ニューエコノミー: 1990年代-2007年
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「アメリカ合衆国の経済史」の記事における「ニューエコノミー: 1990年代-2007年」の解説
詳細は「ニューエコノミー」および「アラン・グリーンスパン」を参照 1990年代、国債は75%増加し、名目GDPは69%増え、株式市場はスタンダード・アンド・プアーズ総合500種株価指数で3倍以上に成長した。 1994年から2000年まで実質GDPは増加し、インフレは適度に抑えられ、失業率は5%以下に落ち、ドットコム景気と呼ばれる株式市場の活性化に繋がった。1990年代後半は宣伝の行き届いたハイテクとドットコム会社の株式新規公開で特徴付けられる。しかし、2000年までに株式評価の明らかなバブルが起こり、2000年3月からは市場が1990年代の成長の50%から75%にまで落ち込んだ。経済は2001年に入っても悪化し、実質GDP成長率はわずか0.7%増に留まり、失業率や企業破綻は確実に増加し、また不況の引き金を引いたのはしばしば2001年アメリカ同時多発テロ事件だと言われている。 2001年から2007年まで、アメリカ合衆国中で過熱した住宅市場によって、アメリカ経済の強さに関する安全性に偽りの神話が作られた。この住宅ブームとバブルについてその責の幾らかはクリントン政権によるものと主張する者が多い。ニューヨーク・タイムズはクリントン政権が1990年代後半にサブプライム融資を強く推進したことに関して、「住宅抵当権で国内最大の引受け機関であるファニー・メイ(アメリカ政府支援の住宅投資機関)がクリントン政権からの高まる圧力の下に収入が中下層の人々に抵当権付貸付を拡大してきた」という記事を載せた。 1995年、クリントンはカーターによる1977年の地域社会再投資法を変更し、赤線引き(特定地域の住民には融資しないなどの投資差別)を規制し強化した。これは長年65%程度に留まっていた持ち家率を上げるためになされたと多くの者から受け取られた。その結果は財政制度によってよりリスクの大きい貸付に大きな投資を促すことになった。1993年から1998年の305の都市における貸付傾向に関する2000年の財務省調査では、地域社会再投資法による貸主から4670億ドルの抵当権付貸付が中下層収入者やその周辺に注ぎ込まれたことを示していた。 さらにビル・クリントンの下でホワイトハウスは重要な規制を外しもした。ワシントン・ポストは次のように書いていた。 連邦議会はファニー・メイやフレッディ・マックが抵当権付貸付を買い上げる資金を自由化し、その2者が他の金融制度よりも遥かに小さな自己資金率を維持することを具体化することも望んだ。100ドルを持っている銀行が90ドルの抵当権付貸付を買えるのに対し、ファニー・メイとフレッディ・マックは97.50ドルを遣うことができた。最終的に連邦議会は、それら会社がリスクの高い証券に投資するならば、損失に備える緩衝としてより多くの資本を維持するように命令した。「しかし、その冬に提出されたこの規則はクリントン政権の間に成立することはなく、9年後にやっと成立した。」 1999年、グラム・リーチ・ブライリー法が制定された。同法が一部撤廃したグラス・スティーガル法は去る暗黒の木曜日をきっかけに生まれた。金融会社の一部にあった多くの不法行為がそこで暴かれ、同法が利潤と不正行為の紛争を防止するために商業銀行と投資銀行の財務制度をその事業に応じて分離することになった(銀証分離)。しかし今度制定されたグラム・リーチ・ブライリー法は、実質的に銀行の自由な領域を増やし、銀証分離を撤廃した。これをワシントン・ポストは次のように書いた。 ファニー・メイとフレッディ・マックは紙幣を印刷する免許を得たに近い状態となった。この2社は政府が返済を保証するという概念を元に市場利率よりも低い利率で金を借り、市場利率で返済する抵当権付貸付をその金で購入した。 ビル・クリントンがホワイトハウスに居た間に強制された投資とグラス・スティーガル法の撤廃はサブプライム融資の幾何級数的な成長に大きく影響し、2007年から2008年の金融危機の伏線となったと主張する者が多い。 左のグラフを見ると個人消費がGDPへ過剰に貢献していることが分かる。しかし大衆の所得が消費をまかなったわけではない。1980年代から米経済は機関化して、合併等による企業再編を数え切れないほど経験していたが、そこで社会保障をふくめた労働単価は全体的かつ大胆に抑えられた。消費を給与でまかなうことができない人々は、シャドー・バンキング・システムを通して融資を受けた。住宅価格の上昇がもたらした資産効果で住宅ローンが組まれた。証券化により名目GDP対比率でマイナスになるまで貯蓄は減少した。
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