ギター・ヒーロー期
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「ゲイリー・ムーア」の記事における「ギター・ヒーロー期」の解説
1984年初頭、ソングライターのニール・カーターとの共同作業で制作されたアルバム『ヴィクティムズ・オブ・ザ・フューチャー』をリリース、2月に初の日本武道館での公演を含む2度目の来日公演をおこなった。メンバーはカーターにペイス、クレイグ・グルーバー(エルフ、レインボー)。同年、イアン・ペイスはディープ・パープル再結成のためバンドを去り、7月のアメリカ・ツアーはセッション・ドラマーを起用して続行された。グルーバーはモンスターズ・オブ・ロック出演後に解雇され、1984年の冬からはボブ・デイズリーがベーシストとして参加しているが、ドラマーはその都度用意された。 これを境に様々なドラマー、エレクトリック・ドラムスやプログラミング・ドラムを導入する傾向となる。そして同年、ケルト風ポップ・ソングでヒット曲を持っていたニック・カーショウを手がけたプロデューサー、ピーター・コリンズをリミックスに起用したシングル「Empty Room」がイギリスで最高位51位を記録する。 12月、北アイルランド・ベルファストのアルスター・ホールにて凱旋コンサート。アンコールでのフィル・ライノットとの共演がハイライトとなった。この演奏の模様はドキュメント・フイルム『エメラルド・アイルス』(VHS)に収められてリリースされた。 1985年、ライノットとの共演シングル「アウト・イン・ザ・フィールズ (Out in the Fields)」をリリース。2人の共演は話題を呼び、イギリス国内で最高5位を記録するヒットとなった。9月にはアルバム『ラン・フォー・カヴァー』をリリース。同月からの数公演でライノットがスペシャル・ゲストとして参加。メンバーはニール・カーター、ボブ・ディズリーにゲイリー・ファーガソン (Gary Ferguson)。10月に3度目の来日公演をおこなっている。 1987年には故郷のアイルランドを主題としたアルバム『ワイルド・フロンティア』をリリースし、ノルウェーのアルバム・チャートで1位を記録する。このアルバムは、前年に亡くなった盟友フィル・ライノットに捧げられた。ドラマーにはエリック・シンガーが選ばれ、同年4月、スウェーデン・ストックホルムにてドキュメント・フイルム『Live At Isstadion』(VHS)を収録。7月に来日公演。来日時にはプロモーションの一環としてフジテレビジョンの音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演した。 1988年初頭、前作の路線を引き継いだニュー・アルバムのレコーディングを開始。オジー・オズボーン、サイモン・フィリップス、コージー・パウエルらが参加した『アフター・ザ・ウォー』は、ベルファスト合意後の1989年にリリースされた。期待されたムーアとパウエルによる来日公演はリハーサル段階で頓挫、5月にドラマーにクリス・スレイドを迎えて来日公演がおこなわれた。同月ニール・カーターとのコンビを解消する。 日本マーケットが盛んだったこの時期は、ヴァージン・レコードの日本配給先(当時)であるビクター・レコード契約の歌手浜田麻里が、ムーア作の「LOVE LOVE LOVE」(ギターは松本孝弘が演奏)を録音したり、1986年、東芝EMIからは本田美奈子に楽曲提供(「the Cross -愛の十字架-」: 原曲「クライング・イン・ザ・シャドウ (Crying In The Shadows)」は、日本ではムーア本人のレコーディングでもリリースされている)している。
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