『新羅古記』大祚栄「高麗ノ旧将」論争とは? わかりやすく解説

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『新羅古記』大祚栄「高麗ノ旧将」論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:19 UTC 版)

渤海 (国)」の記事における「『新羅古記』大祚栄「高麗ノ旧将」論争」の解説

一然『三国遺事』のなかで、逸文の『新羅古記』を引用して大祚栄を「高麗ノ旧将」としている。また、李承休(朝鮮語版)の『帝王韻紀中国語版)』にも「前麗ノ旧将大祚栄」とある。韓国ではこれを根拠にして、大祚栄高句麗武将だったから高句麗人であるという主張がある。 新羅古記云、高麗舊將祚榮姓大氏、聚殘兵立國於大山南國號渤海高句麗武将であった大祚栄が、残兵集めて大伯山の南方に国を建て、渤海号した。 — 三国遺事巻一靺鞨一作勿吉渤海 中国語版ウィキソースに本記事関連した原文あります三國遺事/卷第一#樂浪國 前麗旧将大祚栄、得拠太白山南城。今南柵城也。五代史曰、渤海本粟靺鞨、居営州東。前麗ノ旧将大祚栄中略五代史ニ曰ク、渤海ハ本ト粟(末)靺鞨ナリ。 — 李承休、帝王韻紀、巻下 韓国渤海研究者渤海帰属問題核心は、建国大祚栄高句麗武将出身で、日本派遣され渤海使が自らを高句麗継承国であると自称した事実挙げている。 韓国歴史教科書高校国史」は、「7世紀末に至り、唐の地方対す統制力弱まった時、高句麗武将出身大祚栄中心とした高句麗遺民靺鞨集団は、戦争被害をほとんど受けなかった満州東部地域移動して吉林省敦化市渤海建国した」と記述している。 전영률(朝鮮社会科学院歴史研究所所長)は、以下のように述べている。 新羅支配層が外勢(唐)を引き込んで高句麗百済滅亡させた。高句麗領土北部は唐の支配下置かれた。新羅朝鮮半島大同江以南のみ支配しただけだ。高句麗故地には、高句麗遺民靺鞨族と一緒に高句麗武将である大祚栄指揮のもと渤海国698926年)を立てた。...したがって新羅統一国家ではなく国土南部輝いた朝鮮の地域王朝過ぎず私たち歴史最初統一国家高麗ということ科学的に明らかになった。 — 전영률 健才(吉林省文物考古研究所)は、仮に『新羅古記』の内容正しく大祚栄が「高麗舊將」だったとしても、漢人ではない高句麗人である高仙芝百済人である黒歯常之が唐から官職受けた唐の武将であったように、大祚栄高句麗武将であったとしても高句麗人という証拠にはならない指摘しあわせて靺鞨人でありながら高句麗武将であった生偕のような人物がいたことも指摘している。 石井正敏は、「『新羅古記』は現在佚書となっており、その成立をはじめ、史料性格不明である。したがって本文に『高麗ノ旧将』とあるのは、例え『旧唐書』に、『祚栄驍勇ニシテ善ク兵ヲ用』いたと伝えられていることなどに基づく表現かとも憶測される。その場合、当然本書成立高麗朝に入ってからのこととなり、ここに新羅時代記録とみなすことは不適当であろう」、「『三国史記渤海関係記事不採用一つ理由推測される渤海靺鞨人の国である』」という意識が、『三国遺事』にも表れているように思われるそしてこうした理解は『帝王韻紀中国語版)』にもみえる。李承休(朝鮮語版)著『帝王韻紀中国語版)』は『三国遺事』成立とほぼ同時代一二七年編纂されている。上下二巻より成り中国・朝鮮歴代王朝の事蹟七言を以て叙述している。(中略このように、『前麗ノ旧将大祚栄』としながらも、分註に『五代史ニ曰ク、渤海ハ本ト粟(末)靺鞨ナリ』と記しているのである」と述べている。 李鍾旭朝鮮語: 이종욱、西江大学)は、「高句麗歴史をもっと深く観察する必要があります領土内には靺鞨族があちこち住んでいました西北には契丹族住んでいました高句麗粛慎征伐しました。鴨緑江松花江一帯取り囲む大陸内に様々な種族住んでいたのです。したがって高句麗人が王を輩出したときは高句麗となり、靺鞨族が王を輩出したときは靺鞨または渤海契丹が王を輩出すると遼、女真族建国した国は金となります」「朱蒙が国を建国したときには既に鴨緑江中流·上流地域には『靺鞨』と記録され種族がいた。朱蒙はそれらを制圧し、それらの上君臨したのです。高句麗建国から滅亡するまで、高句麗の地には高句麗人と靺鞨族が共存していたのです。高句麗新羅侵攻するとき、靺鞨軍を動員します。唐太宗高句麗遼東城を攻撃したときも、高句麗靺鞨軍を派兵し対抗させます。ただし、高句麗人と靺鞨族は融合して住んでいたのではなく互いに居住地域異にしていたのです。したがって靺鞨軍を指揮する者は、当然靺鞨でしょう大祚栄高句麗武将とはいえ靺鞨出身靺鞨軍を指揮したとみています」と述べている。 Kim Aleksandr Alekseevich(ロシア語: Ким Александр Алексеевич)は、大祚栄生年不明だが、719年死亡している。一方高句麗668年滅亡しており、大祚栄年齢高句麗の滅亡時期鑑みると、若者武将地位授かることはないため、大祚栄高句麗武将だった可能性は低いとみている。

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