オクラホマシティ移転、デュラントの時代
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2008年4月18日のNBAのオーナー会議でオクラホマシティへの移転が28対2で承認された。キーアリーナとの2010年までのリース契約などの問題が残ったが同年7月2日、チームはオクラホマシティへの本拠地移転について違約金7,500万ドルを支払うことでシアトル市との和解が成立、移転することに対する合意に達したことが発表された。チーム名・チームカラー・チームロゴマーク・ソニックス時代の優勝記念バナーと永久欠番バナーなどはシアトル市が保有することとなった。同年9月3日、新チーム名としてオクラホマシティ・サンダーとなること、ロゴが発表された。 2008-09シーズンは序盤は連敗続きで泥沼状態だったが、ヘッドコーチのP・J・カーリシモを解雇しアシスタントコーチのスコット・ブルックスを暫定HCとし、2008年のNBAドラフト4位でラッセル・ウェストブルックを指名し、ネナド・クリスティッチ、ターボ・セフォロシャの加入などでチームは若返りを図り23勝59敗と低迷しシーズンを終えたが、ルーキーのウェストブルック、2年目のデュラントが活躍し来シーズン以降に向けて可能性を感じさせるシーズンとなった。
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