首相選定方式の改革
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政治学者の村井良太は、1924年(大正13年)7月に松方正義が死去して元老が西園寺公望一人だけになり、元老という憲法上の機関でないものが首相選定を担っているという状況が強く批判されるようになってきたが、首相選定方式を改革する余地があったと指摘している。実際、第二次護憲運動の最中にも「政変の場合に於ける御下問範囲拡張問題」として議論されていたという。これは宮内大臣牧野伸顕の発案と推測され、1924年(大正13年)2月末当時、松方が危篤状態にあり、今後の首相選定方式はどうあるべきかを西園寺に相談しようとしたこと、「御下問範囲」を拡張することによって元老の候補者を用意しておこうという狙いがあったとみられる。 元老協議方式の再編 元老を新たに追加して、従来通り、元老間での話し合いで次期首相を奏薦する。 元老の追加で制度的永続性を確保できるという利点があるが、正当性と機能性が漸次低下していくという問題を解決できず、また、新たに元老になる資格のある人物が払底しているという欠点がある。 首相指名方式 退任する首相が次期首相を奏薦する。実際、内閣制度発足当初に行われていた。 次期首相の指名を明治憲法第55条第1項で定められた国務大臣の輔弼責任ととらえられるので制度的永続性と正当性があるが、党派政治になるという欠点がある。 実際、当時の日本のように、実質的な議院内閣制とはいえ、下院が後継首相を指名するという明文規定がないイギリスの政治では慣例として行われていることだが、当時の日本では天皇が「統治権の総覧者」として内閣および議会から自立した存在の「大権君主」であることが求められていて、次期首相の選定権を天皇の手中に留保しておくことがぜひとも必要であった。政党政治の下での首相指名方式の定着は国民の選挙で選出された議会政党の首領が事実上の君主権の行使者となる事態をもたらすからである。 枢密院諮問方式 枢密院が次期首相候補を諮問し奉答させる。 明治憲法第56条にのっとって行われ、同院は最も権威のある諮問機関なので正当性があり、制度的永続性を確保できるという利点があるが、同院の保守性という欠点がある。 重臣協議方式 枢密院議長、貴族院議長、衆議院議長、首相経験者といった一定の資格者に諮問する。 従来の元老協議方式に基づきつつ、諸外国にも例があり、元老を新たに追加する必要がなく、制度的永続性と正当性があるが、世論の支持を得られるかという疑問がある。 内大臣指名方式 内大臣が次期首相を奏薦する。 内大臣府官制により常侍輔弼が定められていて、党派政治から距離を置くことができ、制度的永続性を確保できるという利点があるが、宮中府中の別といわれるように、内大臣は政治的判断をすべきではないという不文律があり、内大臣の席を巡って政治的陰謀が行われる可能性があるという欠点がある。 現実に西園寺が死去する数年前から導入された方式は重臣協議方式と内大臣指名方式の混合された形となった。重臣の協議を俗に重臣会議と称した。
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