サンフランシスコのレザーコミュニティの歴史
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「フォルサム・ストリート・フェア」の記事における「サンフランシスコのレザーコミュニティの歴史」の解説
1938年、サンフランシスコ初のレザーバーの原型となる、セイラー・ボーイ・タバーンがエンバーカデロYMCA近くに開店する。この店は、米海軍所属の水兵相手に、同性同士の出会いを求める場を提供していた。 1960年代半ばから、フォルサムストリートはサンフランシスコにおけるメンズレザーコミュニティの中心地でありつづけている。この地を含むサウス・オブ・マーケット界隈が中心となる前は、エンバーカデロとテンダーロインにレザーフレンドリーなバーが存在した。サウス・オブ・マーケット初のレザーバーは、1961年に4番街339番に開店し、1971年に閉業した"The Tool Box"である。このバーが有名になったのは、1964年6月の『ライフ』誌に載った、全国的な出版物で初めてゲイの問題を取り上げたポール・ウェルチ(Paul Welch)による記事、「アメリカにおける同性愛」がきっかけであった。男性同性愛者は女々しいという神話を払拭するために長い間活動していたハル・コール(Hal Call)の紹介により、ライフ誌の写真家がThe Tool Box を訪れた。記事は、チャック・アーネット(英語版)(Chuck Arnett)によって描かれたバーの等身大のレザーマンの壁画の見開き2ページから始まる構成であった。また、この記事はサンフランシスコを「アメリカのゲイの首都」と表現し、多くのレザー愛好家のゲイがそこに移住するきっかけを作った。 フォルサムストリート最初のレザーバーは、1966年7月25日に11番街とフォルサムストリートの南西角地に開店したFebe'sである。同じく1966年にフォルサムストリート1535番に開店したThe Stud(英語版)はゲイ・レザーバーとして、またヘルズ・エンジェルスの溜まり場としても機能していた。が、1969年には、店内にチャック・アーネット(英語版)の手によるサイケデリックアートの壁画をそなえたナイトクラブとして、レザー・シーンの周縁部にいたヒッピー向けに営業しはじめた(この店は1987年にハリソンストリート9番街399番に移転)。1967年、Febe'sの店内で、初のバー内レザーストアであるア・テイスト・オブ・レザー(A Taste of Leather)がニック・オデムスによって営業開始。2009年末、この店はバーとしての43年の歴史に終止符を打つことをアナウンスした。 1971年、ハンカチーフ・コード(英語版)、あるいはバンダナ・コードとも呼ばれる、ペイズリー柄のバンダナの色で性的嗜好を伝える符号がレザーファンによって使われ始める[要出典]。また、彼らの多くは、この頃までにはエンバーカデロYMCAに通っていた。このYMCAでは、女性にも入会が許可されるようになった1975年までは、ジムシューズとジョックストラップのみで行うウエイトトレーニングと全裸水泳がどちらも認められていた。ここでトレーニングをしていたレザーファン達は、街を訪れる水兵と知り合える機会を利用して、隣接するYMCAのホテルに一室で夜を共に過ごすことがあった。 1970年代後半までには、フォルサム・ストリートのミラクル・マイルと呼ばれる通りには30近くのレザーバー、クラブ、商店が軒を連ね、そのほとんどが徒歩圏内にあった。これらの店には、営業開始年代に並べると以下のようなものがあった。 フォルサム・ストリート・フェアの前身は、CMCカーニバル(カルフォルニア・モーターサイクル・クラブ・カーニバル)というゲイ・レザー・BDSM・ダンスイベント(DJとロックバンドが出演した)でありフェアだった。レザー作家の展示ブースやカジュアルセックス用のバックルームも設けられていた。1966年から1986年まで、毎年11月の第2日曜日に開催され、サウス・オブ・マーケット地区(英語版)(SoMa)のエンバーカデロ地区、フリーモント・ストリート350番地にあるシーフェラーズ・インターナショナル・ユニオン・ホール(略してシーマンズ・ホールと呼ばれる)をはじめとする様々な屋内会場で開催されていた。1970年代初頭のCMCカーニバルの参加者は数百人程度だったが、1982年にテンダーロインのジョーンズ・アンド・タークのイエローキャブビル(当時)で最後の大規模なCMCカーニバルが開催されたときには4,000人以上が参加していた。 CMCカーニバルは、レザー・モーターサイクル・クラブの一つであるカリフォルニア・モーターサイクル・クラブが、他のゲイのモーターサイクルクラブの助けを借りて企画したものだった。これらのゲイ・モーターサイクル・クラブのメンバー達は、主にハーレー・ダビッドソンのオートバイに乗り、週末に定期的に集まっては、シエラネバダのピクニック場までオートバイで出かけたりしていた。アメリカで最初のゲイ・モーターサイクル・クラブは、1954年にロサンゼルスで設立されたセイターズ(Satyrs)であった。サンフランシスコで最初のゲイ・モーターサイクル・クラブは、1960年に設立されたウォーロックズ(Warlocks)で、同年後半にはカリフォルニア・モーターサイクル・クラブも設立された。1960年代中盤に、サンフランシスコのSoMaはすでにゲイ・モーターサイクル・クラブ・シーンの中心となっており、バーバリ・コースターズ(1966年創立)やコンスタンティンズやザ・チーターズ(どちらも1967年創立)のようなモーターサイクルクラブにとっての本拠地となっていた 1960年代から70年代にかけてのレザー愛好家たちは、実際にオートバイを所持し、できればそれがハーレーダビッドソンでなければその人間を真のレザー愛好家とみなさなかった。。 これらのゲイ・モーターサイクル・クラブはまた、様々なレザー・バーでチャリティーのための多くのイベントを開催していた。1970年代から1980年代初頭にかけては、ミラクル・マイルと呼ばれたフォルサム・ストリートのあちこちでこれらのクラブのメンバーが所有する何台ものオートバイが駐車されているのを見ることができた。このようなモーターサイクルクラブの会員数は、1982年に始まったエイズ危機によって大きく数を減じた。 「エイズ」も参照 1979年、新たに結成された、サンフランシスコのレズビアンモーターサイクルクラブ「Dykes on Bikes(英語版)」が、当時「サンフランシスコ・ゲイ・フリーダム・デイ・パレード」と呼ばれていたパレードを初めて先導し、それ以来毎回そうしてきた(1994年に「サンフランシスコ・プライド・パレード」に改称)。1980年代半ばまでには、他の都市のレズビアンのオートバイ愛好家たちもオートバイクラブを結成し始めた。1980年代と1990年代初頭には、レズビアンのレザー愛好家たちは、エイズに罹患したゲイのレザー愛好家のケアを手助けすることが多くなった。 2017年、サンフランシスコ・サウスオブマーケット・レザー・ヒストリー・アレー(英語版)は、リングールド・アレーに沿ってレザー文化を称えるアート作品群で構成されている 。展示されている作品は4つで以下の通り。 ゲイル・ルービンによる説話(ナラティブ)、マイク・カフィーによる「レザー・デイヴィッド」像の画像、ツール・ボックス(ゲイ・レザー・バー)にあったチャック・アーネットの1962年制作の壁画の複製が彫られた御影石 フォルサム・ストリート・フェアをはじめとする、レザー・コミュニティ内のさまざまな施設を称える彫刻が施された石碑群 上記の石碑群の周りの道路を舗装するように描かれたレザー・プライド・フラッグ 縁石に沿って設置された、サンフランシスコのレザーコミュニティに重要な役割を果たした28人の人々を称える金属製の足型
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