トイレットペーパーの社会学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:59 UTC 版)
「トイレットペーパーの向き」の記事における「トイレットペーパーの社会学」の解説
「Bathroom Politics : Introducing Students to Sociological Thinking from the Bottom Up」と題した論文で、イースタン・インスティチュート・オブ・テクノロジーの教授エドガー・アラン・バーンズ(社会学)は、トイレットペーパーのポリティクスがなぜ考察に値するのかを論じている。それによると、バーンズは、自身が受け持つ社会学の入門講座の初日には学生にこう尋ねることにしているという。「トイレットペーパーはどちらの向きでかけるべきだと思う?」。そして続く50分間で、学生たちはなぜ自分たちがそう答えたのかを問い直しながら「それ以前にはまったく意識的に考えたことのなかった規律と習慣」の社会的構成を探るのである。そこから学生たちはジェンダーの役割や公的、私的な空間の意味、人種や民族性、社会階層、年齢といったより大きな社会学の諸テーマとのつながりを見つけていくのである。そしてこの授業の意味はそれだけではない、とバーンズはいう。 社会学者が関心を持つのは、瑣末であったり自明のことをもっともらしくみせているだけだと思われがちな領域である。したがって、トイレットペーパーのかけ方という練習問題を通じて明らかになる学理的なポイントは、小規模な日常は社会学の扱うビッグピクチャーの対極にあるということではなく、日常から離れてビッグピクチャーがどこか「向こう岸」に存在するということはありえないということなのだ。細かな項目や「常識とみなされている」規則、信念「こそが」社会に埋め込まれた大きな物語なのであり、物語を強固にしている当のものなのである。 バーンズの手法はノートルダム大学の社会心理学コースでも採用されており、バーガーとルックマンの古典ともいうべき著書「The Social Construction of Reality」(1966年)の基本原則を示すために用いられている。やはり日常的なトピックである三目並べやパーソナルスペース、歩き方、公衆トイレを使う男性のエチケットなどをもとに「社会学的想像力」(ミルズ)を呼び起こすのである。 ミシガン大学心理学部教授クリストファー・パタースンは、トイレットペーパーの向きが人の「趣味、嗜好、利害」の影響下にあり、価値観や「態度、気質、規範、要求」によって決まるのではないと説いている。贔屓するコーラの銘柄やプロ野球チームなどもやはり個人的な利害(interest)によって決まるというが、パタースンによればこの「利害」はアイデンティティーと密接な関係にある。様々な人が多様な利害を持ち、それがその人の「独自性」につながるという考え方はたいへん好まれるし、またそうであってほしいと思われている。一方で利害が食い違うことによって起こることといえば、恥をかいたりやんわりとたしなめられる程度であり、ほとんどの場合、価値観の衝突から生じるような深刻な対立を生むようなことはない。例外があるとすれば、パタースンがいうところの「ちゃんとしなさい人間('get a life' folks)」が、利害をモラルの領域にまで引き上げるときだろう。 ウィスコンシン大学マディソン校の心理学部教授モートン・アン・ゲルンスバハーは、このトイレットペーパーの向きを、食洗機に入れるカトラリーの向きや、どの引き出しに靴下を入れるか、シャワー中にシャンプーと石けんのどちらを先にするかといった問題と比較している。いずれの選択肢においても、マジョリティによるいわば模範回答があるため、なぜマイノリティはもう一方を選んだのかというごく単純な見取り図で問いが立てられがちであるという。さらにゲルンスバハーは神経画像解析にも注意を促している。この手法は2007年ごろに実験に採用されるようになったもので、心的転回と顔の表情から買い物や「くすぐり」まで行動を分析するのだが、彼女によればこの実験は文化的なバイアスやステレオタイプを素通りしてしまう。 バートランド・ケスヴェット(Bertrand Cesvet)は「Conversational Capital」の中で、このトイレットペーパーの問題を儀式化された行動の例とみなしている。デザイナーやマーケッターはこういった手法を通じて商品を中心に忘れられない体験をつくりだす。そしてこの体験が例えば「口コミ」の動きにつながるのである。この本では菓子のチクタクの箱を振ったり、オレオのクッキーを分解したりという行動を例に挙げられている。 実際にトイレットペーパーは「話のタネ」となることがある。ジョン・ハイアットはしばしばコンサートのMCで妻の好みが変わるという話をしているし 、トイレットペーパーの向きの話で一時間使った事もあるジム・ボハノンも、こういった問題こそトークラジオには向いていると語っている。「対話型メディアなので、ある種の衝突はついてまわります。攻撃的な衝突でなくともよいのですが、少なくとも意見の相違があることは大前提です。そういうものは間違いなく広く関心を集めているものですから」。 一方でテレビというメディアではこの問題に言及すること自体が難しくなる。アメリカのメジャー放送局であるNBCとCBSでは、1987年の時点でトイレの脇に架けたトイレットペーパーを撮影してはならないことになっていた 。1970年代のシットコム「オール・イン・ザ・ファミリー」が初めてトイレットペーパーをめぐる議論の一部を放送しており、アーチー・バンカーが紙を「裏側にして」吊せと叫ぶ場面がそれにあたる。「シンプソンズ」にもこのテーマが登場する。1995年のエピソードでは、子どもたちがチャイルド・プロテクション・サービスに保護されてしまい、マージ・シンプソンは自分の家が「汚らしいゴミ溜め」とCPSに認定される。それはトイレットペーパーが「正しくない、上からまわすやり方でかけられていた」からである。
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