブニング・ニュース ホウトク)は、2008年3月29日まで北陸放送(MROテレビ)で土曜夕方に放送されていたローカルニュース番組である。2006年3月までは『MROテレポート6』と『MRO NEWS ON 6』の土曜版が放送されていた18:00 - 18:30に放送されていたが、同年春の改編を機に17:30 - 18:00へ移動した。
TBS2008年春の改編で、同年4月5日から同時間帯で『報道特集NEXT』がスタートするのを受けて番組は終了した。
キャスター
- 上坂典子(北陸放送出身のフリーアナウンサー)
外部リンク
- MROニュース - 当時平日夕方に放送されていた『MROイブニングニュース』の公式サイトで、本番組に関する記述もあった。
ホウトク
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ホウトク本社 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 |
非上場(以下は過去のデータ) |
本社所在地 |
![]() 〒485-8562 愛知県小牧市上末東山3509番地の190 北緯35度17分29.0秒 東経136度58分6.0秒 / 北緯35.291389度 東経136.968333度座標: 北緯35度17分29.0秒 東経136度58分6.0秒 / 北緯35.291389度 東経136.968333度 |
設立 |
1953年(昭和28年)4月17日 (ホウトク金属株式会社) |
業種 | その他製品 |
法人番号 | 3180001076449 |
事業内容 | オフィス用家具、福祉用家具、教育施設用家具、ホテル用家具等の製造・販売 |
代表者 | 代表取締役会長 大山富生 |
資本金 | 1億円 |
発行済株式総数 | 1311万6439株 |
売上高 | 連結:44億62百万円(2009年11月期) |
純資産 | 連結:27億42百万円(2009年11月現在) |
総資産 | 連結:51億76百万円(2009年11月現在) |
従業員数 | 154名(2014年1月1日) |
決算期 | 11月30日 |
主要株主 | アイリスオーヤマ 100% |
主要子会社 |
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関係する人物 | 新開久史(取締役社長) |
外部リンク |
www |
株式会社ホウトク(英: HOUTOKU Co., Ltd.)は、愛知県小牧市に本社を置くアイリスオーヤマグループの家具製造メーカー。主に学校向けの机や椅子の製造・販売を行っており、全国シェアの約20%を占めている。
概要
1953年に、名古屋市熱田区で創業(創業時の社名は「ホウトク金属株式会社」)。主に金属製の家具の製造販売を行っていた。学校用の机と椅子の製造を始めたのは、1961年。その後本社を小牧市に移し、1971年に名前を現在の「株式会社ホウトク」に改名。 2007年1月に、小牧市にある本社兼工場で火災が発生。しかし同年2月初旬には、工場の操業を再開した。
沿革
- 1953年 - 「ホウトク金属株式会社」として創業。
- 1961年 - 学校用の机と椅子の製造開始。
- 1971年 - 社名を「株式会社ホウトク」に変更。
- 1972年 - 名古屋証券取引所2部に株式を上場。
- 2007年
- 1月29日 - 本社兼工場で火災発生。
- 1月30日 - 火災鎮火。
- 2月8日 - 操業再開。
- 2009年2月 - アイリスオーヤマと業務資本提携。
- 2010年 - アイリスオーヤマがTOBを実施、5月28日に成立したと発表。8月にアイリスオーヤマの完全子会社となり、上場廃止。
事業所
CM
- 1960年代から1970年代まで、パンチのある女声が社名を連呼するCMソングを採用、全国でテレビCMを放映していた。また『ホウトクの歌』(作詞岡本淳、作曲市川昭介、歌フォー・コインズ)はさらに古い[1]。
関連項目
- アイリスチトセ - 同じくアイリスオーヤマグループに属し、教育施設向け家具を主力とする。
脚注
- ^ “過去のCMムービー集”. ホウトク. 2007年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年7月13日閲覧。
外部リンク
- 株式会社ホウトク - 公式ウェブサイト
固有名詞の分類
- ホウトク!のページへのリンク