選定方式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 02:04 UTC 版)
毎年の受賞は最高3人。選考はノルウェーの国会が指名する5人の委員と選考を取り仕切る1人の書記で構成されているノルウェー・ノーベル委員会が行う。各国に推薦依頼状(通常非公表)を送り、推薦された候補者より選ばれる。2013年には259の個人と組織(うち50の組織)の推薦があり、過去最大の数とされている。受賞が決まるのは例年10月頃。候補者の名前は50年間公表されない。個人の場合は生存していること、組織の場合は現存することが条件であり、物故者への追贈はない。死後この賞を受けたのはダグ・ハマーショルドのみ(存命中に授与が決定していたため)。 トマーシュ・マサリク、ウィリアム・ハワード・タフトなどの政治家、ニコライ2世、ハイレ・セラシエ1世といった君主、レフ・トルストイ、ピエール・ド・クーベルタンなどが候補となっていたことが公表されている。 現在では独裁者とされる人物が推薦された例もある。1939年にはアドルフ・ヒトラーが推薦されているが、これは反ファシズムの立場を取るスウェーデンの国会議員によるもので、皮肉を意図したものであったとされる。しかし武田知弘によると、推薦したのはエリク・ゴットフリード・クリスティアン・ブラント(英語版)でこのジョーク説は第二次世界大戦後にノーベル平和賞委員会とブラントの後付けの言い訳にすぎず、1938年9月に開かれたズデーテン割譲を巡るミュンヘン会談の結果を受けて世界に平和をもたらしたとして、ネヴィル・チェンバレンが称賛されたようにイギリスとドイツに挟まれるスウェーデンは大戦回避をもたらしたヒトラーを推薦したとしている。しかし推薦を受けた直後の1939年9月にナチス・ドイツはポーランドに侵攻を開始したため推薦は取り消された。他にベニート・ムッソリーニ、ヨシフ・スターリン、フアン・ペロン夫妻もノミネートされているが、受賞には至っていない。 ジェーン・アダムズは1916年に初めて推薦を受けて以来、1931年に受賞するまでにのべ91回の推薦を受けた。これは推薦を受けた回数としては最多のものである。
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