エピソード・主張
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立教大学時代は映画サークル「立教SPP」に所属。このサークルには黒沢清や塩田明彦らがいた。同時期、俳優を志し劇団青俳付属俳優養成所に入所。また、黒沢や石井聰亙の映画にも出演した。 森曰く、大学を卒業しても就職せずに、芝居をしながらアルバイトを転々としていた。当時について、モラトリアムと自己暗示し、「社会に出るのが怖かったんだと思います。社会参加する勇気がなかった。それをなんとか引き延ばそうとしていたんだろうなっていう気がしますね。」と語っている。社会に出ない理由づけとして、「芝居やってるから」って自分に言い聞かせていただけで芝居自体に夢中では無かった、先の事を考えないようにしていたと述べている。そんな中で借金ばかりで家賃滞納で追い出され続ける年収60万円ほどの生活であったが、友人で有名な映画監督になる前の林海象に主役と人集めを依頼されたが、主役の森が撮影前に入院してしまった。しかし、自身の主役代役を務めた佐野史郎のために作品が大ヒットしたことで芝居の才能がないとし、7年続けていたフリーターを辞めることを決意する。一人目の妻はその時に入院してた時に知り合った看護師で、29歳の当時はいい機会だから定職でも就こうかなと結婚し、仕事を転々としながら二人の子供を儲けた。以降に今の仕事をしようとしたが、二人目生まれたばかりと悩んでいた。再婚した妻はライターの山崎広子。 2004年に発表したノンフィクション『下山事件(シモヤマケース)』において「彼」と匿名で登場する取材協力者が、事件に関わる自動車の車種など著者である森に詳細に語る部分が記されていた。2005年7月、当の「彼」である柴田哲孝が、『下山事件 最後の証言』(祥伝社)を実名で発表。書中で森の書いた証言部分は事実ではないと指摘した。森は2006年の『下山事件』の文庫化に際し「付記」の中で、「こんな場合、おおむね語られた人よりも語った人の記憶のほうが正しい」「つまり僕は圧倒的に分が悪い」「この本に記したように柴田から聞いた記憶があるけれど、それは糺されねばならないだろう」と、ほぼ柴田の指摘を認め、あくまでもミスに過ぎず、意図的な捏造ではないとも述べ、記憶通りに書いたことを理由に、本文自体は変更せず「謝罪はしない。なぜなら自分が間違ったことをしたとは思っていない」と述べ、この付記を含めて、評価は読者であるあなたがすることなのだから、と結んでいる。 2013年に従軍慰安婦について、「多くの韓国人女性が、自分たちは強制的に連行されたと訴えている。ならば現場レベルでは(国家とか組織とか個人とか多少とか関係なく)絶対に強制はあった。文書や資料が見つかっていないことだけを理由にして、国家は関与していないとか軍は組織的に関わっていないとの言説は成り立たない」と主張している。 2005年の『言論統制列島』では「僕は、思想・信条から自由でありたいというか、むしろ特定の思想・信条やイズム(主義)にどうしても埋没できない。だからね、左でも右でも、まあ、どっちでもいい」「マルクスなんか読んだこともない」と発言している。一方では護憲派を広言しており、2016年に選挙権が18歳に引き下げられた際にコメントを求められたとき、「(自民党に投票するくらいなら投票を)棄権して欲しい」と発言している。 神戸連続児童殺傷事件の加害者「元少年A」が出版した『絶歌』について、被害者遺族が「手記を出版されたくない」と感じるのは当たり前だが「出版をやめさせて本を回収すべきだ」という意見に対しては言論や表現を封殺してよいのかとの疑問を感じる。論理も大事だと訴えたい。禁書や焚書を生む社会が個人に優しい社会とは思えない。出版に際し遺族の了解を得るべきだったとの意見もあるが、「そうすべきだった」とは言いたくない。遺族の事前了承を出版が必要とする社会ルールにすれば、加害者の経験や思いがブラックボックスに入ってしまう可能性がある。「意味のある本だから出版されるべきだ」ではなく、「多くの人が納得できる意味づけがなければ出版されるべきではない」という空気が強まることが心配と語っている。
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