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ショパン [Frédéric François Chopin]
音楽用語辞典 |
ショパン(フレデリック・ショパン)
品種登録データベース |
ショパン【ショパン】(草花類)
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登録番号 | 第14254号 |
| 登録年月日 | 2006年 3月 24日 | |
| 農林水産植物の種類 | ゆり | |
| 登録品種の名称及びその読み | ショパン よみ:ショパン |
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| 品種登録の有効期限 | 25 年 | |
| 育成者権の消滅日 | 2006年 3月 24日 | |
| 品種登録者の名称 | フレッター&デン ハーン ベヘール社 | |
| 品種登録者の住所 | オランダ王国 2231BD レインスブルフ ウフストヘースタアウェッヒ 202 A | |
| 登録品種の育成をした者の氏名 | ビム フレッター | |
| 登録品種の植物体の特性の概要 | ||
| この品種は、出願者所有の育成系統どうしを交配して育成されたものであり、花は中輪の濃紫ピンク色のスカシユリ型の切花向きの品種である。草丈は75~99㎝、茎の直径は5.0~9.9㎜、上部及び中部の色は淡緑、下部の色は淡褐、毛じは無、節間長は茎の中央部は5~9㎜、止葉下は10~19㎜である。葉序は2/5、葉の全体の形は狭披針形、ねじれは無、葉幅は5~9㎜、葉長は9~11㎝、葉の光沢は無、葉数は多、葉の着生角度は30~59゜である。つぼみの形はⅡ型、花の向きは15~29゜、花房の形状は総状花序、全体の形はスカシユリ型である。花径は120~149㎜、内花被の幅は40~49㎜、長さは6~8㎝、外花被の幅は20~29㎜、長さは6~8㎝である。花色は花弁の基部は淡紫ピンク(JHS カラーチャート9502)、地色、中肋部及び縁部は濃紫ピンク(同9213)、裏面は穏紫ピンク(同9511)である。内花被1枚の斑点の数は20~29、外花被1枚の斑点の数は1~9、つぼみの色は紫ピンク(同9211)、内花被の形はⅤ型、外花被の形はⅦ型、内花被の先端の形状はⅢ型、反転の程度はⅦ型、外花被の先端の形状はⅥ型、反転の程度はⅦ型、花被のねじれは1/8未満、花被上の乳状突起は無である。花糸の色は紫、花粉の色は赤褐、第一花梗の長さは30~59㎜、花梗の太さは中、色は緑、花梗への葉の着生は有、第一花梗の向きは30~59゜、一花茎の花数は中、花の香りは無、開花期はやや早である。「ビバルディ」及び「サンシーロ」と比較して、花弁の地色が濃紫ピンクであること、外花被の形がⅦ型であること等で区別性が認められる。 | ||
| 登録品種の育成の経過の概要 | ||
| この品種は、1990年に出願者の温室(オランダ王国)において、出願者所有の育成系統どうしを交配し、その実生の中から選抜、以後、増殖を行いながら特性の調査を継続し、1996年にその特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 | ||
ピティナ・ピアノ作曲家事典 |
ショパン
![]() | ショパンの生涯 【ショパンの生涯/作品表について/作品解題/ピアノと管弦楽のための作品/室内楽曲/マヅルカ/ポロネーズ/ピアノソナタ/バラード/スケルツォ/ノクターン/前奏曲/練習曲/即興曲/ロンド/変奏曲/単独作品/歌曲/ショパンとピアノ/エディションの問題/ピアノ音楽史におけるショパン】 作品表 ショパン自身が作品番号を与えたものは作品65までで、それ以降の作品番号はフォンタナの付与したものである。ショパンの作品ではブラウンが作曲年代順に整理したいわゆる「ブラウン・カタログ」のほかに、現在では一般にコビラニスカ編のカタログが用いられている。(目次へ戻る) 作品解題 「ピアノと管弦楽のための作品」: ピアノと管弦楽の編成の作品は初期に集中している。このジャンルでショパンが最初に作曲した作品は1827年作曲の「モーツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》の《奥様お手をどうぞ(ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ)》の主題による変奏曲」(作品2)で、シューマンが「諸君脱帽したまえ、ここに天才がいる」という言葉によって絶賛したことで知られる。続いて、1828年に「ポーランド民謡による大幻想曲」(作品13)が作曲された。この作品は1830年10月11日の告別演奏会でピアノ協奏曲第1番と共に演奏された。 同年に「ロンド・ア・ラ・クラコヴィアク」(作品14)が作曲され、1829年にウィーンで開催された演奏会で演奏され、高い評価を得ている。クラコヴィアクは、ポーランドのクラクフ地方の舞曲をさす。この年にピアノ協奏曲第2番ヘ短調(作品21)の作曲が開始され、1830年に完成を見ている。とくに管楽器の用法などで想像力豊かなオーケストレーションが施されており、第3楽章では民族舞曲のオベレクの表現が取り入れられている。続いてピアノ協奏曲第1番ホ短調(作品11)が完成する。第2番よりも楽曲の構成は堅固で、演奏頻度も高い。第1楽章ではマヅールおよびポロネーズのリズムが用いられ、第3楽章ではクラコヴィアクの表現が取り入れられている。夢想的な第2楽章は非常に美しい。これら2曲の協奏曲は、1830年にショパンのピアノ独奏で初演された。 ピアノと管弦楽のための作品でショパンの最後の作品は「アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ」(作品22)である。作品は2部分からなり、1830年から35年にかけて作曲された「華麗な大ポロネーズ」に、1834年に作曲された「アンダンテ・スピアナート」が加えられた。(目次へ戻る) 「室内楽曲」 : ショパンの室内楽は、唯一のピアノ三重奏曲のほかは、チェロとピアノのための作品である。「ピアノ三重奏曲 ト短調」(作品8)は1828年の作曲で、同年に作曲された「ロンド・ア・ラ・クラコヴィアク」と同様、ピアノの協奏曲的な華麗な演奏が特徴的である。演奏頻度は高くないが、重厚な佳作である。 「序奏と華麗なポロネーズ ハ長調」(作品3)は、チェロとピアノのための作品で、1829年から1830年にかけてラジヴィウ公爵のために作曲された。チェロに対する関心は、パリに移り住んで以降、チェリストのフランコムとの親交を通して深められた。「マイヤーベーアのオペラ《悪魔のロベール》の主題による大二重奏曲」(?b-1、作品番号なし)は、フランコムの協力を得て作曲された作品である。「チェロソナタ ト短調」(作品65)は1846年の作曲で、ショパンの晩年期の作品に属し、フランコムのために書かれた。表現の深さと音楽の展開や構成などの点で、ショパンの作曲したソナタの最高峰に位置する作品といっても過言ではない。(目次へ戻る) 「マヅルカ」 :ショパンがポーランド民族とのアイデンティティをもっとも強く表現したジャンル。マヅルカは特定の舞曲名ではなく、彼の作曲した「マヅルカ」にはマヅール、クヤヴィアック、オベレクなどの舞曲の表現が用いられている。マヅールはポーランドの国歌となった「ドンブロスクのマヅール」にも見られるように、ポーランドの民族性を表す象徴的な舞曲であり、またこの舞曲のアクセントはポーランド語とも関連している。ショパンは少年時代から最晩年までこのマヅルカを作曲し続け、作品番号をもたない作品や習作、異稿を含めて60曲以上が作曲された(作品番号が付与されているのは第49番まで)。(目次へ戻る) 「ポロネーズ」 :ポロネーズはポーランドの宮廷舞踏で、力強いリズムを特徴とするこの舞踏はバロック時代から舞曲として用いられていた。19世紀になるとポーランドの過去の栄光という象徴を持つにいたる。ポロネーズは、ショパンがもっとも早くから作曲を行ったジャンルで、7歳のときに作曲したト短調のポロネーズはスカルベック伯爵夫人に献呈されている。このほかポーランド時代にすでに少なくとも9曲のポロネーズを作曲しているが、ショパン自身が作品番号が与えられた最初の作品は作品26の2曲のポロネーズである。第3番「軍隊」(作品40-1)や、第6番「英雄」(作品53)、第7番「幻想」(作品61)が有名。(目次へ戻る) 「ピアノソナタ」 :3曲のピアノソナタが作曲された。第1番(作品4)はワルシャワ音楽院時代の習作。ポリフォニックが書法が特徴的である。ショパンの最初の本格的なソナタは1839年作曲の第2番(作品35)で、この作品はシューマンに驚きと当惑を与えた。第3楽章の「葬送行進曲」は、このソナタの作曲に先立って1837年に別個に作曲された。第4楽章は駆け抜けるようなユニゾンは衝撃的である。第3番(作品58)は重厚でモニュメンタルで壮大な楽想のソナタで、1844年の作曲。(目次へ戻る) 「バラード」 :バラードは中世以来用いられた詩形であるが、やがて18世紀になると民話の意味のバラッドがイギリスで人気を得た。初期ロマン派のヘルダーがイギリスのバラッドをドイツに紹介して、ロマン派芸術に影響を与えた。音楽にこのジャンル名を与えたのはおそらくショパンが最初である。ショパンはポーランドの国民的詩人のミツキェヴィッチと親交を結んでおり、また彼の愛国的な詩を愛していた。ショパンは4曲のバラードを作曲したが、ミツキェヴィッチの詩との関連は明らかではない。第3番(作品47)はミツキェヴィッチの使途の関連で「水の精」のタイトルで呼ばれることもある。第1番(作品23)はシューマンの絶賛を受けた。第2番(作品38)はシューマンに献呈されたが、これはシューマンから「クライスレリアーナ」の献呈を受けたことへの返礼である。後述のように、全体は3部形式の構成であるが、ソナタ形式が土台となっている。楽想の多様さと主題の対比などの点で、最後に作曲された第4番(作品52)は際立っている。(目次へ戻る) 「スケルツォ」 :スケルツォは、これまではソナタの中間楽章の一つに用いられていたが、単独の作品ジャンルへと高めたのはショパンである。4曲作曲され、第1番(作品20)は、中間部にポーランドのクリスマス・キャロルの旋律が引用されている。第2番(作品31)はもっとも有名。第4番(作品54)は全4曲の中の唯一の長調。(目次へ戻る) 「ノクターン」: フィールドの創始したノクターンに芸術的な生命を与えたのはショパンである。遺作を含めて21曲のノクターンが作曲された。夢想的でゆったりと流れる音楽は、ロマン派の音楽の新しい表現世界を切り開くもので、その後この語法は特にピアノのための性格小品に応用された。(目次へ戻る) 「前奏曲集」: バロック時代においてとくにオルガン音楽で盛んに行われたジャンルであった。単独の小品として作曲するだけではなく、これに19世紀の新たな生命を与えたのはショパンである。24のすべての長短調を用いて作曲したのは、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」からの影響を示している。作曲は1838年から39年にかけて行われた。(目次へ戻る) 「練習曲」 :ショパンは「練習曲集」(作品10、1830-32年作曲)、「練習曲集」(作品25、1835―37年作曲)のほかに、作品番号をもたない「3つの新練習曲」を作曲した。作品10はリストに、作品25はマリー・ダグー伯爵夫人に献呈された。演奏会用練習曲という新しい世界を開拓しただけではなく、ピアノの演奏技術を大きく変革した作品集である。作品10はおそらくすべての長短調を網羅することを意図したと思われる。同じ発想はリストやフンメルももっていた。(目次へ戻る) 「即興曲」: ロマン派で愛好されたジャンルで、ショパン以前ではシューベルトが有名である。ショパンは4曲の即興曲を作曲している。第1番変イ長調(作品29)は1837年作曲、第2番嬰ヘ長調(作品36)は1839年作曲、第3番変ト長調(作品51)は1842年の作曲。もっとも有名な「幻想即興曲」(作品66)は、1834年の作曲であるが生前は出版されず、死後の刊行。(目次へ戻る) 「ロンド」: ロンドはほとんどが初期の作品である。「ロンド ハ短調」(作品1)は1825年の作曲で、同年ワルシャワで刊行されたが、そこでは作品番号は与えられていない。1835年にベルリンで再販されたときにこの番号が与えられた。「マヅルカ風ロンド」(作品5)は1826年の作曲で、主題にマヅルカを用いている。「ロンド 変ホ長調」(作品16)は1833年の作曲。「ロンド ハ長調」(作品73)は2台ピアノ用作品。1828年にピアノ独奏用に作曲されたが、二台ピアのように編曲され、死後に出版。(目次へ戻る) 「変奏曲」: 作品番号をもつのは、エロールのオペラ「リュドヴィク」のアリアの主題による「華麗な変奏曲 変ロ長調」(作品12)のみで、1833年の作曲。作品番号を持たない作品として、「ドイツ民謡の主題による序奏と変奏曲 ホ長調」(1824年作曲)や、連弾用の「変奏曲 ニ長調」(1826年作曲)、「パガニーニの思い出 イ長調」(1829年作曲)がある。ベッリーニのオペラ「清教徒」の行進曲の主題による共作変奏曲「ヘクサメロン」の第6曲を作曲。これはリスト、タールベルク、ピクシス、ヘルツ、チェルニーらとの共作である。(目次へ戻る) 「単独作品」 :「コンセール・アレグロ イ長調」(作品46)は、元来、ピアノ協奏曲の第1楽章として1841年に作曲されたが、その後ピアノ協奏曲の完成を断念し、独奏曲として出版された。この作品はほかの作曲家の手でピアノ協奏曲に編曲されている。「幻想曲 ヘ短調」(作品49)も1841年の作曲で、重々しい下行動機で開始する作品で、全体の構成はソナタ形式的で、劇的な内容の作品である。「子守歌 変ニ長調」(作品57)は1844年の作曲で、作品は変奏曲である。右手の主題が、転調を含まず全部で10回反復され、装飾によって彩られる。「舟歌 嬰ヘ長調」(作品60)はショパンの晩年期の1846年作曲の作品である。8分の12拍子のゆったりと揺れるような左手の分散和音にのって繊細な表現される。その他、「ボレロ」(作品19)、「タランテラ」(作品43)、「葬送行進曲」(作品72-2)、「3つのエコセーズ」(作品72-3)のほかに、作品番号を持たない小品がある。(目次へ戻る) 「歌曲」 : 1827年から晩年の47年までの間に作曲され、1857年に「17のポーランドの歌」曲(作品74)として刊行された。(目次へ戻る) ショパンとピアノ ワルシャワ時代のショパンが用いていたピアノの製造者は明らかではないが、間違いなくウィーン・アクションのピアノであった。ベートーヴェンは、イギリス・アクションのエラールやブロードウッドのピアノを用いた時期があるが、当時のオーストリアやドイツ地域、さらにポーランドなどで主に用いられていたのは、伝統的なウィーン・アクションのピアノである。彼が1829年、ウィーンで催した演奏会で用いたピアノは間違いなくウィーン・アクションのピアノである。 パリでショパンを魅了したのはプレイエルのピアノである。このプレイエルのピアノはイギリス・アクション、つまり現在のピアノの打弦方式によるピアノであるが、そのアクションは同じイギリス・アクションのエラールとは異なっていた。エラールはダブル・エスケープメントを開発して、急速な打鍵の可能なピアノを製造していた。それに対してプレイエルは、ウィーン・アクションで一般的であった伝統的なシングル・エスケープメントの打弦方法を用いていた。急速な打鍵は容易ではないが、自然で薫り高いこの楽器の音色を彼はこよなく愛したのである。ショパンの語った言葉、「調子のよいときはプレイエルを弾き、そうではないときはエラールを用いる」は有名である。(目次へ戻る) エディションの問題 ショパンの楽譜で常に大きな問題となるのがエディションである。現在、いわゆるナショナル・エディションとしてエキエル版が刊行されて、これが標準的な楽譜として用いられている。しかし、このエキエル版によってショパンのエディション問題が氷解したわけではない。ショパンは、自筆譜のほかに、イギリスとドイツ、フランスでそれぞれに楽譜を出版した。これは国際著作権が確立していない当時にあっては、違法な海賊版から守るための止むを得ない方法であった。しかし、この3つの版がそれぞれ異なっているために、ショパンの最終的な意思が特定することができなくなってしまったのである。 エキエル版以前は、同じくナショナル・エディションとしてパデレフスキー版が広く用いられていた。ピアニストであったパデレフスキーの経験を踏まえた版として広く親しまれてきている。そのほか、コルトー編のコルトー版も今日においても価値ある版として通用している。歴史的な版としては、ブラームス校訂やドビュッシー校訂の楽譜も編まれた。(目次へ戻る) ピアノ音楽史におけるショパン ショパンのピアノ作品はきわめて個性的であるが、同時に19世紀ピアノ音楽のさまざまな音楽傾向と結びつきを持っている。ワルシャワ時代にショパンが師のジヴニーのもとでモーツァルトやフンメルの作品を学び、ポーランド人作曲家の作品としてマリア・シマノフスカやユゼフ・エルスネル、ヴァイオリニストでシューマンの尊敬を得ていたカロル・クルピニスキらの作品に加えて、オギニスキなどの作曲家の作品に接していた。ワルシャワ時代にショパンがポーランド人の作曲家の作品に広く接していたのは間違いない。オギニスキのポロネーズ「さらば祖国」は、ショパンのポロネーズの共通の語法である。また、エルネルの作品はロシア支配に対するナショナリズムを反映している。 ショパンの作風の基盤を形成した作曲家として注目されるのが、ネポムク・フンメルである。晩年のモーツァルトに師事し、その後ハイドンやサリエリに学んだこの作曲家の語法は、間違いなくショパンの作風の源流の一つである。フンメルは緩徐楽章における豊かな装飾表現をモーツァルトから受け継いだ。旋律を、きらびやかなパッセージによって華麗に変奏する表現は、ショパンに受け継がれている。1816年頃に作曲されたフンメルの「ピアノ協奏曲 イ短調」(作品85)は、その後のショパンの創作を予感させる。 ショパンが「練習曲」(作品10)を作曲したときにすべての長短調を網羅する発想を抱いたと思われ、その思想はその後「前奏曲集」で結実する。すべての長短調を用いるという思想は、フンメルも試みている。ショパンの上記の練習曲集の作曲後の1833年に刊行された「24の練習曲」(作品125)はすべての長短調を用いた練習曲集である。 ショパンがワルシャワ時代に影響を受けた作曲家にアイルランド出身のジョン・フィールドもいる。ペテルブルクで活躍したフィールドの創始したノクターンはワルシャワでも広まっていたことは確かで、ショパンの初期のノクターンははっきりとフィールドからの影響を示している。影響が明確なのは作品9の3曲で、その後のノクターンではショパンの独自の作風を発揮している。 ショパンがフィールドから得た影響はノクターンだけではない。フィールドは全部で7曲のピアノ協奏曲を作曲したが、オーケストラ伴奏で演奏する協奏曲のほかに、彼はピアノを含む室内楽版やピアノ独奏版も編曲している。フィールドのノクターンの何曲からはピアノ協奏曲の緩徐楽章の編曲である。ピアノ協奏曲を、ピアノを含む室内楽版で演奏する習慣は、モーツァルトの時代から行われていたが、フィールドの書法は19世紀における創作の一つの模範となった。これらの編曲を前提としているために、ピアノ協奏曲のオーケストラは、ピアノ独奏の部分では非常に薄い書法が用いられている。ショパンもこの書法を受け継いでいる。また、ショパンの2曲のピアノ協奏曲も、ピアノを含む室内楽版でも演奏されていた。ショパンの「コンセール・アレグロ」(作品46)はピアノ独奏曲として出版されたが、本来はピアノ協奏曲の第1楽章で、ピアノ協奏曲のピアノ独奏版とも解することが出来る。 ショパンは、同時代のシューマンやメンデルスゾーン、リストとは異なった形で19世紀の歴史主義を受け止めている。メンデルスゾーンが「前奏曲とフーガ」を作曲し、シューマンやリストがペダルフリューゲルやオルガン用の作品でバッハの書法を受容した。それに対して、ショパンは、すべての長短調を用いた「前奏曲集」を作曲することで、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」の精神を19世紀音楽にもたらしている。ショパンは、ワルシャワ音楽院時代に作曲の科目として対位法やフーガを学んでおり、その痕跡は「ピアノソナタ第1番」に示されている。彼が自身の創作にこの対位法を生かしたのは、1840年代に入ってからである。とくに「マヅルカ」(作品56-3)は、複雑な対位法の書法を用いて書かれており、19世紀の歴史主義を反映している。 ショパンは3曲のピアノソナタを作曲している。シューマンはショパンがピアノソナタ第2番を作曲したときに、批評の筆を執っている。その作品批評は皮肉を込めた肯定的なものではないが、ピアノソナタをこの時代にあえて作曲したことに驚きを隠さない。ソナタとソナタ形式は、作曲の教養と学識の象徴となり、作曲家が創造性を発揮する場ではなくなっていったなかで、ショパンのとくに第2番と第3番はピアノソナタの歴史の中で画期的な価値を有している。このソナタ形式の原理は、3曲のピアノソナタやチェロソナタだけではなく、スケルツォやバラードの創作の土台ともなっている。これらは一般に3部形式として論じられる場合が多いが、むしろソナタ形式が基礎となっていると考えられる。 |
ピアノ独奏曲
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ピアノ・ソナタ第1番 ハ短調/Sonate c-Moll Op.4 CT201/1827-28
[total 25'0"] ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調「葬送」/Sonate b-Moll Op.35 CT202/1839(1835?) [total 22'0"] ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調/Sonate h-Moll Op.58 CT203/1844 [total 27'0"] |
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エチュード集(練習曲集)/12 Etudes Op.10 CT14-25/1829-32
エチュード集(練習曲集)/12 Etudes Op.25 CT26-37/1835-37 3つの新しいエチュード(練習曲集)/Méthode des méthodes de piano von Fr.-J.Fétis KK.IIb/3 CT38-40/1839 [total 6'30"] |
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24のプレリュード(前奏曲集)/24 Preludes Op.28 CT166-189/1836-39
プレスト・コン・レッジェレッツァ 変イ長調 (プレリュード)/Presto con leggierezza As-Dur (Prelude) CT191/1834 プレリュード 嬰ハ短調/Prelude cis-Moll Op.45 CT190/1841 [4'30"] |
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ロンド ハ短調/Rondo c-Moll Op.1 CT192/1825
[8'0"] マズルカ風ロンド ヘ長調/Rondo à la Mazur F-Dur Op.5 CT193/1826 [9'30"] ロンド 変ホ長調 (序奏とロンド)/Rondo Es-Dur Op.16 CT195/1829? [11'30"] ロンド ハ長調/Rondo Op.73/1828 [9'0"] |
| 4手のための変奏曲 ニ長調/Variations [über ein Arie von Thomas Moore] D-Dur KK.IVa/6 CT228(1 piano 4 hands)/1826
[8'30"] ロンド ハ長調(2台のピアノのための)(遺作)/Rondo Op.73 CT196(2 pianos 4 hands)/1828 [9'0"] |
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フレデリック・ショパン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/29 13:07 UTC 版)
(ショパン から転送)
フレデリック・フランソワ・ショパン(フランス語: Frédéric François Chopin 、ポーランド語:Fryderyk Franciszek Chopin[1] (フルィデールィク・フランチーシェク・ショペーン)[2] 、1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説もあり) - 1849年10月17日)はポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。
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- ^ 姓のショパンについては、ショパンと同時代のポーランド語文献では Szopę (Chopin) というポーランド語式発音綴りと仏語式綴りの併記が多く見られ[要出典](ę [ɛɰ̃] は鼻母音)、近世以降はポーランド語化が進み格変化をもつ Szopen という綴りが Chopin と共に一般的であった。
- ^ 国際音声記号による発音表記は [frɨˈdɛrɨk franˈt͡ɕiʂɛk ʂɔˈpɛn] 。
- ^ Urszula Kryger (mezzo), Charles Spencer (piano) "Chopin Polish Songs" Hyperion CDH55270 のMieczyslaw Tomaszewskiによるライナーノーツ
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