その他の伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 08:55 UTC 版)
「タツィオ・ヌヴォラーリ」の記事における「その他の伝説」の解説
初めて自動車を走らせたのは1905年で、夜に父親の車をこっそり持ち出して練習した。なお、バイクはその前年におじのジュゼッペの勧めで乗ったという。 1925年、フランスグランプリにおける事故でエースドライバーのアントニオ・アスカリを失ったアルファロメオは新たなドライバー候補としてヌヴォラーリをテストした。ヌヴォラーリは初めて走るサーキット・初めて走るクルマで5周走っただけで、アスカリのラップタイムとほぼ同タイムを叩き出したが、6周目にギアボックストラブルによってクラッシュしてしまい、背中に全治1ヵ月の重症を負う。しかしその6日後、病院を抜け出し、包帯を巻いたままバイクに跨って大雨のイタリアグランプリで優勝した。 1926年はバイクレースで3度もの大事故に見舞われた。シュトゥットガルトでのレースで大怪我を負った際はドイツの新聞に死亡記事を書かれた。 1930年、ダンドナルドの市街地コースで行われたRACツーリスト・トロフィーにて、とあるドライバーが肉屋のガラスを壊してしまったのを見たヌヴォラーリは、歩道に乗り上げてハムを掴もうとした。ヌヴォラーリはジョーク好きで、このような突飛な行動に出ることもしばしばあったという。 1930年のミッレ・ミリアでは、夜間走行中、先行車に気づかれないようヘッドライトを消して追走し、抜き去って優勝した。 1932年のタルガ・フローリオでは、重心を下げる目的で同乗するメカニックをマシンの床に寝かせて走り、圧倒的な速さで優勝した。 1934年、豪雨の中で行われたアレッサンドリアでのレースで大クラッシュし、左足に大怪我を負う。しかし、入院生活に飽き、4週間後にはアヴスでのレースにエントリー。左足でクラッチを操作できなかったので、右足で操作できるよう特別に改造したマシンで参戦した。レースでは足の痛みに苦しめられたが、マシントラブルが起きるまで決してマシンを降りようとはしなかった。 1936年のトリポリグランプリでは、練習走行中に大クラッシュし、脊椎を損傷した。しかし、翌日には痛みに耐えながらレースに出場し、8位でフィニッシュした。 1937年、チェコスロバキアのブルノグランプリでは、左後輪がパンクしたまま3輪走行を続けて優勝した。 1946年のブレッツィ杯では、走行中にステアリングが突然脱落するも、外れたステアリングを片手に持ち、別の手でスパナをステアリングコラムに差し込んで操舵し走り切った。 1946年のミランでのレースでは、走行中に吐血。しかし片手でハンカチを持って口を覆い、残りのレースのほとんどをもう一方の手だけで走り切った。 1948年のミッレミリアでは、マシンからフェンダーやボンネットが脱落しながらも力走を続けた。トップを守りながらもサスペンション故障で力尽きたが、自身最後の伝説を残した。 ただし、数多い伝説の中には、ヌヴォラーリの走りに興奮したイタリアのマスコミが誇張して伝えたものもある。1930年ミッレミリアの真相として、夜明け間近でヘッドライトが必要なかったとも言われる。
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その他の伝説
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松浦静山の随筆『甲子夜話』によれば、雷獣が大きな火の塊とともに落ち、近くにいた者が捕らえようとしたところ、頬をかきむしられ、雷獣の毒気に当てられて寝込んだという。また同書には、出羽国秋田で雷と共に降りた雷獣を、ある者が捕らえて煮て食べたという話もある。 また同書にある、江戸時代の画家・谷文晁(たに ぶんちょう)の説によれば、雷が落ちた場所のそばにいた人間は気がふれることが多いが、トウモロコシを食べさせると治るという。ある武家の中間が、落雷のそばにいたために廃人になったが、文晁がトウモロコシの粉末を食べさせると正気に戻ったという。また、雷獣を2,3年飼っているという者から文晁が聞いたところによると、雷獣はトウモロコシを好んで食べるものだという。 江戸時代の奇談集『絵本百物語』にも「かみなり」と題し、以下のように雷獣の記述がある。下野の国の筑波付近の山には雷獣という獣が住み、普段はネコのようにおとなしいが、夕立雲の起こるときに猛々しい勢いで空中へ駆けるという。この獣が作物を荒らすときには人々がこれを狩り立て、里の民はこれを「かみなり狩り」と称するという。二荒山付近でもこの獣を見る人がおり、江戸中期の学者・新井白石も随筆にこのことを詳しく記している。 関東地方では稲田に落雷があると、ただちにその区域に青竹を立て注連縄を張ったという。その竹さえあれば、雷獣は再び天に昇ることができるのだという。 戦国時代の武将、立花道雪は、雷に打たれ半身不随になったが、その後も輿に乗って戦い鬼のような強さを見せたため「雷獣を斬った際に半身不随となった」という伝説ができた。
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その他の伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 11:00 UTC 版)
クロアチア内の遠く離れた二地域、すなわち北クロアチア・ザゴリェのクラピナ付近におけるカイ方言地域と、アドリア海沿岸・ダルマティア中部のポルィツァ付近におけるチャ方言地域にも、若干の人名の変化を含みつつも似たような伝説が伝えられている。クロアチアにおけるこの伝説は、1940年にS・サカチが詳しい分析を行っている。
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