ワシントン・クリスチャン協会の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/02 15:11 UTC 版)
「トマス・キャンベル」の記事における「ワシントン・クリスチャン協会の設立」の解説
やがてトマスはキリスト教徒のうちの、教会分派の現状に心を痛め始めた。そのきっかけとしては、母国の長老派教会が、他教派の会員に聖餐式を施すことを禁止する規則を作り、アメリカの教会においても規則に従うよう、求めてきたことも影響していた。そこでトマスは自身と異なる教派の信者たちを、自らの聖餐式に受け入れるなどして、行動を起こし始めた。当時異例のこの聖餐のあり方については、トマスが所属する団体から敵対的な態度を招き、トマスも自らの行いが聖書の教えと一致していると弁明したため、団体から脱退勧告をくらうはめになった。またトマスはカルヴァン主義への疑問も抱いていた。 しかし、組織から脱退したトマスの考えを支持するキリスト教徒たちも現れ、1809年、トマスは「聖書が語るところで私たちは語り、聖書が黙するところで私たちもまた黙する」という原則のもと、支持者とともにワシントン・クリスチャン協会を設立し、『ワシントン・クリスチャン協会の宣言および提言』を発表した。トマスは宣言文書内で「何びとも兄弟からさばかれることはできず、また何びとも兄弟をさばくことはできない。人はみな、何よりも自分で自分をさばくべきで、自己を神の前に弁明しなければならない。各人はみな神のことばに縛られているのであって、神のことばの人間的解釈に縛られているのではない。」と訴え、「教会は聖書に帰らなければならない。イエス・キリストの教会は一つである」と主張した。
※この「ワシントン・クリスチャン協会の設立」の解説は、「トマス・キャンベル」の解説の一部です。
「ワシントン・クリスチャン協会の設立」を含む「トマス・キャンベル」の記事については、「トマス・キャンベル」の概要を参照ください。
- ワシントン・クリスチャン協会の設立のページへのリンク