から‐すき【唐×鋤/×犂】
すき【×鋤/×犂】
犂,ハテシキイザイ (すき,はてしきいざい)
ハテシキイザイと呼ばれている。ごく最近まで南西諸島全域から南九州の一部で広く使われた畑用犂である。イザリ、ユザリ等の呼び名は、イザリ(躄)の転訛で、犂さきと犂床で土を分けて通るのがいざりに似ていることから出た名称である。宮古、八重山諸島では同じ犂をヤマ、ダマと呼ぶ。この犂は元来二頭引無反転が一頭引用犂を原型にしたもので、長いねり木が一頭引用に短小化したが、左右対称の狭い犂さきと長い犂床はそのままに無反転犂として使われてきた。それはこの犂の使用地域が琉球珊瑚石灰岩を母岩とする、小石混じりの畑土壌で、その耕うんや中耕、作条そして甘藷の掘取作業等によく適応する犂であったことを示している。わが国本土の長床犂と同じ四辺形枠組をもつ犂であるが、犂へらのない点、ねり木が上向き角度をしている点が大きく異り、その由来を異にすると考えられる。犂床の長さ62cm、ねり木の長さ127cm、重さ9kg。 |
犂 (すき)
わが国の畑地は火山灰土地帯に多く、従来の水田犂では、犂体面に土が付着して土れきの反転が悪く、また深耕も難しかった。その改良の成果の一つがこの高北式畑用犂で、ホークへらにして土の付着を少なくし、曲度を緩やかにしかも長く、上端の幅を広くして耕起した土のへら上で流れを無理なく、放てき反転させようとしたものである。いずれも弾性へらが用いられており、種々の土壌に適合するように、へら面の捻曲度を自由に調節できる構造を有していた。犂床の摩耗抵抗を減らし、しかも吸込みをよくして深耕をはかるためのハイヒール型犂床を採用している。昭和20年代末から30年代の始めにかけて改良された犂である。土の母号と名ずけた畑犂1号で、以後改良ごとに号を重ねた。犂先の長さ18.5cm、幅19.5cm、へらの長さ41cm、幅23cm(ホーク5本)ねり木の長さ116cm、重さ15.2kgである。 |
犂
姓 | 読み方 |
---|---|
犂 | からすき |
犂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 06:10 UTC 版)
日本においてプラウは、その伝来の経緯から犂(すき)と呼ばれ、カラスキ(唐犂)、もしくはクビキスキ(軛鋤・頸木鋤)や牛(馬)引き鋤(うしびきすき、ぎゅうひきすき/うまびきすき、まびきすき)・牛鋤/馬鋤(うしすき、ぎゅうすき・うますき、ますき)とも呼ばれていた。正倉院に収蔵されている子日手辛鋤(ねのひのてからすき)は、758年正月の行事に使われたと伝えられており、また、滋賀県草津市の中畑遺跡からは平安時代のカラスキが出土している。なお、牛馬に牽引させる犂(すき)と手に持って使う農具の鋤(すき)は異なる農具である。また、「犂」という漢字は俗字扱いであり、正字体は「犁」である。 犂の種類には、中国から伝来し、大化の改新の時代、時の政府が推奨した長床犂と、朝鮮半島からの渡来人がもたらした無床犂があり、長床犂はプラウのヒールに相当する床が長く、安定して耕起することが出来て取り扱いやすい反面、大きな牽引力が必要で長い床の為に深く耕すことが出来なかった。一方、無床犂は床がないために深く耕すことが出来たが、取り扱いには熟練を要し、その取り扱う姿から抱持立犂(かかえもったてすき)とも呼ばれた。 最初に犂が伝来した九州の北部をはじめ、西日本では犂を使っての耕起が盛んであった。後に明治から大正期にかけて長床犂、無床犂それぞれの長所を取り入れた日本独自の短床犂が作られ、畜力による犂耕が全国的に普及した。その後、牛や馬による畜力から、内燃機関を原動力にしたティラーや耕耘機へと牽引の動力は移り変わり、昭和30年代、耕耘機によるロータリー耕が普及したことにより、稲作での犂による耕起法は衰退した。
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犂
「 犂」の例文・使い方・用例・文例
- 犂で地を耕す
- 犂鋤取る
- 犂の身
- 犂の柄
- 底がある犂
犂と同じ種類の言葉
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