オークランド・オークスとは? わかりやすく解説

オークランド・オークス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/22 18:28 UTC 版)

オークランド・オークス(Oakland Oaks)はアメリカ合衆国に存在したABAバスケットボールチームである。代表的なオーナーに、歌手のパット・ブーンがいる[1]

オークランド・オークスは、ABA設立時の当初からの参加チームであり、1967年-1968年シーズンと1968年-1969年シーズンの2年間ABAに参加した[1]。チームカラーは緑と金であった[1]。オークスで最も有名なことはNBAのサンフランシスコ・ウォリアーズ(現在のゴールデンステート・ウォリアーズ)との間のスタープレイヤー リック・バリーの契約問題だった[1]。新人王を獲得して1966年-1967年シーズンにチームをNBAファイナルまで導いたバリーは契約でもめて1967年-1968年はどこのチームとも契約せずに、この年、オークスに加わった。またヘッドコーチには、バリーの義理の父親でマイアミ大学のヘッドコーチを務めたことのあるブルース・ヘイルが就任した[1]

2シーズン目の1968年-1969年シーズンは、フィラデルフィア・セブンティシクサーズのヘッドコーチだったアレックス・ハナムが新ヘッドコーチに就任、チームはニューオーリンズ・バッカニアーズに14ゲーム差をつけて、西地区で優勝、プレーオフ初戦のデンバー・ロケッツ戦は4勝3敗で勝利、ニューオーリンズ・バッカニアーズを破った後、怪我でバリーを欠いたものの、インディアナ・ペイサーズを4勝1敗で破りABAチャンピオンとなった[1]。この年、バリーの他にシーズン中にトレードで加入したラリー・ブラウンダグ・モーがオールスターに選ばれた[1]

バリーがいてもいなくても、NBAのサンフランシスコ・ウォリアーズが原因でオーナーたちの投資を満足させるには至らなかった。2シーズン目も観衆は1試合あたり約2,800人しか入らなかった。オーナーのブーンは巨万の富を失い、チームをアール・フォアマンに売却し、チームは2800マイル離れたワシントンD.C.に移転[1]1969年-1970年シーズンはワシントン・キャピトルズと改称した。1シーズンを首都ワシントンで戦った後、1970年-1971年はバージニア州ノーフォークバージニア・スクワイアーズと名前を変えた。その後、チームは1975年-1976年シーズン終了後に解散した。

1962年にもABLにオークランド・オークスという名前のバスケットボールチームが参加していた。

1971年、サンフランシスコ・ウォリアーズがオークランドに移転、ゴールデンステート・ウォリアーズと改称した。同チームは1975年NBAファイナルで優勝した[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h Oakland Oaks”. remembertheaba.com. 2014年7月22日閲覧。
  2. ^ Historical Moments”. sportsecyclopedia.com. 2014年7月22日閲覧。

オークランド・オークス (1968-1969)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 15:33 UTC 版)

リック・バリー」の記事における「オークランド・オークス (1968-1969)」の解説

バリーオークスサインしてもなお、ウォリアーズバリー存在諦め切ることができなかった。ウォリアーズ法廷闘争打って出て、バリーオークス試合出場させないよう訴えた法廷保留条項有効性支持し結局バリーは1967-68シーズンプレーすることができなかったが、バリー意志曲げことはなく、彼は解説者としてオークス試合参加した。なお、バリー移籍決めた大きな要因となったブルース・ヘールは本来エースとなるはずだったバリー不在という状況下で指揮する羽目になってしまい、このシーズン2256敗と大きく負け越しシーズン終了後解任されてしまった。皮肉にもバリーヘール指導のもとでプレーすることはなかった。 1968-69シーズン、ついにバリーがABAの舞台上がるヘール後任には名将アレックス・ハナム就き陣容整ったオークス最初17試合15勝2敗の成績収めたバリー自身平均34.0得点9.4リバウンド3.6アシストリーグ1位となるフリースロー成功率88.8%を記録し、ABAが望んだリーグ広告塔として役割完遂するかに見えた。しかし12月27日ニューヨーク・ネッツ戦でケニー・ウィルバーンと衝突し、膝の靭帯切断する大怪我負い以後欠場強いられる。まだ傷の癒えない1月強行復帰をしようとした怪我悪化し欠場が長引く羽目となった結局このシーズン35試合出場に留まったものの、今後4年連続選ばれ続ける事になるオールスターオールABA1stチーム選ばれている。一方ウォーレン・ジャバリやダグ・モウ、ラリー・ブラウンら好選手揃えていたオークスは、バリー欠場後も16連勝を飾るなど勢いを失うことなく最終的に前年の約3倍となる6018敗、リーグ2位のニューオーリンズ・バッカニアーズに14ゲーム差をつける圧倒的な成績収めたバリープレーオフにも間に合わなかったが、オークスデンバー・ロケッツ、バッカニアーズを降してウエスタン・デビジョンを制すると、ファイナルではジョージ・マクギニス擁するインディアナ・ペイサーズ破り優勝果たしてしまった。 このシーズン成功にも関わらずバリーというスター選手シーズン大半欠場したオークスホームアリーナ空席目立ち1試合平均観客動員数は約2,800程度だった。資金繰り悪化したオークス優勝直後売却されワシントンD.C.弁護士、アール・フォアマンの手渡ったフォアマンフランチャイズオークランドからワシントンへと移す計画進めるが、バリー西海岸から東海岸への移動拒否ロサンゼルス・タイムズ紙の記者の前で「もしワシントン行きたいのなら大統領にでも立候補してるさ!」と言い放った。そしてベイエリアスター取り戻そう躍起になっていたウォリアーズオーナー、フランクリン・ミューリーと5年100万ドルという大型契約結んだ。しかしオークス所属バリー結んだこの契約は再び法廷闘争へ発展し法廷バリーオークスに戻るよう命じたため、結局バリーワシントンに向かわなければならなくなったワシントン本拠地移したオークスは、ワシントン・キャップス改名された。

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