チェンバレンの首相退任をめぐって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)
「ウィンストン・チャーチル」の記事における「チェンバレンの首相退任をめぐって」の解説
ガリポリの戦い以来の惨敗にチャーチルも海相失脚を覚悟したが、5月7日から8日にかけて庶民院で行われたノルウェー作戦についての討議では、その批判はチャーチルではなく、首相チェンバレンに向かった。チャーチルは「ノルウェー戦の敗北は自分の責任だ」と主張してチェンバレンを擁護しようとしたが、自由党党首ロイド・ジョージは「防空壕になるのはやめろ」とチャーチルを止めた。与党議員からも続々と造反者が出る中、チェンバレンは、労働党との大連立による挙国一致内閣で政権強化する道を模索するようになった。だが労働党の議員たちはチェンバレンよりチャーチルを首相とする大連立を希望する者が多かった。彼らはかつてチャーチルが行った労働運動弾圧の恨みを忘れていなかったが、左翼イデオロギーからヒトラーとの戦いを徹底的に遂行する者を希望していたのである。世論もチャーチルの首相就任を支持する者が多かった。チャーチルはクリミア戦争時のパーマストン子爵、あるいは一次大戦時のロイド・ジョージのような立ち位置にあり、首相にふさわしい人物であった。だが、もう一人、首相候補として各方面からの反発が比較的少ない外相ハリファックス子爵(インド総督だったアーウィン卿)もいた。5月9日にチェンバレンはチャーチルとハリファックス子爵の両方を召集した。チェンバレンはハリファックス子爵を首相にしたがっており、チャーチルに「ハリファックス卿の内閣で働く意思はあるか」と聞いたが、チャーチルは沈黙していた。そこへハリファックス子爵が「貴族院議員の私が首相になるのは望ましくないでしょう」と述べたことでチャーチルの首相就任が決まった。
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