フックとニュートン
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「ロバート・フック」の記事における「フックとニュートン」の解説
当時、天体間に働く引力や斥力を伝えているのはエーテルだと信じられていた。そんな中で1665年の『顕微鏡図譜』でフックは重力による引力の法則を論じている。1666年には王立協会で "On gravity"(重力について)と題して講演をし、移動する物体は何らかの力を受けない限りそのまま直進すること(慣性の法則)と引力は距離が近いほど強くなるという法則を追加した。Dugald Stewart は著書 Elements of the Philosophy of the Human Mindで、フック自身の世界体系についての言葉を引用している。それによると、フックは次の3点を述べている。 全ての天体は重力によってその各部分を中心に引きつけているだけでなく、天体間で相互に引き付けあって運動する。 外部から力が継続的に加わらない限り、天体は単純に直進し続ける。しかし、重力によって天体は円軌道、楕円軌道などの曲線を描く。 この引力は天体同士が近いほど強くなる。距離と引力の強さの関係がどうなっているか、今のところ私にも発見できていない。 1670年の講演では、重力はあらゆる天体に作用すると説明し、重力が距離が離れるに従って小さくなること、重力がなければ物体は直進し続けることを説明している。 1672年、アイザック・ニュートンが光の粒子説を発表すると、フックは光の波動説で応戦。また、論文の内容の大部分は自分が『顕微鏡図譜』で既に発表済みと主張、大きな議論となった。 1674年には "An Attempt to Prove the Motion of the Earth from Observations"(観察から地球の運動を証明する試み)の付録として「世界体系」の若干進化した考え方を公表している。フックは明らかに太陽と惑星の間に相互に引力が働いていると仮定し、距離が近いほど引力が強くなるとしている。 しかし1674年までにフックが重力について逆2乗の法則が成り立つとした記述はない。フックの考えた重力は従来よりも普遍性があったものの、万有引力にまで到達していなかった。また、付随する証拠についても述べていないし、数学的に証明したわけでもない。これらについて1674年にフックは「(重力の)いくつかの度合いについて私はまだ実験的に検証していない」(つまり、重力がどういう法則に従うかをまだ知らない)と述べ、最終的に「先にやらなければならないことがたくさんあって、これに専念できない」としている。 1679年11月、フックはニュートンと頻繁に手紙のやり取りをし始めた。それらの手紙の全文が出版されている。表向きの用件はフックが王立協会の通信(手紙)の管理をすることになったとニュートンに伝えるものだった。そのため、会員からそれぞれの行っている研究について、あるいは他の会員の研究に対する見解について聞きたいという手紙だった。そして、ニュートンへの刺激になればという形で様々な問題についてニュートンの意見を訊ねている。中心となる天体の引力と接線方向への運動から惑星の軌道が構成されること、フックの弾性についての法則、当時パリで生まれた新たな惑星の運動に関する仮説(フックはその解説にかなりの文を連ねている)、国勢調査を実行・改良する努力について、ロンドンとケンブリッジの緯度の差について、などである。ニュートンは地球の動きを検出する実験として、空中に物体を浮かせて落下させる実験を提案した。重要な点はニュートンが落下物体が垂線から逸れることで地球の動きを検出できると考えた点で、もし地面がなければ物体が螺旋軌道を描いて中心に落下していくと考察している。フックはその考察には同意しなかった。その後も手紙のやりとりが続き、フックが1月6日付けの手紙で、引力はそれぞれの物体の中心間の距離の2乗に比例し、速度は引力の平方根に比例するから、ケプラーが想定したように速度は距離に比例することになると結論付けている。この速度に関するフックの推論は実際には間違っている。 1686年、ニュートンの『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』が王立協会に提出されたとき、重力が距離の2乗に反比例するという見解は自分がニュートンに伝えたのだと主張した。エドモンド・ハレーの同時代の記録によれば、フックはそれによって曲線軌道が描かれるという点はニュートン独自の説だと認めていた。 最近の研究で、重力が距離の2乗に反比例するという仮説は1660年代末までには広く知られており、様々な人々が様々な理由でそれを発展させていたことがわかっている。ニュートン自身も1660年代に惑星が円軌道だと仮定したとき、中心方向へ引っ張られる力は中心との距離と逆2乗の関係にあることを示した。1686年5月にフックが逆2乗の法則を自分のものだと主張したとき、ニュートンはその反論として他者のフック以前の業績を示した。さらにニュートンはフックから最初に逆2乗の法則について聞いたのがもし事実だとしても、それを数学的に定式化したのは自分であり、フックは単に観察から大まかに推論したに過ぎないと主張した。 一方でニュートンは『プリンキピア』の全ての版でフックや他の先人(レン、ハレーなど)への敬意を表している。ニュートンはまたフックとハレーが1679年から1680年に交わした書簡が天体の運動に対する興味を持たせてくれたとしているが、それはフックがニュートンに何か新しい知識を授けたという意味ではないとしている。 ニュートンは数学と光学の発展に大いに貢献した先駆者だったが、一方でフックは創造的実験家であり、あまりにも広範囲に手をつけたため、重力などの研究に専念できなかったとしても驚くべきことではない。両者の死後数十年後の1759年、アレクシス・クレローはフックの重力に関する著作を読んで「一見して得られた真理と証明された真理には大きな隔たりがあることを示している」とし、「フックのアイデアがニュートンの偉大さを減じることはない」とした。
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