チェンバレン時代の優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:20 UTC 版)
「フィラデルフィア・セブンティシクサーズ」の記事における「チェンバレン時代の優勝」の解説
当時のシクサーズは、1958年のドラフトで獲得したハル・グリア、1965年にトレードで入団したウィルト・チェンバレンらを中心としており、1966年にはリーグ首位の55勝25敗の成績だったが、プレイオフではこの時代の強豪ボストン・セルティックスに敗退した。そのシリーズ第7戦で、グリアが最後の瞬間に犯したパスミスはよく知られている。 続く1966-67シーズン、アレックス・ハナムがシクサーズの監督に就いた。ハナムはプロ入り以来7年連続で得点王だったチェンバレンの得点を減らす方針を採った。他の選手がより積極的にオフェンスにかかわった結果、シクサーズは当時NBA史上最高の68勝13敗の記録でシーズンを終えた。プレイオフでは同地区の宿敵だったセルティックスを破り、NBAファイナルではサンフランシスコ・ウォリアーズを4勝2敗で下してチーム史上2度目の優勝を果たした。1966-1967年のシクサーズは、1980年に発表された『NBA35周年オールタイムチーム』でNBA史上最も偉大なチームに選ばれた。 チェンバレンは1968年のシーズンを最後にロサンゼルス・レイカーズへ移り、シクサーズの成績は次第に下降していった。1972-73シーズンには9勝73敗にまで落ち込んだが、これは2011-12シーズンのシャーロット・ボブキャッツに更新されるまでNBA史上最低勝率の記録であった。
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