首絞め事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 07:38 UTC 版)
「ラトレル・スプリーウェル」の記事における「首絞め事件」の解説
詳細は「P・J・カーリシモ」を参照 カーリシモが監督に就いて以降もチームの状況は好転せず、開幕以降1勝13敗の泥沼に陥っていた。1997年12月1日のチーム練習で、カーリシモとスプリーウェルは口論になり、以降スプリーウェルのキャリアに重くのしかかる暴行事件に発展した。何度も出て行けというカーリシモに耐えかねたスプリーウェルは、「殺すぞ」と脅しながらカーリシモの首を掴んだ。チームメートに引き離され、その場を後にしたしばらくのちにスプリーウェルは再び練習場に戻り暴行を続けようとした。 この事件は大きく報道され、国中で議論を巻き起こすことになった。数日後にNBAはスプリーウェルに無期限の出場停止を言い渡した。これはやがて82試合(1シーズン分)の出場停止という扱いとなった。ウォリアーズはスプリーウェルとの契約を無効にし、スプリーウェルはコンバースとの広告の契約も失った。苦境に立たされたスプリーウェルは、弁護士とともにこの処分が人種差別の側面があることを強調しようとしたが、それほど効果はなかった。繰り返される報道の中では、カーリシモに暴言癖があることも報じられた。NBA史上最も重いとされた処分の後、スプリーウェルは二度とウォリアーズでプレイすることはなかった。
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