P・J・カーリシモ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/01 02:20 UTC 版)
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2015年のカーリシモ
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引退 | |||||||||||||||
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国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1949年3月30日(76歳) | ||||||||||||||
出身地 | ![]() |
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身長(現役時) | 185cm (6 ft 1 in) | ||||||||||||||
体重(現役時) | 84kg (185 lb) | ||||||||||||||
キャリア情報 | |||||||||||||||
高校 | スクラントン予備校 | ||||||||||||||
大学 | フォーダム大学 | ||||||||||||||
NBAドラフト | 1971年 / ドラフト外 | ||||||||||||||
ポジション | PG | ||||||||||||||
指導者期間 | 1971年–2013年 | ||||||||||||||
指導者経歴 | |||||||||||||||
1971-1975 1975-1994 1994-1997 1997-1999 2002-2007 2007-2008 2010-2011 2011-2013 |
フォーダム大学(AC) ニューハンプシャー大学など ポートランド・トレイルブレイザーズ ゴールデンステート・ウォリアーズ サンアントニオ・スパーズ(AC) シアトル・スーパーソニックス トロント・ラプターズ(AC) ブルックリン・ネッツ(AC) |
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受賞歴 | |||||||||||||||
ヘッドコーチ時代
アシスタントコーチ時代 |
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HC通算記録 | |||||||||||||||
NBA | 239–315 (.431) | ||||||||||||||
カレッジ | 277–259 (.517) | ||||||||||||||
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ピーター・ジョン・カーリシモ(Peter John Carlesimo, 1949年3月30日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボールの指導者。ペンシルベニア州出身。 アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAのポートランド・トレイルブレイザーズ、ゴールデンステート・ウォリアーズ、シアトル・スーパーソニックス、オクラホマシティ・サンダーのヘッドコーチを務めた。アシスタントコーチの経験も豊富で、1992年バルセロナオリンピックのドリームチームで、チャック・デイリーヘッドコーチのもと、マイク・シャシェフスキー、レニー・ウィルケンズらとアシスタントコーチを務め、金メダルを獲得している。NBAではサンアントニオ・スパーズで、グレッグ・ポポヴィッチヘッドコーチのもと、2002年から2007年の間に、3度の優勝に貢献した。
経歴
フォーダム大学を1971年に卒業の後[1]、コーチングのキャリアをフォーダム大学のアシスタントコーチとしてスタートし、 1971年から 1975年の間務めた後、カレッジバスケットボールのヘッドコーチを数校で務め、1992年バルセロナオリンピックバスケットボール男子アメリカ合衆国代表チーム(ドリームチーム)で、チャック・デイリーヘッドコーチのもとで、マイク・シャシェフスキー、レニー・ウィルケンズらとアシスタントコーチを務め、金メダルを獲得した。1994年にNBAのポートランド・トレイルブレイザーズでヘッドコーチとしての職を得て、3年間務め、1997年にゴールデンステート・ウォリアーズのヘッドコーチを務めた。
その後サンアントニオ・スパーズの第一アシスタントコーチに就任し、グレッグ・ポポビッチの下で、2002年から2007年の間で、3度の優勝に貢献した。その後、2007年シアトル・スーパーソニックス(後にオクラホマシティ・サンダー)のヘッドコーチとして1シーズン指揮を執った[2]。2010年に再びアシスタントコーチに戻り、トロント・ラプターズ、ニュージャージー・ネッツ(後にブルックリン・ネッツ)、で活動している。
ヘッドコーチ成績
NBAヘッドコーチ実績表略号説明 | |||||||||
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レギュラーシーズン | G | 試合数 | W | 勝利数 | L | 敗戦数 | W–L % | レギュラーシーズン勝率 | |
ポストシーズン | PG | 試合数 | PW | 勝利数 | PL | 敗戦数 | PW–L % | プレイオフ勝率 |
NBA
チーム | シーズン | G | W | L | W–L% | シーズン結果 | PG | PW | PL | PW–L% | 最終結果 |
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POR | 1994–95 | 82 | 44 | 38 | .537 | パシフィック4位 | 3 | 0 | 3 | .000 | 1回戦敗退 |
1995–96 | 82 | 44 | 38 | .537 | パシフィック3位 | 5 | 2 | 3 | .400 | 1回戦敗退 | |
1996–97 | 82 | 49 | 33 | .598 | パシフィック3位 | 4 | 1 | 3 | .250 | 1回戦敗退 | |
GSW | 1997–98 | 82 | 19 | 63 | .232 | パシフィック6位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
1998–99 | 50 | 21 | 29 | .420 | パシフィック6位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 | |
1999–00 | 27 | 6 | 21 | .222 | (解任) | — | — | — | — | — | |
SEA | 2007–08 | 82 | 20 | 62 | .244 | ノースウェスト最下位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
OKC | 2008–09 | 13 | 1 | 12 | .077 | (解任) | — | — | — | — | — |
BKN | 2012–13 | 54 | 35 | 19 | .648 | アトランティック2位 | 7 | 3 | 4 | .429 | 1回戦敗退 |
通算 | 554 | 239 | 315 | .431 | 19 | 6 | 13 |
ラトレル・スプリーウェルとの関係
ゴールデンステート・ウォリアーズのヘッドコーチに就任した1年目、チームは開幕から14試合で1勝13敗とどん底にあった。1997年12月1日のチーム練習でラトレル・スプリーウェルに首を絞められるという事件が発生した[3]。スプリーウェルは無期限の出場停止 (1999年に解除され、ニューヨーク・ニックスに移籍) になり、元々暴言癖があったというカーリシモにも悪評が付きまとってしまった。後に両者は和解したものの、2005年夏に、スプリーウェルとアラバマ大学時代のチームメイトにあたるロバート・オーリーが、当時所属していたサンアントニオ・スパーズ入りを勧めたところ、スプリーウェルは、スパーズのコーチ陣にカーリシモがいたことを理由に、スパーズ入りを拒否し、事実上の引退となった。
脚注
- ^ Allen, Percy (2007年10月28日). “Even in brief, Sonics’ Carlesimo has plenty to talk about”. Seattle Times. 2015年10月5日閲覧。
- ^ “Report: Thunder fire Carlesimo”. NBA.com (2008年11月22日). 2010年3月8日閲覧。
- ^ Kelly Dwyer (2013年3月18日). “P.J. Carlesimo reflects on his altercation with Latrell Sprewell, 15 years later”. Yahoo! Sports. 2015年6月7日閲覧。
外部リンク
- HC通算成績と情報 NBA Head Coaches、Basketball-Reference、Eurobasket
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