ABA吸収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 00:09 UTC 版)
「1976-1977シーズンのNBA」の記事における「ABA吸収」の解説
ABAは1967年に創設されたが、すぐに経営難に陥り、1970年には早くもNBAとの合併案が持ち上がった。しかし合併によるサラリー減を恐れたNBPA(選手会)の妨害によりこの案は頓挫していたが、1975年にはNBPAとの裁判にもようやく決着が着き、NBAによるABAの吸収合併が決定した。これによりNBAにとっては厄介な存在であったABAの、9年に及ぶ活動に終止符が打たれた。 ABA解散時の7チームのうち以下の4チームがNBAに加盟したため、NBAは既存の18チームから22チームに膨れ上がった。 インディアナ・ペイサーズ (ビリー・ナイト、レン・エルモア*) サンアントニオ・スパーズ (ジェームス・サイラス、ジョージ・ガービン、ラリー・ケノン、ビリー・ポールツ) デンバー・ナゲッツ (デビッド・トンプソン、ダン・イッセル、ラルフ・シンプソン*) ニューヨーク・ネッツ (ジュリアス・アービング*、ブライアン・テイラー*、ジョン・ウィリアムソン) ()内はABA解散当時の主な所属選手。*はNBAとの合併直後にチームを移籍した選手。 上記の4チームは320万ドルを加盟料としてリーグに支払わなければならず、さらにニューヨーク・ネッツは同じニューヨークに本拠地を置くニューヨーク・ニックスにも480万ドルの支払いが課せられたため、エースのジュリアス・アービングを手放さなければならなかった(フィラデルフィア・76ersに移籍)。前季ABAの優勝チームであったネッツは、エース不在と財政難という二重苦のため、長い低迷期に入ってしまう。 もっとも財政難に直面していたのはネッツのみではなく、9年間に及ぶABAとの競争はNBA全体を疲弊させてしまい、赤字に陥るチームが続出した。またこの頃続発した選手たちの薬物スキャンダルも手伝い、リーグのイメージは悪化する一方だった。
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