首級の水戸携行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:02 UTC 版)
司命丸創製者・高倉伴介は生前、広木松之介が直弼の首級を甘酒樽に詰め水戸へ持ち帰ったという話をしていた、とされる。 1967年(昭和42年)茨城県笠間市・真浄寺の住職で県宗務所長だった小林日芳の元へ、広木松之介縁者の広木妙諦尼から「大老の首級を水戸市内の袴塚町、日蓮宗・本行寺本堂廊下の下に埋めた、という祖先からの言い伝えを確かめてみたい」と相談があった。彼らがここぞとおぼしき箇所を掘った所、しゃれこうべが出てきた。首を懇ろに供養してから、広木が眠る水戸市見川の日蓮宗・妙雲寺へ埋めたという。なお、幕吏の追捕を逃れて、広木松之介とその姉が一時身をかくしていたのが本行寺であったという。 1968年(昭和43年)3月3日に、妙雲寺の檀家である旧水戸藩士の子孫・三木啓次郎により、井伊直弼の首を供養するための「大老井伊掃部頭直弼台霊塔」が建てられた。三木啓次郎は井伊家側へ首級の骨の返還を申し出たが、井伊家側からは直弼の首級は当初より豪徳寺に埋葬されているとして断られたという。 「大老井伊掃部頭直弼台霊塔」建碑に当たった石材店の高橋三郎によると、直弼の首は1968年(昭和43年)の暮れ、三木啓次郎らによって井伊家菩提寺・豪徳寺へ密かに埋葬されたという。 2012年6月、東京都世田谷区教育委員会の調査で、同区の豪徳寺にある井伊直弼の墓には、石室などの埋葬施設が地下3メートル以内になかった事が明らかになった。
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