ワシントン・キャップスとは? わかりやすく解説

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バージニア・スクワイアーズ

(ワシントン・キャップス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/02 16:30 UTC 版)

バージニア・スクワイアーズ(Virginia Squires)はアメリカ合衆国バージニア州ノーフォークにかつて存在したABAバスケットボールチーム。

1967年のABA結成の際にカリフォルニア州オークランドオークランド・オークスが設立された[1]。チームの共同オーナーにはパット・ブーンも名を連ねた。NBAサンフランシスコ・ウォリアーズに所属していたスター選手のリック・バリーを獲得、1968/1969年シーズンにはABAチャンピオンシップゲームまでチームは進んだ。こうした活躍を見せたがチームは1試合あたり2500人ほどしか観客を動員できなかったため、バンク・オブ・アメリカからの借金も増えたため、チームは売却されてワシントンD.C.に移転して1969/70年シーズンからワシントン・キャップスと名称を変えた。チームカラーは緑と金で変わらなかったがロゴを赤、白、青に変えた。本拠地をワシントン・コロシアムとした。チームは移転したにもかかわらずリーグのウェスタン・ディビジョンに所属したためロードゲームの際の遠征距離はリーグ一となってしまった。勝率は5割を越えてプレーオフに出場したが1回戦でデンバー・ロケッツに敗れた。

NBAとの統合が水面下ではささやかれるようになっていたが、ボルチモア・ブレッツのオーナーのエイブ・ポリンはチームをワシントンD.C.に移転したいと思っておりキャップスがワシントンにあることを望んでいなかった。他のABAチームのオーナーたちがワシントン・キャップスがワシントンを離れることを欲したため、チームはバージニア州ノーフォークに移り、バージニア・スクワイアーズとなった。主催試合はハンプトンリッチモンドロアノークでも行われることとなった。ただしロアノークで試合が行われたのは1シーズンのみであった。1970年8月24日のスポーツ・イラストレイテッドの表紙にリック・バリーがスクワイアーズのユニフォームを着た写真が掲載されたが9月1日にバリーはニューヨーク・ネッツにドラフト1巡指名権及び20万ドルと引換えにトレードされた。オールド・ドミニオン大学の体育館、リッチモンド・アリーナ、ハンプトン・コロシアム、ロアノーク・シビックセンターでも試合が行われた。1970/71年シーズン、バリーを放出したもののチームは11ゲーム差をつけてイースタン・ディビジョン優勝を果たしプレーオフ1回戦でニューヨーク・ネッツを下したがケンタッキー・カーネルズにイースタンディビジョン決勝で敗れた。シーズンオフにマサチューセッツ大学ジュリアス・アービングをドラフトで獲得、1971/72年シーズンのプレーオフ1回戦でフロリディアンズを下したがニューヨーク・ネッツに敗れた。1972/73年シーズン終盤にはジョージ・ガービンとジュリアス・アービングが共にチームを引っ張る活躍を見せたがプレーオフ1回戦で敗退、経営難のチームはアービングを金銭トレードでニューヨーク・ネッツに放出した。1974年1月30日にガービンもまたトレードでサンアントニオ・スパーズに放出されてからはファンは見向きもしなくなり成績も下降、人気ヘッドコーチだったアル・ビアンチはクビになった。最後の2シーズンは15勝69敗[2]、15勝68敗と散々に終わり、選手のバリー・パークヒルからは給料の未払いで訴えられるほどであった。1976年5月10日にチームは解散した。

脚注

  1. ^ 1962年に同じくオークランド・オークスと呼ばれるABLのチームが存在した。
  2. ^ ABA史上最低勝率

外部リンク


ワシントン・キャップス (1969-1970)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 15:33 UTC 版)

リック・バリー」の記事における「ワシントン・キャップス (1969-1970)」の解説

裁判で1969-70シーズン開幕から32試合欠場したバリーは、未だ完治しない膝の影響苦しんだものの、このシーズン平均27.7得点リーグ2位)7.0リバウンド3.4アシスト成績2年連続オール1stチーム選出されるキャップスオークス)は前年のチャンピオンチームだったが、西海岸から東海岸へと移転したにも関わらずウエスタン・デビジョン所属扱い遠征時は大変な移動時間要したため、ハードスケジュール祟って4440敗と大きく成績落としプレーオフでは1回戦デンバー・ナゲッツ前に4勝3敗で敗れたバリープレーオフ間中平均40.1得点成績残し、これはABA歴代1位記録となったが(NBA含めると2010年現在歴代3位)、一方で勝敗決した第7戦でバリーロケッツ選手乱闘起こし退場命じられている。 ワシントンでも興行不振陥ったキャップスは再びフランチャイズを移すことになり、今度バージニア州ノーフォーク移転しバージニア・スクワイアーズ改名された。バリーはスクワイアーズのジャージー着用して1970年8月24日発刊スポーツ・イラストレイテッド誌の表紙飾ったが、同誌に掲載され彼のインタビュー記事様々な波紋呼んだバリーはABAが彼に100万ドル払えばABAに残ってやってもいいと言い、さらに次シーズンプレーすることになるバージニアの地について、「僕の息子南部なまりになってほしくないな。家に帰ってきた時に"Howdy, y'all(南部特有の挨拶)"なんて言ってほしくないよ」と語った南部蔑視ともとれるこの発言バージニアファン反感を買い結局バリーは同誌発売数日後9月1日20ドル将来ドラフト指名との交換ニューヨーク・ネッツトレードされることになった。もともと毎年のように移転繰り返すこのチーム嫌気がさしていたバリートレードされることを望んでこの発言をしたのだが、一方財政難に陥っていたスクワイアーズも高給取りバリー放出望んでいたという側面がある。

※この「ワシントン・キャップス (1969-1970)」の解説は、「リック・バリー」の解説の一部です。
「ワシントン・キャップス (1969-1970)」を含む「リック・バリー」の記事については、「リック・バリー」の概要を参照ください。

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