ABAの脅威
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 07:13 UTC 版)
「1967-1968シーズンのNBA」の記事における「ABAの脅威」の解説
前季1966-67シーズン中の2月1日、プロバスケットボールリーグABA(American Basketball Association)が創設され、この年の10月18日から最初のシーズンがスタートした。 発足から20年以上が経過したNBAは1960年代に入ると毎年のように観客動員数記録を更新し、順調な成長を見せていた。資産家たちはプロバスケットボールという分野が魅力的な市場であると理解し始め、一時は8チームまで落ち込んだNBAのチームは1970年代に入るまでには14チームにまで増加した。しかしNBAに新たなチームを立ち上げるには、リーグに支払わなければならない莫大な加盟料という高い壁があった。ならば、と青年実業家たちが集まって立ち上げられたプロバスケットボールリーグがABAだった。ABAはニューヨークやロサンゼルスといったすでにNBAのチームが存在する大都市のほか、カレッジバスケが盛んなインディアナ州やケンタッキー州にもチームを配置し、11チームでスタートした。 誕生したばかりのABAはすでに20年の歴史を持つNBAに対抗するため、斬新な試みを次々と打ち出し、そのうちスリーポイントシュートやオールスターのダンクコンテストなどは後にNBAにも導入された。初代コミッショナーには元NBAのスーパースター、ジョージ・マイカンが就任した。 このABAはNBAにとって極めて厄介な存在だった。リーグが2つに増えても選手の総数がすぐに2倍になるはずもないため、当然のように両リーグの間では壮絶な選手の引き抜き合戦が繰り広げられた(前季NBAの得点王であるリック・バリーもこの年にABAのオークランド・オークスに移籍している)。これは選手のサラリーの高騰に繋がり、財政難に陥るチームが続出する。さらにABAに対抗するため強引な拡大策を採ったことが、NBA全体の水準の低下を招くこととなった。
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