ABAへの移籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 15:33 UTC 版)
1967年、新プロバスケットボールリーグABAが誕生した。ABAはNBAから優秀な選手を引き抜こうと画策し、その触手はウォリアーズのエース、リック・バリーにも伸びたが、彼を引き抜こうとしたチームはよりにもよってサンフランシスコ近郊のオークランドに本拠地を置くオークランド・オークスだった。バリーはウォリアーズのオーナー、フランクリン・ミューリーが彼が期待したほどの契約金を払おうとしたなかったことでウォリアーズに対して不信感を抱いていた。そんな時にオークスが彼に持ちかけた契約内容は、本人に言わせれば「絶対に拒絶できないものだった」ものだったらしく、オークスのオーナー、パット・ブーン(著名な歌手)が提示した額は3年50万ドルだったと推測されている。また、バリーにとってオークスの魅力は契約金だけではなかった。オークスは初代ヘッドコーチに、バリーの"義理の父"とも呼べる大学時代の恩師、ブルース・ヘールを招いていたのである。どうしてもバリーを引き留めたいウォリアーズはオークスが提示した契約金と同じ額を保障すると申し出たが、ビル・シャーマンHCとの関係が悪化していたバリーにとって、オークスというチームは抗い難い魅力を放っていた。 そしてバリーは1967年のオフにオークスへの移籍を決意する。ウォリアーズのファンはバリーが契約金に釣られたとしてバリーを激しく非難し、悲嘆に暮れたオーナーのミューリーは、いつか必ずバリーを取り戻すと誓い、彼のオフィスには背番号『24』のジャージーが掲げられることになった。また、バリーはこれで初めてABAへと移籍したNBA選手となったが、周囲が彼を利己的と非難する中で、他にも多くのNBA選手がより良い条件を求めてABAへと移籍し、今後NBAとABAは熾烈な選手の引き抜き合戦を繰り広げていく事になる。
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