ギター・プレイについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 10:19 UTC 版)
「キース・リチャーズ」の記事における「ギター・プレイについて」の解説
彼のギターの演奏スタイルは、ストーンズの変化と共に発展した。ブライアン・ジョーンズ在籍時にはリード・ギターを担当することが多く(スライド・ギターに関してはブライアンがリード・ギターを担当した)、この当時はチャック・ベリーの影響を大きく受けたスタイルで演奏している。デビュー当初からしばらくは、彼のギターはチャック・ベリーやブルースのコピーの域を越えないものであったが、ジャガー・リチャーズ名義でオリジナル曲を作曲するようになってからは、「サティスファクション」などで、キャッチーなリフを生み出すようになる。しかし、彼が本当の意味で自身のギタースタイルを確立するのは、1960年代後期からである。 1966~67年頃、ストーンズは、当時流行していたサイケデリック・ロック路線の影響を受け、ルーツであるブルースから最も遠ざかっていた時期である。更にミック、キース、ブライアンのドラッグによる逮捕、それに伴うブライアンのバンド内での求心力の消失により、ツアー活動も停滞を余儀なくされていた。この空白期間を利用して、キースは再度、自身のブルースのレコードコレクションを聴き漁り、いわゆる戦前ブルースの研究に没頭した。そして、当時のブルースマンのギター奏法の特徴であった、オープン・チューニングを自身のギターに取り入れていった。そしてその成果は、1968年のヒットシングル「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」とアルバム『ベガーズ・バンケット』に結実した。その一方で、同時期には、いわゆるチョーキング・ビブラートを利かせたギター・ソロへの関心もあったようで、アルバム『ビトウィーン・ザ・バトンズ』あたりでは、その手のプレイに果敢にトライし、翌1968年のアルバム『ベガーズ・バンケット』での「悪魔を憐れむ歌」の間奏では、見事なまでのチョーキング・ビブラートを利かせたギター・ソロを披露している(当初、エリック・クラプトンによるものと噂されていた)。 そしてこの頃、アメリカのカントリー・ロックのパイオニア、グラム・パーソンズとの交流、さらにアルバム『レット・イット・ブリード』のセッションに参加したライ・クーダーのスライド・ギター奏法の影響を強く受け、この時期にオープンGチューニングを取り入れる(ライ・クーダーは「キースに盗まれた」と主張している)。オープンGチューニングは、6弦からD・G・D・G・B・Dにチューニングし、やがてキースは、コードを指1本で抑える際に6弦が邪魔だ、と言う理由で6弦を外した(緩んだ6弦から出る耳障りなノイズを嫌ったともあるインタビューで述べている)。これは、バンジョーの一般的なチューニングと同じである。やがてこれが彼のトレードマークとなり、「ホンキー・トンク・ウィメン」「ブラウン・シュガー」「スタート・ミー・アップ」などといった、数多くのヒット曲がこのオープンGチューニングから生まれた。 1969年ブライアンの脱退により、ミック・テイラーがセカンド・ギタリストとして加入すると、ギターソロはほとんどテクニシャンのテイラーに任せ、自身はリズムに徹するようになる。彼が「史上最高のリズム・ギタリスト」の異名を取るようになるのはこの頃からで、テイラー在籍時の1970年代初頭において、完全に自身のギタースタイルを確立する。他のギタリストと比べた、キースの特徴的な奏法の特徴の一つとして、休符の入れ方が挙げられる。多くのギタリストがオルタネイトピッキングを基調とするコードストロークの延長線上でリフやバッキングフレーズを弾くが、キースはその独特のピッキングスタイルとして、コードストロークを入れずに右腕を宙に浮かせる挙動を度々行う様が観察できる。彼の演奏が生み出す休符のバリエーションが、一見単調に聞こえがちなリフに多彩なバリエーションを与えている。1974年テイラーが脱退し、ロン・ウッドが参加してからは、自身と似たギタースタイルのロンと、どちらがリードで、どちらがリズムとも言えない独特の絡みを聴かせているが、時に自分でもロンとどちらのギターなのか分からなくなるとも語っており、それはライヴで特に顕著になるという。いわゆるスーパー・ギタリスト的なテクニックは持ち合わせておらず、少なくとも現在のレベルから考えればけっして巧いとは言い難いが、単に技術の上下だけでは語れない「キース・リチャーズ」としてのギタースタイルがストーンズ・サウンドの核であり、キース無しではストーンズは存在し得ない。そのスタイルは、多くのギタリストに影響を与え続けている。 デビュー以来、様々なギターを使用しており、60年代では主にギブソンやエピフォン等を使用していたが、最も代表的な機種は、70年代から使用され始めたフェンダー・テレキャスターである。前述の5弦オープンGチューニングは、ほとんどテレキャスターで用いられている。また、ソロアルバム『トーク・イズ・チープ』での活動及び1989~1990年の『スティール・ホイールズ』ツアーでは、本人いわく「久しぶりにグッとくるギターに出会った」「大抵のギターは何かしら自分で手を加えちまうけど、このギターはそのままで素晴らしい」と語る、メーカーから提供されたミュージックマン・シルエットをレギュラー・チューニングでのメインギターとして使用した。現在はレギュラー・チューニングの楽曲では、ギブソンのES-355、レスポールTV等を主に使用している。 一部の楽曲では、ベース、ピアノ、キーボード等も弾いている。先の「悪魔を憐れむ歌」のセッションでもキースがベースを演奏して、本来のベーシストであるビル・ワイマンがパーカッションを演奏している姿が映画「ワン・プラス・ワン」の一シーンで垣間見られる。 また、最近はボーカリストとしての評価も高い。ミックとはまた違ったハスキーボイス(というよりも、彼の場合は「枯れた」と表現する方が正しい)は、非常に個性的である。デビュー当時は線が細めのキーの高い声で、その声はコーラスワークで多用されたが、70年代後期から声質が変わっていき、潰れたドスの利いた声に変貌した(しかしながら、彼のハイトーンが活かされた「ハッピー」は、未だコンサートでの定番曲である)。その分に声に味が出ているといえる。特にバラードにおいては、他の追随を許さない渋い味わいを醸し出している。近年では、ミックの休憩も兼ねて、ライブの中盤にキースが2曲ボーカルを採るのが定番になっているが、この際の選曲の妙でファンを沸かせることも間々ある。
※この「ギター・プレイについて」の解説は、「キース・リチャーズ」の解説の一部です。
「ギター・プレイについて」を含む「キース・リチャーズ」の記事については、「キース・リチャーズ」の概要を参照ください。
- ギタープレイについてのページへのリンク