チェンバレンとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 09:01 UTC 版)
「アレックス・ハナム」の記事における「チェンバレンとの関係」の解説
ハナムのコーチキャリアの中で最も大きな仕事はフィラデルフィア・76ersを優勝に導いたことである。これは伝説的な八連覇時代として知られる王者セルティックスを破っての優勝であり、76ersにとってもリーグにとっても非常に価値のある優勝だった。当時の76ersの中心選手、ウィルト・チェンバレンは過去に何度もセルティックスの前に優勝の夢を打ち砕かれてきた経緯があり、チェンバレンにとっても念願の優勝となった。そのチェンバレンとハナムの関係は、サンフランシスコ・ウォリアーズ時代まで遡る。 ハナムはチェンバレンがエースを担うサンフランシスコ・ウォリアーズのヘッドコーチに、1963年に就任した。ハナムは当時からチームの得点がチェンバレンに集中し過ぎていることを問題視しており、チェンバレンにシュート機会をチーム全体に分散させること、もっとディフェンスに力を入れることを要求した。ハナムのこの方針にチェンバレンは不満を持ち、険悪な関係となった2人は激しい口論になることも珍しくなかったが、サンフランシスコに本拠地を移転して以来不振に陥っていたウォリアーズは、ハナムの就任1年目に48勝32敗の好成績を記録し、プレーオフではファイナルまで進出した。しかしファイナルではまたしてもセルティックスの前に敗れる結果となった。翌シーズンのウォリアーズは酷い不振に陥り、チェンバレンはこのシーズン中に76ersに移籍し、ハナムもその次のシーズンを最後にウォリアーズのヘッドコーチを退くことになった。 そしてハナムは76ersのヘッドコーチに就任した。チェンバレンと76ersはその前のシーズンでもプレーオフでセルティックスの前に敗れており、チェンバレンはハナムの方針を受け入れることにした。チェンバレンはNBA入りして以来最低となる平均24.1得点に終わったが、チェンバレンに集中していたシュート回数がハル・グリアら他のチームメイトらに分散されたことで逆に76ersのオフェンス力は大きく向上した。新生76ersはリーグを席巻し、当時のNBA記録である68勝13敗を記録。ハナムの方針が正しかったことが証明された。 プレーオフでは地区決勝でついに、この8年間どのチームもなし得なかった打倒セルティックスをやってのけ、ファイナルに進出。ファイナルの相手は皮肉にもウォリアーズだったが、76ersはウォリアーズを破って優勝を果たした。初めて優勝の味を知ったチェンバレンは以後急速に得点への拘りを捨てるようになり、レイカーズに移籍し、ハナムの指揮下を離れた後も、ディフェンスとリバウンドに専念するようになった。
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