ABA・ペイサーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 06:19 UTC 版)
「ジョージ・マクギニス」の記事における「ABA・ペイサーズ」の解説
当時NBAは大学生のNBAドラフトへのエントリーを実質禁止していたのに対し、歴史が浅く選手層も薄いライバルリーグのABAは優秀な選手を確保するためにリクルートの規制をほとんど設けておらず、大学在学中の選手にも触手を伸ばしており、そしてマクギニスもインディアナ大大学在学中の1971年に3年15,000ドル契約で、地元インディアナのフランチャイズチーム、インディアナ・ペイサーズに入団することになった。なお、マクギニスが大学を卒業する年となるはずだった1973年のNBAドラフトではフィラデルフィア・76ersがペイサーズに所属中のマクギニスを全体22位で指名している。 マクギニスは1年目から即戦力として活躍し、16.9得点9.7リバウンドの成績を残し、オールルーキー1stチームに選ばれる。メル・ダニエルズ擁するペイサーズはフレッシュなスコアラーを獲得したことでプレーオフも勝ち抜き、そしてファイナルではリック・バリー擁するニューヨーク・ネッツを破ってチーム史上初の優勝を果たした。2年目の1972-73シーズンになるとマクギニスはいよいよ本領を発揮し、リーグ2位となる平均27.6得点、リーグ4位となる12.5リバウンド、11月28日の試合ではペイサーズの1試合最多得点記録となる58得点をあげるなどして初のオールABA2ndチームに選出され、名実共にペイサーズのエースにのし上がった。ペイサーズはこのシーズンもファイナルでダン・イッセル、アーティス・ギルモア擁するケンタッキー・カーネルズを破りファイナル連覇を達成。プレーオフ期間中もチームを牽引する働きを見せたマクギニスは、プレーオフMVPを受賞した。翌1973-74シーズンもマクギニスの勢いは留まることを知らず、1月12日の試合では52得点をあげると共にペイサーズの1試合最多リバウンド記録となる37リバウンド、リーグ2位となる平均15.0リバウンドをあげるなどして初のオールABA1stチームに選ばれると、1974-75シーズンには29.8得点14.8リバウンド6.3アシストを記録し、ついに得点王の座に就くと共にシーズンMVPも受賞した。マクギニスが華々しい活躍を続ける一方で、ペイサーズは2度の優勝以降成績がやや伸び悩び、優勝からは遠ざかった。 1975-76シーズン前、マクギニスは故郷インディアナを離れ、ニューヨーク・ネッツとの契約にサインする。しかしABAで目覚しい活躍を見せるマクギニスをどうしても欲しがった、1973年のNBAドラフトで彼を指名していたフィラデルフィア・76ersは、ネッツにマクギニスの所有権の放棄を迫った。ネッツは76ersの要求に屈し、マクギニスの所有権を放棄。マクギニスは6年300万ドル契約で、NBAの76ersに入団する。なお、この頃になるとABAの経営は行き詰まり、各球団とも赤字経営で瀕死状態で、すでにABAはNBAによる吸収合併が決まっていた。そして翌1976年にABAとNBAの合併が遂行され、この時ABAの多くのチームが解散を強いられたが、ペイサーズは生き残った4チームの中に含まれていた。
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