作品と作風
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「アレッサンドロ・マンゾーニ」の記事における「作品と作風」の解説
はじめは古典的な詩を作ったがやがてロマン主義に転じ、高雅な言葉でキリスト教徒としての心情を歌った詩『聖なる讃歌 Inni sacri』『La resurrezione』『Pentecoste』などを書いた。またナポレオンを悼んだ詩『五月五日 Il cinque maggio』(1821年)はゲーテによってドイツ語に翻訳された。悲劇『カルマニョーラ伯 Il Conte di Carmagnola』『アデルキ Adelchi』は部分的な美しさをもつが舞台向きではない。主著は歴史小説『いいなづけ I promessi sposi』3巻(1825-26年)である 。(なお、同書は『婚約者』と訳される場合もある)。 1823年『ロマン主義について』を書き、新しい流派の説を詳しく展開しているが、その要旨は神話と古典への盲従を排し、修辞法則を否定し、それに対して「意図としては有益であること、主題としては真実であること、方法としてはおもしろさ」を追求するべきである、というものだった。さらにイタリア語の統一という問題について多くの論文を書いて、イタリア語の中のトスカーナ性を擁護し、名作『いいなづけ』によってトスカーナ語を基本とする近代イタリア標準語をいちおう完成させたといえる。
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作品と作風
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ほとんどの絵のサイズは小さく20cm×25cmである。41cm×51cmの絵が3枚だけ確認されている。茶ツボ、ティーポット、ちり取り、クッキーシート、薪ストーブなど家庭内のほとんどの物品、扉、雨戸、外壁、壁紙。家のあらゆるものがモードのキャンパスだった。家全体(内部の物品を含めた)がモードの作品である。 モチーフは自分の住む田舎の風景、動物、草花、蝶などであった。 絵画手法は、先ず輪郭を描き、絵の具のチューブから直接キャンパスに描いた。色を混ぜることは無かった。原色が多く使われるが、バランスの良い配色がされている。遠近法が用いられることはあるが、影は描かれない。素朴で明晰な画面。動物はユーモラスに描かれる。
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作品と作風
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「セルゲイ・スロニムスキー」の記事における「作品と作風」の解説
存命中なので作品数は増え続けているが、現在100曲以上の作品を創作しており、5つのオペラ、2つのバレエ音楽、少なくとも30の交響曲(2011年、「作曲家社」より交響曲第30番のスコアが発売された。第27番はミヤスコフスキーの思い出に捧げられている)、各種の室内楽・声楽曲・合唱曲・劇場音楽・映画音楽がある。また、《チェロ協奏曲》やピアノと管弦楽のための《ユダヤ狂詩曲》などがある。 ジャズや新ロマン主義様式を採用するなど、非常に折衷的な作風を採るが、国民楽派的な作曲様式を十二音技法と結びつけたり、新しい記譜法を試みるなどの実験的な要素も見られる。 サンクトペテルブルクのコンポジートル社(作曲家社)から、70冊以上のスコアが出版されている。
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作品と作風
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ヴィトゲンシュタイン後期の思想に刺激を受けている。『哲学探究』で語られる言語ゲームからの影響が、ナウマンの言葉遊びの作品などに顕著に見られる。ラ・モンテ・ヤングの前衛音楽(とくに始まりと終わりのない音楽というアイデア)やジョン・ケージの芸術思想にも影響を受けている。
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作品と作風
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「ギヨーム・デュファイ」の記事における「作品と作風」の解説
百年戦争の休戦期にイングランドのジョン・ダンスタブルが伝えた3度や6度の協和音程、フランスのイソリズムを含むポリフォニー音楽、青年期に接触した旋律優位のイタリア音楽(トレチェント音楽)を統合し、イタリアで活躍したフランドル人チコーニアなどの影響を受け、ルネサンス音楽を開拓した。しばしば「ルネサンス音楽におけるバッハ」(皆川達夫)、15世紀最大の巨匠と評価される。バッハがバロック音楽時代の最盛期から終期に活躍したのに対し、デュファイはルネサンス音楽の開始にあたって大きな貢献をした。したがって、デュファイの初期から晩年までの作風の変化を追ってゆくと、中世的要素が、その後の創作活動を通じてルネサンス音楽へと成熟してゆく過程を跡付けることが、ある程度まで可能である。ブルゴーニュ楽派の中心的人物であるが、その後期の作品には、ルネサンス音楽の次の時代でありヨーロッパ普遍の音楽様式を確立するフランドル楽派に通じる要素も見られる。 宗教作品(76のモテット、9のミサ曲)と83の世俗作品(シャンソン、バラード、ロンドー)の約200曲の作品が知られている。デュファイ以前のミサ曲が三声だったのに対して、その中期の作品から四声を主に用いるようになった。更に、各楽章を同じ冒頭モチーフで始まるようにした。デュファイ後のミサ曲の多くは、循環ミサ曲の形態をとるが、この形態を確立したのはデュファイであるといってよい。フォーブルドンFauxbourdonと呼ばれる和音の手法を用いた聖歌にも特徴がある。シャンソンには、親しみやすいメロディーを持つものが多い。レクイエムも作曲したが、その作品は失われたままになっている。デュファイの音楽には、その音楽的形式だけでなく、ルネサンス的な「人間」を感じさせる表現があるのが特徴である。
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作品と作風
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「フランシスコ・タレガ」の記事における「作品と作風」の解説
タレガは、20世紀のクラシックギターを基礎付け、独奏楽器としてのギターに対して関心が増して行くきっかけを作った人物と見做されている。大ギタリストのアンドレス・セゴビアは、技巧がかったタレガ作品のほとんどを取り上げ、クラシック・ギターをヨーロッパ中のコンサートホールに送り込むのに多くのタレガ作品を利用した。 タレガは《アルハンブラの思い出 Recuerdos de la Alhambra》《アラビア風奇想曲 Capricho Árabe》《ムーア人の踊り Danza Mora》などの自作のギター曲のほか、ベートーヴェンやメンデルスゾーン、ショパンらのピアノ曲をギター用に編曲した。友人のアルベニスのような同時代のスペイン人作曲家と同じく、当時の支配的なロマン派音楽の風潮にスペインの民族音楽の要素を取り込んだ。アルベニスのいくつかのピアノ曲(《アストゥリアス(伝説)》など)をギター用に編曲したものは有名。近年は、ベートーヴェンの交響曲や室内楽、ワーグナーの序曲などを部分的に編曲したものが評判になった。 タレガは、有名な旋律の数多い作曲家でもあり、その作品はしばしば広告放送や映画音楽などにも利用されている。上記の作品のほかに、《涙 Lagrima》や《夢》、それぞれ女性名がつけられている《2つのマズルカ》、打楽器的な効果も飛び出す《グラン・ホタ》など。タレガはヴィルトゥオーゾではあったが、作曲家として心酔したショパンに似て、作品においては詩的情緒と超絶技巧の融和を何よりも追究している。タレガと同時代の著名なギター奏者で作曲家のアンヘロ・ヒラルディーノは、タレガの《9つの前奏曲 9 Preludios》について、「凝縮されたかたちで表現された、タレガの最も深みのある楽想」と呼んでいる。
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作品と作風
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「ヴィルヘルム・ハウフ」の記事における「作品と作風」の解説
ハウフの短い作家時代は1825年に"Memoiren des Satan"(サタンの回想)、"Othello"(オセロ)など数作の中編小説の発表とともに始まった。 "Lichtenstein (1826)"(リヒテンシュタイン)はロマン主義の歴史小説で、今日では(児童文学を除けば)ハウフの最も良く知られた作品である。オペラ、戯曲、影絵芝居にもなっている。
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作品と作風
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「バンジョー・パターソン」の記事における「作品と作風」の解説
詩の代表作の一つ『ワルツィング・マチルダ』には曲が付き、オーストラリアの最も有名な歌となった。"The Man from Snowy River"(スノーウィー川から来た男)に関しては、1982年にこれをモチーフにして映画が作られた。 パターソンの詩では、多くの場合、オーストラリアの田舎に対し極めてロマンティックな見方が示されている。パターソン自身は田舎の人間ではなく、オーストラリア人の大半と同じく都市生活者であり弁護士だった。パターソンはしばしば同時代の散文家ヘンリー・ローソンと比較される。ローソンの作品はロマンティシズム抜きで、19世紀後半のオーストラリア奥地の実態を厳しく描き出している。 パターソンは二冊の長編小説を書いている。"An Outback Marriage" (1906) と "The Shearer's Colt" (1936) である。短編は数多くあり、短編集にまとめられている。記者としての体験に基づいた著作には"Happy Dispatches" (1934) がある。また、"The Animals Noah Forgot" (1933) という児童書の著作もある。
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作品と作風
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「シジズモンド・ディンディア」の記事における「作品と作風」の解説
ディンディアの作品は、当時のほとんどの音楽形式による声楽曲で占められている。すなわちモノディ様式、マドリガーレ、モテットである。モノディ様式による作品は、ディンディア作品の中でも最も数多く、重要な部分を占め、種類も多い。アリア(通作歌曲と有節歌曲がある)、ラメント、モノディ様式のマドリガーレ、グラウンド・バス技法による変奏形式の歌曲など。 様式的にディンディアの作品は、同時期のモンテヴェルディとの共通点が目立っている。表現力豊かな半音階、異様な解決をともなう不協和音、ドラマに対する鋭い直感である。長めのモノディ歌曲のいくつかは、事実オペラの場面を彷彿とさせるが、ディンディア自身は特に「オペラ」と呼ばれるような作品は書いていない。 ディンディアのポリフォニー様式のマドリガーレは、テクスチュアの発想をジェズアルドに負っており、緩やかで強烈な半音階の楽想と、軽やかで、ほとんど興奮したような全音階的なパッセージとを重ね合わせるというテクスチュアを採っている。この意味においてディンディアはジェズアルドの唯一の後継者であった。ディンディアの後期作品のいくつかは、一つの曲の中で、同時代のイタリア人作曲家のほとんどすべての影響を示した、類のない作品もある。
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作品と作風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 10:05 UTC 版)
確認されている作品は木版刷りの絵はがき・絵封筒・カレンダーなどが約700点。そのほとんどが絵はがき・絵封筒である。(正確な作品数は不明) 絵はがき 4枚を1セットとし販売される。 かいちがデザインした袋に入っている。 1セット中の4枚はそれぞれ少しずつ図案が異なり、4枚を並べる事で移ろう時間の流れや登場人物の心情の変化を示すストーリーが表現される。 「現代的版画抒情絵葉書」(全38集)と名付けられ販売されたものがある。 『君待つ宵』 4枚1セット 1900年代 さくら井屋版 絵封筒 同じ図柄の5枚を帯で封じて1セットとし販売される。 大きさは数種類あるが、すべて現代の封筒より小ぶりである。 絵封筒のモチーフには人物は少なく、デザイン性が高い。 作品の画面はシンプルでシャープな線と面、印象的な色彩表現によりアール・デコ様式の装飾性を持ち「京都のアール・デコ」とも称される。モチーフはハート・月・星・薔薇・トランプ・十字架・女性などロマンティックなものがよく使われているが、当時の人気漫画「正チャンの冒険」・クロスワードパズル・松井須磨子の歌謡曲など、大正末期の流行を取り入れたものも少なくない。当時にはモダンと呼ばれた西洋的な様式やモチーフと日本的な雰囲気との調和は華やかな大正ロマンを感じさせるが、目鼻立ちが描かれていないにもかかわらず物憂げな心情を感じさせる女性像など、装飾性を持ちながらメランコリックな雰囲気を醸し出した作風には表現主義の影響が見てとれる。
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作品と作風
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「アナトーリイ・ドニェプロフ」の記事における「作品と作風」の解説
第一作は1958年に発表された。作品はSFの中・短編が主体である。ドニェプロフは、科学上の仮説を基にしたアイディアものや、現役の科学者らしい問題意識(科学者の倫理・責任、科学の発展の社会的影響など)に基づくテーマの作品を得意とした。作風は時にユーモラスで、風刺的(反軍事的)な傾向を持った。ユーゴスラヴィア出身のSF批評家ダルコ・スーヴィン(Darko Suvin)は、彼を「エフレーモフ、ストルガツキーと共に現代ソ連SFの開拓者の一人である。」(より引用)と位置づけている。 "Уравнение Максвелла (1960)"(マックスウェル方程式)、"Формула бессмертия (1963)"(不死の公式)、"Пурпурная мумия (1965)"(赤紫のミイラ)、"Пророки (1971)"(預言者たち)など複数の個人短編集があるが、まとまった形での日本語訳はなされていない。アンソロジーや雑誌に収録された既訳作品としては、クローンを扱った「規格人間生産工場」、自律機械の暴走を通して科学者倫理を問う「蟹が島を行く」、モデル実験を通じて資本主義を否定する「私が消えた」など十数編がある。
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作品と作風
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「ゲオルギー・グレーヴィッチ」の記事における「作品と作風」の解説
代表的な小説作品としては«Иней на пальмах (1954)»(棕櫚の霧氷)、«Пленники астероида (1962)»(アステロイドにとらわれて)などが挙げられるが、いずれも未訳である。日本語訳のある作品は短編・中編小説を中心とした数作に留まる。例えば、大掛かりな惑星開発の物語«Первый День Тврения»「創造の第一日」、宇宙探検に命をかける飛行士たちの姿を描いた«Инфра Дракона»「竜座の暗黒星」などである。ソ連文学研究家の飯田規和はグレーヴィッチの作風について「技術者らしい発想と叙情性がグレーヴィッチの本領である。」との評を述べている。
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作品と作風
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『「ムットーニとは、アーティスト武藤政彦の別名であり、彼が作り出す作品そのもの」の事でもあります。 その作品は、立体のカラクリ箱であり、動き・光り・そして音楽などの要素が絡み合った、小さなストーリーボックス』以上、公式サイトより。 作品は「おはなし玉手箱」とも、作家の呼称と同じく「ムットーニ」とも呼ばれる。人形、箱、背景、音楽、照明、物語(ストーリー)に、作家本人による語り(口上)や時には楽器演奏なども加わる「総合芸術」である。その為、ほとんどの展覧会では作品の稼動にあわせ、ムットーニ本人が作品に込められたストーリーや機構的な説明を語る「上演会」が行われる。しかし、そのストーリーは作家自身が「見る人それぞれの物語があっていい」と言う通り、決して固定的ではない。「自動人形師」という肩書きを名乗ってはいるがその作品は、機械仕掛けの人形に人間や動物の精巧なモノマネをさせる、いわゆる自動人形(オートマタ)とは全く異なり、人形はあくまで「その世界の登場人物」としての役割を担っているに過ぎない。作品の多くは古いジャズナンバーやクラシック音楽に乗せて稼動する、ファンタジックでノスタルジアなものが多いが、ブラックユーモアや独特のエロスを感じさせるものもあり多様である。 記念碑的作品としては1987年製作、発条(ぜんまい)式第1号作品「天国と地獄」(作家所蔵)がある。 その後、電動式作品、テープ音源内蔵作品、CD音源内蔵作品を順次製作。 2008年にはまったく人形の登場しない「翼の日記」や、2009年には「STAIN」「FIN」など小さな穴から箱の中の世界をのぞき込む「キネトスコープタイプ」と題した作品を制作。通常、大型作品は作家所蔵、小型作品は個人所蔵。 世田谷文学館、江戸川競艇場、鳥取市わらべ館、高知県立牧野植物園、福井県ふるさと文学館には作品が常設展示されている。
※この「作品と作風」の解説は、「ムットーニ」の解説の一部です。
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作品と作風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 04:21 UTC 版)
最初期には音列技法を採用するものの、次第にその技法に疑問を感じるようになり、独自の音響哲学を探求する。ポーランド楽派との出会いが決定的となり、「ゾーン」、「リフレクション」、「エクソルシズム」の三作で国際的名声を確実にする。同世代の作曲家の中では邦楽の知識も抜きん出て豊富だったものの、邦楽器の作品に着手するのは80年代と比較的遅かったが、緊張力に溢れた「風の塔」、「巫覡」などの作品を発表している。 「ゾーン」の作曲には自らヴァイオリンを手にとって特殊な効果を確認しながら作曲にあたっており、身体性を重視している。 「風紋」は「テープ部分は同一」ではあっても、その上にかぶせる楽器法が全て違っている為、下山の楽器法と音色美の推移が確認できる連作である。 作品は多くがツェルボーニ社とマザーアース社と日本作曲家協議会から出版されている。
※この「作品と作風」の解説は、「下山一二三」の解説の一部です。
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