『新語』の歴史
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以上のエピソードは、それから約100年後に司馬遷がまとめた『史記』によって知られる。司馬遷(あるいは父の司馬談)は、『新語』を読んで「まことに当世の弁士である」という感想を記した。 後漢に著された『漢書』芸文志は、前漢末に存在した書物の図書目録であり、そこには陸賈『楚漢春秋』という歴史書、「陸賈賦」という賦、そして「陸賈23篇」という儒家に属する本の3つが載っている。『新語』は見えないが、23篇の中に新語12篇が含まれていると推定する説が有力である。 宋代の王応麟は、『玉海』で、漢の陸賈の『新語』で「今、世に存するのは道基・術事・輔政・無為・資賢・至徳・懐慮のあわせて7編」と記した。今の本に資質とあるところが、この言では資賢となっている。 それが明代には12篇完備した版本になり、現代まで伝わる。弘治本、范氏天一閣本、漢魏叢書本の似通った3本と、それとやや異なる子彙本がある。四部叢刊、四部備要は弘治本を収める。王応鱗が見たのと別に完本があったのかもしれない。7篇残っていたのを一部分割して12篇にしたのではないかという説もある。
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