ワシントンハイツの返還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 04:22 UTC 版)
「代々木選手村」の記事における「ワシントンハイツの返還」の解説
代々木選手村や国立代々木競技場は、第二次世界大戦での日本の敗戦後に日本を占領下に置いた連合国軍の一つであるアメリカ軍によって設けられたワシントンハイツが全面返還された跡地に建設された。 選手村本村の候補地にはワシントンハイツのほか、同じくアメリカ軍の軍用地として使われていたキャンプ・ドレイク(埼玉県・朝霞)の南側地区があった。日本との返還交渉のなかでアメリカが提示してきた諸条件は、ワシントンハイツについては、「全面返還を認めるが、移転費用については日本が全面的に負担する」、キャンプドレイクについては、「全面返還には応じられないが、オリンピック開催期間中の一時使用は認める。しかし大会の終了後は即刻アメリカに引き渡す」というものであった。 検討の結果、約2年間に及ぶアメリカ軍との交渉を経て、1961年(昭和36年)10月、ワシントンハイツへの選手村、さらに国立屋内総合競技場(国立代々木競技場)の設置が決定された。
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