パクリ問題
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B'zを論評する時に、避けて通れないのが「パクリ」であるといわれている。『マルコポーロ』94年10月号では、8曲を例に挙げて「パクリのオンパレード」と評しており、『音楽誌が書かないJポップ批評14』では、メロディ、リフ、アレンジなどのテーマごとに、計38曲の元ネタを明かしているとしている。2枚のベストアルバムの記録的大ヒットを受けて、朝日新聞で特集された際にも、「洋楽のパクリというのはよく言われていること」と紹介されていた。 音楽ライターの夏至明および別冊宝島編集部が「B'zはファン以外からはどうみられているか」を調査した結果によると、ロックや音楽に通じている層からは「パクリ・ネタが露骨すぎ」、「ビーイングという出自から来る商業主義の匂いへの嫌悪」と見られているとしている。 また、大滝詠一や奥田民生など他のアーティストなら「リスペクト」や「オマージュ」として好意的に解釈されるのに、なぜB'zだけが叩かれるのか、という点について、様々な分析がされており、元ネタへの愛情と知識の蓄積量、元ネタを商品の「タネ」としかみなしていない創作姿勢の差であるという意見、元ネタであるハードロックに対する評価がそのままパクリの質として評価されているという意見、「パクリ」という行為から読み取れる思想がないという意見、B'zのメーンリスナー層と元ネタであるハードロックが共有されないことで、「共犯関係」を築けないためであるという意見などがある。 この問題についての作曲者である松本の発言として、夏至明は以下のインタビューを引用している。 松本 「よくいるでしょ。この曲のここはツェッペリンだな、とかいう人。それをまるですごいことでも発見したようにいう人、いるじゃない(笑)。僕らはそういう次元ではやってないんだよね。あくまでも楽しんでやっていることだから」 - 「遊び心があるわけですよね」 松本 「たとえば、B'zの曲の中に「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のフレーズを入れちゃおうか、とかね」 - 「でも、必ず“あれパクリだぜ”とかいうヤツがいるでしょ(笑)」 松本 「いるよ(笑)。ピントがずれてるよね。ロック好きなヤツがバンドやって、そうならない方が不思議だよ。遊ぶ側のセンスだし、聞く人のセンスの問題だと思うけど」 夏至明はこの問題について、B'zだけの問題ではなく西洋のロックを範とするJ-POPに構造的に内包されているものであるとし、1999年の『音楽誌が書かないJポップ批評3』にて、B'zを「全肯定」する論陣を張った。ただし2007年には、この「全肯定」が「永遠の翼」にみられるような保守回帰傾向に荷担してしまったかもしれない、という反省と後悔をしている。
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パクリ問題
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「香港における日本カバー曲」の記事における「パクリ問題」の解説
香港ではカバー曲は広く聴衆に受け入れたが、日本ではパクリとして批判され、カバー曲は他人の創作を盗用と同じように扱われているのだ。 日本は早くも版権に関心を持ち始め、創作への純正の要求がきっかけだと考えられる。福沢諭吉は19世紀末西洋から版権の概念を導入した。ほぼ同時、外国で国際版権法を勉強していた水野錬太郎は1899年に起草した著作権法が日本の版権意識を上げた。1930年代にてプラーゲ旋風により大日本音楽著作権協会が設立した。長い間の版権争議は外来音楽を強く意識された。和製や外来の分別は根強くなっていた。 1980年代に台頭した(Neo-nationalism)により、カバー曲をはじめ、純日本製以外の曲は区別され批判された。単なる法律の問題ではないと明らかにした。カバー曲はライセンスの有無に問わず、すべてパクリ盗用として見られていたのだ。洋楽のメロディーを使うのは外国の文化、特に米国帝国主義を受け入れることと見られていた。日本の経済が高度成長と共に、敗戦以来アメリカに依頼し続けたが反発し、自主性を主張している時期だと思われる。そのため、音楽も日本のオリジナリティが要求されていた。 一方、香港ではオリジナリティを重視しないわけではなく、日本と違う見解が持っているだけなのだ。広東エリアに古来から広東オペラの芸術形式が存在していた。広東オペラは演劇や歌唱部分が交替演出する歌劇である。創作の自由度が高く、外来の素材を積極的採用している。上海の時代曲、洋楽からクラシックまで、メロディーが広東オペラで広く使われていたのだ。既存のメロディーに新詞を加えることは「完全」な創作だと認められている。 メロディーや歌詞が全て新しいこそがオリジナル、という西洋概念に対して、中国では詞曲との新発想が重視する傾向がある。原作の特徴、もしく歴史意義を活用するのも創作の一種だと認められている。つまり、中国がオリジナリティを重視しないわけではなく、西洋と別視点をとるだけである。既にある曲を利用し、新たな形に与えるのも創作であるというわけだ。
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