光の本性に関する研究の歴史とは? わかりやすく解説

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光の本性に関する研究の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 07:04 UTC 版)

エーテル (物理)」の記事における「光の本性に関する研究の歴史」の解説

18世紀までの光の本性研究 空間何らかの物質充満しているという考え古くからあったものの、近代物理学においては17世紀ルネ・デカルトに始まる。 デカルトは、すべての空間には連続いくらでも細かく分割できる微細物質つまっており、あらゆる物理現象はその中に生じる渦運動として説明できる考えた渦動説)。カルテジアン(cartésien,デカルト主義者)と呼ばれる学派そのようなデカルト考えに基づく学派で、17世紀から18世紀にかけてのフランスで学界主流占めたデカルトによれば、光とはその宇宙満ちている微細物質中の縦波のような圧力である。ロバート・フックはこの考え方受け継ぎデカルト宇宙満ちている微細物質エーテルaether, ether)と呼び、光とはエーテルの中を伝わる振動であるとした。また、フック考察光の速さ有限性結果刺激受けたホイヘンスは、素元波概念ホイヘンスの原理導入することで光の波動説基礎作り上げた当初実験物理学者として望遠鏡の製作が評価されていたアイザック・ニュートンは、当時望遠鏡欠陥であるレンズ色収差問題解決するため光学研究行っており、1672年に『光と色の新理論』(New theory about light and colours)という論文の中でその結果報告したしかしながらその中で展開された色の理論が、当時主流デカルトフック立場反するものであったことから、以降フックとニュートンの間に長い論争交わされることとなったフック光の波動説をとっており、ニュートン1704年光学』(Opticks)という著書の中で光を微粒子放射仮定してたように強く主張してはいなかったものの光の粒子説とっていたため、この論争光の波動説光の粒子説近代における最初対立みなされることが多い。 以降ニュートン権威手伝って18世紀においては光の粒子説受け入れられレオンハルト・オイラー除いては光の本性について議論されなくなった19世紀における光の本性研究 19世紀物理学者ヤングフレネルは光は波動であると考えた。彼らは、光が横波であると考えるなら、波の振動向きによって偏光考えることができ、複屈折説明することができると指摘した。さらに、回折について様々な実験を行うことにより、ニュートン粒子モデル否定したコーシーは、エーテルが普通の物質引きずられる考えたが、そうすると今度光行差説明することができなくなってしまう。コーシーは、また、エーテル中に縦波発生しないということから、エーテル圧縮率は負であると考えたグリーンは、このような流体安定存在し得ない指摘した一方ストークス引きずり仮説支持した。彼は、個々エーテル粒子高周波振動しつつも全体として滑かに動くようなモデル構築した。このモデルにより、エーテル同士強く相互作用し、故に光を伝え、かつ、普通の物質とは相互作用しないという性質説明された。 後年マクスウェルの方程式から電磁波存在予想され、さらにヘルツ電磁波送受信が可能であることを実験的に示したマクスウェルの方程式によれば電磁波伝播する速さcは誘電率εおよび透磁率μとの間に c 2 = 1 ε μ {\displaystyle c^{2}={\frac {1}{\varepsilon \mu }}} の関係があり、この速さは、実験的に知られていた光の速さ一致した。この事実から、光は電磁波一種であると推定された。しかし、ニュートン力学においての基準座標系同士の関係(ガリレイ変換)を前提とすると、光の速さは、その光と同じ方向に進む観測者からは遅く、逆方向に進む観測者からは速く見えるはずである。従って、上式のような関係は一般に成立できない(どの基準座標系でも成立するわけではない)と考えられた。そこで、エーテル運動基準とした絶対座標系が存在し、その座標系でのみマクスウェルの方程式厳密に成立する推定された 注。マクスウェルフィッツジェラルドらは、このようなエーテルモデル提唱した。 しかし、これらのモデルでは、エーテルが持つ機械的性質は、実に奇妙なものにならざるを得なかった。すなわち、空間充満していることから流体なければならないが、高周波の光を伝えるためには、鋼よりもはるかに硬くなければならない。さらに、天体の運動影響与えないという事実から、質量粘性のはずである。さらに、エーテル自体は透明で非圧縮性かつ極めて連続的なければならない

※この「光の本性に関する研究の歴史」の解説は、「エーテル (物理)」の解説の一部です。
「光の本性に関する研究の歴史」を含む「エーテル (物理)」の記事については、「エーテル (物理)」の概要を参照ください。

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