ゴールデンステート・ウォリアーズ
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ゴールデンステート・ウォリアーズ(Golden State Warriors)は、カリフォルニア州サンフランシスコに本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。ウェスタン・カンファレンス、パシフィック・ディビジョン所属。Golden Stateとはカリフォルニア州の愛称。ウォリアーズ(Warriors)の頭文字「W(ダブリュー)」から、チームの愛称として「W's」や「Dubs」(ダブス)が用いられることもある。設立時の本拠地フィラデルフィアはかつて独立戦争時に重要な地であったので、戦争を戦った戦士たちに敬意を払うためウォリアーズと名付けられた。
- 1 ゴールデンステート・ウォリアーズとは
- 2 ゴールデンステート・ウォリアーズの概要
サンフランシスコ・ウォリアーズ
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「ゴールデンステート・ウォリアーズ」の記事における「サンフランシスコ・ウォリアーズ」の解説
チームが1962年にカリフォルニア州サンフランシスコに本拠地を移し、西地区所属のサンフランシスコ・ウォリアーズとなったのち1964年にはNBAファイナルに進出するが、ここでもセルティックスに優勝を譲った。3年後の1967年にウォリアーズは再びファイナルに進み、この頃にはリック・バリーやネイト・サーモンドがチームの中心だったが、移籍したウィルト・チェンバレンを擁するフィラデルフィア・セブンティシクサーズに敗退した。
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サンフランシスコ・ウォリアーズ (1965-1967)
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「リック・バリー」の記事における「サンフランシスコ・ウォリアーズ (1965-1967)」の解説
バリーは批判者が間違っていることを証明したがっていた。前年の1964-65シーズン中に大エースのウィルト・チェンバレンを放出し、成績は17勝63敗という悲惨なシーズンを送っていたサンフランシスコ・ウォリアーズに、バリーは新しいエネルギーを注入した。バリーはルーキーイヤーとなる1965-66シーズンに平均25.7得点をあげ、10.6リバウンドはリーグ10位、フリースロー成功率86.2%はリーグ2位にランクされた。チームも前年の大不振を脱出する35勝45敗の成績を残し、躍進の立役者であるバリーは新人王を受賞すると共に、新人ながらオールNBA1stチームにも選ばれ、NBAオールスターゲームにも出場を果たすなどドラフト前の否定的な評価を覆してみせた。ウォリアーズにはネイト・サーモンドなどの名選手も所属していたが、バリーは1年目からオフェンスの要となり、過去2度アシスト王に輝いた経験を持つ名ポイントガードのガイ・ロジャースのパスを受けて敵ゴールに素早く襲い掛かる様は、その細い外見も相まって、地元のラジオアナウンサー、ビル・キングから"マイアミ・グレイハウンド"と呼ばれた。 2年目の1966-67シーズンには新たなヘッドコーチ、ビル・シャーマンのもとで更なる飛躍を見せ、平均35.6得点9.2リバウンドを記録。過去7年間、巨人ウィルト・チェンバレンの指定席となっていた得点王の座からついにチェンバレンを引き摺り下ろし、バリーは得点王に輝いた。平均35.6得点は歴代でも7位の好記録だった(2021年現在、シーズン平均35得点以上をあげた選手はバリーとチェンバレン、マイケル・ジョーダン、コービー・ブライアント、ジェームズ・ハーデンの5選手のみ)。オールスターではチェンバレン、オスカー・ロバートソン、ビル・ラッセルといった伝説的名選手に囲まれながらも38得点をあげてウェストチームを勝利に導き、オールスターMVPを受賞している。また、1966年12月6日のニックス戦では1つのクオーターだけで14本のフリースローを放ち、NBA記録を樹立している。バリーの活躍でウォリアーズは44勝37敗と勝ち越し、NBAプレーオフに進出。1回戦ではエルジン・ベイラー、ジェリー・ウェスト擁するロサンゼルス・レイカーズを3戦全勝で破ると、デビジョン決勝ではルー・ハドソン率いるセントルイス・ホークスを4勝2敗で降し、バリーは3年前には17勝しかできなかったチームを、僅か2年でNBAファイナルに進出させてしまった。ファイナルではチェンバレンが移籍した先のフィラデルフィア・76ersだった。76ersはボストン・セルティックスのファイナル8連覇時代についに終止符を打ったチームであり、このシーズンはウォリアーズの成績を大きく上回る68勝をあげていた。ウォリアーズは後に「史上最も偉大なチーム」にも選ばれる76ers相手に健闘を見せ、特にバリーは第3戦でエルジン・ベイラーが1962年に記録した61得点に次ぐファイナル歴代2位の55得点(ファイナル中には他にも43得点、44得点を記録している)、シリーズ平均40.8得点をあげるという大活躍を見せたが、2勝4敗で優勝はならなかった。40.8得点は1993年にマイケル・ジョーダンに破られるまでの間、ファイナル歴代最高記録だった。
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