ニジェール川水界とは? わかりやすく解説

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ニジェール川水界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 22:06 UTC 版)

アフリカ史」の記事における「ニジェール川水界」の解説

ニジェール川ギニアにある山地から流れ出てニジェール盆地大きく湾曲してギニア湾へ注ぐ。金の産地があり、肥沃な大地古くから遠距離交易が行われ、巨大な王国勃興した地域となった。この地域では紀元前3000年から2000年の間に植物の栽培が行われるようになった見られており、ヤムイモアブラヤシコーヒーなどが作られていた。それらの栽培農業生産開始されることによって住民定住が可能となった紀元前5世紀から2世紀にかけて、ナイジェリア中央部にあるジョス高原において土偶知られる初期鉄器文化であるノク文化繁栄したタルガ(Taruga)とサムン・ドゥキヤ(Sumun Dukiya)の調査で、ノク時代のものである居住層が確認され放射性炭素年代測定によって年代確定したノク文化集落遺跡は、山頂のような場所で確認されることが多く地表面あちらこちら長さ数百m以上に及ぶ花崗岩などを用いた集落防御するための囲壁と思われる遺構確認されている。このような遺構ノク文化においてすでに大規模な協同作業が行われていたことを示している。 また、タルガやサムン・ドゥキヤのノク文化居住層からは、土偶土器のほかにノク人が生産行っていたことを示す溶鉱炉跡の遺構検出された。炉は、農具や矢と槍先着け刃物尖頭器腕輪製作していたと思われる。このことは、農作業によって必須となる鉄製道具製作する職人たちが力を持つようになったことを示しノク文化の諸遺跡のほかには、ニジェールのド・デミなどで利用確認されている。少なくとも紀元前5世紀には西アフリカでは鉄製道具使用していたことがわかっており、アフリカ全体でも生産始まった他地域並行する最古時期属することが判明している。また、ノクテラコッタは、後のイフェベニン青銅彫刻イフェ並行してナイジェリア国内ギニア湾岸に興ったエシエの石彫中南部アフリカバンツー文化彫刻にまで影響与えた考えられ考古学美術史注目されている9世紀頃になると、ナイジェリア南東部ニジェール川三角州付け根付近にあたるイボ=ウクゥにおいて青銅器製品多量に伴うすばらし王墓造られた。10世紀15世紀頃には、青銅製などのすばらし彫刻知られるイフェ王国と、ソープストーンの塑像知られるエシエ文化栄えた密林によって外部文化から阻まれ南部異なり北部ではキャラバン交易通じ北アフリカから物資文化伝播があり、イスラム教受容した。チャド湖周辺には12世紀から13世紀ごろアフリカキャラバン交易路利益軍事力カネム・ボルヌ帝国全盛迎えた。この王家19世紀まで続いた。この地域における最古王国とされるのが8世紀アラビア史料に既にその存在記されているガーナ王国で、地理学者アル・ヤクービーによって「ガーナという黄金の国の王は強力で、彼の権力元に多くの王が属している」と述べている。ガーナ王国首都モーリタニアマリ国境付近考えられており、そのクンビ=サレー英語版遺跡規模からは1万人から2万人の住民居住していたと思われるガーナ王国交易通してイスラム教の影響強く受けるようになり、11世紀末にはほぼ王国全土浸透したとされる13世紀中盤に入るとマリ王国マンディンカ族によって作られた。こちらも早い段階からイスラム教受け入れており、伝統的に王はアル・ムスルマーニと呼称されていた。1353年にこの地を訪れたイブン・バットゥータマリ王国様子について「王は絹布がしかれ、黄金の鳥が象られた日除け設置され宮殿中庭謁見する。王の後には300人の武装した奴隷達が傅き玉座に着くと太鼓角笛鳴り響く」などと記述されている。マリ王国16世紀末にトゥアレグなどの北方民族侵略を受け、17世紀ごろには滅亡していった。 ソンガイ王国は、ニジェール川東岸漁猟牧畜などで生計をたてていたソンガイ族11世紀後半建国したもので、長らくマリ王国支配下にあった15世紀前半のスンニ・マダウの時代マリ帝国首都ニアニ攻撃して大勝利をおさめ、24奴隷部族奪った1464年ソンニ・アリスンニ・アリー)の治世次代アスキア・ムハンマド1世治世一気勢力拡大させ、西スーダンのほぼ全域支配する空前版図築いた。その都市のひとつトンブクトゥーには北アフリカから多く宗教指導者学者招かれ学問の都市として名が知られるようになっている。しかし、16世紀にはいって岩塩鉱山採掘権巡りモロッコとの紛争長引いて16世紀末、王位継承争い国土あれはて鉄砲隊をもつ精強モロッコ軍直接攻撃受けて滅亡した。 これらの3国はその版図広さから、しばしば「帝国」と冠され呼称される場合もある。 ニジェール川中流域では、10世紀ごろから城壁囲まれ都市中心とした小国家が複数成立しハウサ諸王国呼ばれた初期それぞれソンガイ王国支配下にあったが、ソンガイ王国滅亡後それぞれ独自に活動をはじめることになる。 一方14世紀ナイジェリア南部興ったベニン王国は、交易のみならず15世紀末に来航したポルトガル人から銃を取り入れ軍事力王権強化し18世紀になるまで繁栄誇ったイフェ彫刻とともに青銅製や象牙製の彫刻の雄品で知られ、後にヨーロッパ紹介されると、20世紀美術多大な影響与えることになり、美術史上も非常に注目されている地域である。

※この「ニジェール川水界」の解説は、「アフリカ史」の解説の一部です。
「ニジェール川水界」を含む「アフリカ史」の記事については、「アフリカ史」の概要を参照ください。

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