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ショパン [Frédéric François Chopin]

(1810-1849) ポーランド作曲家ピアノ奏者1831年以後パリ中心活躍し、華麗なうちにロマン的な憂愁満ちピアノ音楽創造し、ピアノ詩人と呼ばれた。ソナタ・バラード・ノクターン・マズルカ・ポロネーズ・ワルツ・前奏曲練習曲協奏曲など多数がある。


音楽用語辞典

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ショパン(フレデリック・ショパン)

ポーランド生まれ作曲家(1810-1849)。特にピアノ音楽数多く傑作を残したため、「ピアノ詩人」と称される。主要作品には、ピアノ協奏曲24の前奏曲、「軍隊ポロネーズ」、「幻想即興曲」などがある。


品種登録データベース

農林水産省農林水産省

ショパン【ショパン】(草花類)

登録番号 第14254号
登録年月日 2006年 3月 24日
農林水産植物の種類 ゆり
登録品種の名称及びその読み ショパン
 よみ:ショパン
品種登録の有効期限 25 年
育成者権の消滅 2006年 3月 24日
品種登録者の名称 フレッター&デン ハーン ベヘール社
品種登録者の住所 オランダ王国 2231BD レインスブルフ ウフストヘースタアウェッヒ 202 A
登録品種の育成をした者の氏名 ビム フレッター
登録品種の植物体の特性の概要
この品種は、出願所有育成系統どうしを交配して育成されたものであり、花は中輪の濃紫ピンク色スカシユリ型の切花向きの品種である。草丈7599直径は5.0~9.9上部及び中部の色は淡緑下部の色は淡褐、毛じは無、節間長は中央部は5~9㎜止葉下は10~19である。葉序は2/5、全体の形は狭披針形、ねじれは無、幅は5~9㎜葉長は9~11光沢は無、葉数は多、着生角度は30~59゜である。つぼみの形は型、花の向きは15~29゜、花房形状総状花序全体の形はスカシユリ型である。花径120149内花被の幅は4049長さは6~8㎝外花被の幅は20~29長さは6~8㎝である。花色花弁基部は淡紫ピンクJHS カラーチャート9502)、地色中肋部及び縁部は濃紫ピンク(同9213)、裏面は穏紫ピンク(同9511)である。内花被斑点の数は20~29、外花被斑点の数は1~9、つぼみの色は紫ピンク(同9211)、内花被の形はⅤ型外花被の形は型、内花被先端形状型、反転程度型、外花被先端形状型、反転程度型、花被のねじれは1/8未満花被上の乳状突起は無である。花糸の色は紫、花粉の色は赤褐、第一花梗長さは30~59花梗太さは中、色は緑、花梗への着生は有、第一花梗向きは30~59゜、一花の花数は中、花の香りは無、開花期はやや早である。「ビバルディ」及び「サンシーロ」と比較して、花弁地色濃紫ピンクであること、外花被の形が型であること等で区別性が認められる
登録品種の育成経過概要
この品種は、1990年出願者の温室オランダ王国)において、出願所有育成系統どうしを交配し、その実生の中から選抜以後増殖行いながら特性の調査継続し、1996年にその特性が安定していることを確認して育成完了したものである




ピティナ・ピアノ作曲家事典

社団法人全日本ピアノ指導者協会社団法人全日本ピアノ指導者協会

ショパン

【英】Chopin, Frederic 1810~1849

ショパン

ショパンの生涯
 フレデリック・ショパンは、フランス人の父ミコワイ・ショパンとポーランド人の母ユスティナ・クシジャノフスカの間に1810年3月1日生まれた。父は16歳のときにポーランド渡り、スカルベック伯爵家庭教師などをつとめる。同家小間使いをしていた同伯爵家の遠縁にあたるクシジャノフスカと知り合い二人1806年結婚する。ショパンの兄弟では、3歳年上の姉ルドヴィカのほかに、妹イザベラ1811年生)、エミリア1813年生)がいる。姉ルドヴィカとは強い絆で結ばれ、彼女はショパンの死を見取った。

ショパンの生涯作品表について作品解題ピアノと管弦楽のための作品室内楽曲マヅルカポロネーズピアノソナタバラードスケルツォノクターン前奏曲練習曲即興曲ロンド変奏曲単独作品歌曲ショパンとピアノエディションの問題ピアノ音楽史におけるショパン
 家庭は、父がアマチュアとしてヴァイオリン愛し、母もピアノ声楽嗜むなど音楽的な環境にあり、ショパンは4歳からこうした家庭の中でピアノ触れるようになる。6歳のときに、ヴォイチェフ・ジヴニーピアノ師事する。このジヴニーのもとでのピアノ教育がショパンの音楽性の土台形成する。彼からショパンが与えられた作品は、モーツァルトバッハハイドンフンメルであった。
 1817年一家カジミエシュ宮殿一画転居し、恵まれ生活環境実現する。ショパンが最初作品ポロネーズ ト短調」を作曲するのはこの年で、スカルベックの援助出版された。翌年にはラジヴィウ宮殿ピアノ協奏曲演奏し、卓越した才能注目を浴びる。この時期から、ポーランド民族的語法に鋭い感性示した。1821年11歳のショパンは65歳を迎え恩師ジヴニー誕生日を祝うために「ポロネーズ 変イ長調」を作曲する。この時期すでにショパンの演奏能力卓抜水準にあったことを示すのが、12歳のときに行ったフェルディナンド・リースのピアノ協奏曲演奏である。リース19世紀前期代表的ヴィルトゥオーソで知られた作曲家である。この年にショパンはユゼフ・エルスネルから作曲指導を受けるようになる。
 1823年13歳のショパンは高等学校入学する。このときの学友その後、ショパンの遺作出版などでも貢献するフォンタナがいた。1826年高等学校卒業するまでの間、ショパンはロシア皇帝によるワルシャワ訪問の際に、指輪拝領する栄誉に浴している。高等学校卒業すると、エルスネルが校長務めワルシャワ音楽院入学する。作曲家としてショパンがその個性発揮するようになるのはこのころからで、「マヅルカロンド」(作品5)、「モーツァルトオペラドン・ジョヴァンニ》のアリア《ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ》(作品2)が作曲される。エルスネルは、作曲ピアノ演奏においても、ショパンの繊細感性を損なうことなく、個性伸ばすことに腐心したといわれる
 1828年、ショパンは初め外国に赴き、ベルリンウェーバーの「魔弾の射手」などを見る。この年、ショパンは「ピアノソナタ第1番」(作品4)に加えて意欲的作品、「ピアノ三重奏曲 ト短調」(作品8)、「ポーランド民謡による大幻想曲」(作品13)、「ロンド・ア・ラ・クラコヴィアク」(作品14)を作曲している。この最後作品は、1829年ウィーンケルントナートーア劇場催し演奏会で、「モーツァルトオペラドン・ジョヴァンニ》のアリア《ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ》(作品2)とともに演奏されて絶賛された。ショパンのピアノ管弦楽のための協奏曲および協奏作品はすべてこの初期時代集中している。なお、「ピアノ三重奏曲 ト短調」は、ラジヴィウ公爵献呈されているが、ショパンは公爵の娘たちのピアノ指導を行うほか、チェロたしなむ公爵のためにチェロピアノのための「序奏と華麗なポロネーズ」(作品3)を作曲している。
 1829年高等学校卒業したショパンはウィーンに赴き、上記演奏会を行う。この年に「ピアノ協奏曲第2番」(作品21)が作曲されている。ショパンはこの時期に、コンスタンツヤ・グワトコフスカという女性深く心を寄せており、「ワルツ」(作品70-3)は彼女のために作曲された作品である。1830年3月17日ワルシャワ上述ピアノ協奏曲2番を初演した後、ショパンは再びウィーン向けて旅立つ10月11日告別演奏会が催され、ピアノ協奏曲第1番作品11)や作品13演奏される。ウィーン到着するものの、ワルシャワロシア支配抵抗する11月革命勃発し、事態一変する。ポーランド人危険人物として官憲監視下に置かれる。1831年ウィーン演奏会開催するものの、ウィーン失望し、やっとパリ経由ロンドン行きヴィザ取得してパリに向かうことになる。そして9月パリ到着する。その途上シュトゥットガルトワルシャワ革命制圧された知らせ受け取り大い絶望する。この年に練習曲革命」(作品10-12)が書かれ、そのほか歌曲がまとまって作曲されている。
 パリに着いたショパンは、リスト知り合いになり、メンデルスゾーン再会した。パリ到着したショパンは、当時パリ評判ヴィルトゥオーソで、ピアノ教育者カルクブレンナー指導を望んだ。しかし、エルスネルは、それがショパンの個性損ねることになると判断して指導を受けることに反対する。カルクブレンナーは、ギド・マンというピアノ教育機器を用いた指導法を行ったことでも知られる。パリ出会ったもうひとりの重要な音楽家が、チェロ奏者のフランコムである。このフランコムとの出会いから、「マイヤーベーアオペラ悪魔ロベール》の主題による大二重奏曲」が1831年作曲されている。
 ショパンはワルシャワを発つ前からフィールドノクターンに接していたと思われ、1829年ホ短調作品72-1)、1830年嬰ハ短調作品番号なし)が作曲されていた。1832年作曲された「ノクターン」(作品9)は、名曲として知られるが、フィールド書法との結びつき感じさせる。この作品プレイエル夫人献呈された。ショパンがパリで知った重要な人物に、ピアノ製造業を営むプレイエルがいた。ショパンが「香水のような香りがする」として絶賛したそのピアノは、ショパンの音楽霊感源泉となった。
 当時パリにはポーランドからの亡命者数多く滞在していた。ポーランド革命を率いたチャルトリスキや詩人のミツキェヴィッチらも滞在していた。そのなかでひときわ精彩を放っていたのがポトツカ伯爵夫人で、音楽芸術教養あふれる彼女のサロンには数多く文化人が集った。彼女はショパンがもっとも信頼寄せ女性で、ショパンの死の床でショパンの求めに応じてアリアを歌った。
 パリでのショパンの人生一変させたのが、ロトシルド(ロスチャイルド男爵知遇を得たことであった。1832年、ショパンはラジヴィウ公爵に伴われて、大富豪で知られる同男爵サロン訪れる。これがショパンの社交界デビューとなった。男爵夫人はショパンの音楽才能に魅せられ、娘のシャルロットピアノ指導依頼する。その後貴族資産家人々ぞくぞくピアノ指導求めるようになり、ショパンのパリでの生計一気好転する。シャルロット音楽才能豊かな女性で、ショパンは彼女に「バラード第4番」やワルツ献呈している。
 パリに住むショパンにとって大きな気がかり家族のことであった。彼が両親再会するのは1835年8月カールスバートにおいてである。ここはボヘミア温泉保養地で、ショパンはここで3週間両親と共に過ごした。帰路ドレスデン滞在していたヴォジニスキ家を訪問した。フェリックス・ヴォジニスキとは彼は寄宿舎学校時代以来友人であった。この滞在先でショパンはフェリックスの妹のマリアと会い、美しく成長したマリアに彼は深く心をとらわれる。そして彼女との別れ際に「ワルツ」を贈る。これが有名な「別れのワルツ」(作品69-1)である。10月ライプツィヒ訪れメンデルスゾーン再会するほか、シューマン夫妻と会う。シューマンは彼が編集する「音楽新報」で、ショパンの作品2を高く評価しており、「謝肉祭」にショパンを登場させるほか、後に「クライスレリアーナ」を彼に献呈している。
 翌年7月、ヴォジニスキ家のマリアマリーエンバート再会する。ここもボヘミア温泉保養地である。ショパンはパリロシア大使館ヴィザ更新を行うことを潔しとせずそのために、ロシア領となったポーランド入国することは出来なくなっており、そのため国境近くこうした町で再会することを余儀なくされたのである。そして9月、ショパンはマリア求婚する。パリに戻ったショパンはマリー・ダグーサロンジョルジュ・サンドと会う。
 1837年2月、ショパンはインフルエンザに罹り、健康状態が悪化する。この出来事はヴォジニスキ家の両親心象を悪くし、7月マリアから別離を告げる手紙受け取り、ショパンが彼女に宛て手紙彼のもとに返送されてくる。ショパンはその手紙の束をリボン綴じて「私の悲しみ」と書き記して、終生手元に置いていた。この年、「練習曲集」(作品25)や「ピアノソナタ第2番」が作曲された。マリアとの別離もあり、ショパンはサンドとの交際深めるようになる。そして同年11月、ショパンはサンドマヨルカ島滞在する。この滞在期間に「前奏曲集」の作曲を進める。しかし、かねがね患っていた結核悪化し、翌1839年2月フランスマルセイユ戻りサンド別荘を持つノアンに落ち着く。健康状態の悪化見舞われたが、創作面では充実しており、「前奏曲集」のほかに、「即興曲第2番」「バラード第2番」「スケルツォ第3番」「ポロネーズ第4番」などの作品完成見ている。
 このころから1846年まで、ショパンの生活と活動は、ノアンとパリサロンを軸に行われることになり、ノアンには、ポリーヌ・ヴィアルドやドラクロワらも訪れた。そのようななか、1842年友人のヤン・マトゥシニスキがショパンに見取られて亡くなる。この死はショパンに強い衝撃与えた。1843年冬、ショパンの病状悪化し始め、1844年初め再びインフルエンザに罹り、重態に陥る。春になってやっと病状回復するが、5月25日、父の死の知らせ受け取り、深い絶望に陥る。サンドはショパンの母宛に弔い言葉とショパンを思う心情を綴った手紙したためる。そして7月、姉ルドヴィカがショパンを訪ねてパリ訪れる。ショパンが姉と再会するのは14年ぶりのことであった。
 しかし、サンド二人の子供との間の屈折した関係の中にショパンも少しずつ巻き込まれていき、とくに娘のソランジュと母サンドとの対立構図のなかでショパンは居場所を失っていく。その渦中1846年傑作舟歌」「幻想ポロネーズ」「チェロソナタ」などの作品が書かれる。そして1847年ソランジュ結婚に際して、ショパンが彼女に理解示したことから、サンドとの間に亀裂生まれ、ついに7月28日サンドはショパンに別離を告げる。この別離はショパンの人生大きな節目となった。
 孤独な身となったショパンは4月招きに応じてロンドン渡り、ジェーン・スターリングの指導を行う。イギリスではヴィクトリア女王隣席の場で演奏会を催すなどの栄誉はあったが、結核身体衰弱していたショパンにとって、この旅行衰弱加速させた。イギリスでは、ロンドンのほかに、マンチェスターグラスゴーエジンバラなどでも演奏会催した。
 11月パリに戻ったショパンは病床に伏し、6月大量喀血をする。姉ルドヴィカの再会を望むショパンの求めに応じて8月、ルドヴィカがパリ到着する。10月17日、ポトツカ伯爵夫人、姉ルドヴィカに看取られて亡くなる。葬儀10月30日、聖マドレーヌ教会で行われた。(目次へ戻る)


作品
ショパン自身作品番号与えたものは作品65までで、それ以降作品番号はフォンタナの付与したものである。ショパンの作品ではブラウン作曲年代順に整理したいわゆる「ブラウン・カタログ」のほかに、現在では一般にコビラニスカ編のカタログが用いられている。(目次へ戻る)
作品解題
ピアノ管弦楽のための作品」: ピアノ管弦楽編成作品初期集中している。このジャンルでショパンが最初作曲した作品1827年作曲の「モーツァルト歌劇ドン・ジョヴァンニ》の《奥様お手をどうぞ(ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ)》の主題による変奏曲」(作品2)で、シューマンが「諸君脱帽したまえ、ここに天才がいる」という言葉によって絶賛したことで知られる。続いて1828年に「ポーランド民謡による大幻想曲」(作品13)が作曲された。この作品1830年10月11日告別演奏会ピアノ協奏曲第1番と共に演奏された。
同年に「ロンド・ア・ラ・クラコヴィアク」(作品14)が作曲され、1829年ウィーン開催された演奏会演奏され、高い評価得ている。クラコヴィアクは、ポーランドクラクフ地方舞曲をさす。この年にピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21)の作曲開始され、1830年完成見ている。とくに管楽器用法などで想像力豊かなオーケストレーションが施されており、第3楽章では民族舞曲のオベレクの表現取り入れられている。続いてピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11)が完成する。第2番よりも楽曲構成堅固で、演奏頻度も高い。第1楽章ではマヅールおよびポロネーズリズムが用いられ、第3楽章ではクラコヴィアク表現取り入れられている。夢想的な第2楽章は非常に美しい。これら2曲の協奏曲は、1830年にショパンのピアノ独奏初演された。
 ピアノ管弦楽のための作品でショパンの最後作品は「アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ」(作品22)である。作品は2部分からなり1830年から35年にかけて作曲された「華麗な大ポロネーズ」に、1834年作曲された「アンダンテ・スピアナート」が加えられた。(目次へ戻る)
室内楽曲」 : ショパンの室内楽は、唯一のピアノ三重奏曲のほかは、チェロピアノのため作品である。「ピアノ三重奏曲 ト短調」(作品8)は1828年作曲で、同年作曲された「ロンド・ア・ラ・クラコヴィアク」と同様、ピアノ協奏曲的な華麗演奏特徴的である。演奏頻度は高くないが、重厚佳作である。
  「序奏と華麗なポロネーズ ハ長調」(作品3)は、チェロピアノのため作品で、1829年から1830年にかけてラジヴィウ公爵のために作曲された。チェロ対す関心は、パリ移り住んで以降チェリストのフランコムとの親交通して深められた。「マイヤーベーアオペラ悪魔ロベール》の主題による大二重奏曲」(?b-1作品番号なし)は、フランコムの協力得て作曲された作品である。「チェロソナタ ト短調」(作品65)は1846年作曲で、ショパンの晩年期の作品に属し、フランコムのために書かれた。表現深さ音楽の展開や構成などの点で、ショパンの作曲したソナタ最高峰位置する作品といって過言ではない。(目次へ戻る)
マヅルカ」 :ショパンがポーランド民族とのアイデンティティをもっとも強く表現したジャンルマヅルカ特定の舞曲ではなく彼の作曲した「マヅルカ」にはマヅール、クヤヴィアック、オベレクなどの舞曲表現が用いられている。マヅールはポーランドの国歌となった「ドンブロスクのマヅール」にも見られるように、ポーランド民族性を表す象徴的舞曲であり、またこの舞曲アクセントポーランド語とも関連している。ショパンは少年時代から最晩年までこのマヅルカ作曲続け作品番号をもたない作品習作、異稿を含めて60曲以上が作曲された(作品番号付与されているのは第49番まで)。(目次へ戻る)
ポロネーズ」 :ポロネーズポーランド宮廷舞踏で、力強いリズム特徴とするこの舞踏バロック時代から舞曲として用いられていた。19世紀になるとポーランド過去栄光という象徴を持つにいたる。ポロネーズは、ショパンがもっとも早くから作曲を行ったジャンルで、7歳のときに作曲したト短調ポロネーズはスカルベック伯爵夫人献呈されている。このほかポーランド時代にすでに少なくとも9曲のポロネーズ作曲しているが、ショパン自身作品番号与えられた最初作品作品26の2曲のポロネーズである。第3番「軍隊」(作品40-1)や、第6番「英雄」(作品53)、第7番「幻想」(作品61)が有名。(目次へ戻る)
ピアノソナタ」 :3曲のピアノソナタ作曲された。第1番(作品4)はワルシャワ音楽院時代習作ポリフォニック書法特徴的である。ショパンの最初本格的ソナタ1839年作曲の第2番(作品35)で、この作品シューマン驚き当惑与えた。第3楽章の「葬送行進曲」は、このソナタ作曲先立って1837年別個作曲された。第4楽章駆け抜けるようなユニゾン衝撃的である。第3番(作品58)は重厚モニュメンタル壮大な楽想ソナタで、1844年作曲。(目次へ戻る)
バラード」 :バラード中世以来用いられた詩形であるが、やがて18世紀になると民話の意味のバラッドイギリス人気を得た。初期ロマン派ヘルダーイギリスバラッドドイツ紹介して、ロマン派芸術影響与えた。音楽にこのジャンル名を与えたのはおそらくショパンが最初である。ショパンはポーランド国民的詩人のミツキェヴィッチと親交を結んでおり、また彼の愛国的な詩を愛していた。ショパンは4曲のバラード作曲したが、ミツキェヴィッチの詩との関連は明らかではない。第3番(作品47)はミツキェヴィッチの使途関連で「水の精」のタイトル呼ばれることもある。第1番(作品23)はシューマン絶賛を受けた。第2番(作品38)はシューマン献呈されたが、これはシューマンから「クライスレリアーナ」の献呈を受けたことへの返礼である。後述のように、全体3部形式構成であるが、ソナタ形式土台となっている。楽想多様さと主題対比などの点で、最後に作曲された第4番(作品52)は際立っている。(目次へ戻る)
スケルツォ」 :スケルツォは、これまでソナタ中間楽章一つに用いられていたが、単独作品ジャンルへと高めたのはショパンである。4曲作曲され、第1番(作品20)は、中間部ポーランドクリスマス・キャロル旋律引用されている。第2番(作品31)はもっとも有名。第4番(作品54)は全4曲の中の唯一の長調。(目次へ戻る)
ノクターン」: フィールド創始したノクターン芸術的生命与えたのはショパンである。遺作含めて21曲のノクターン作曲された。夢想的でゆったりと流れ音楽は、ロマン派音楽新し表現世界切り開くもので、その後この語法は特にピアノのため性格小品応用された。(目次へ戻る)
前奏曲集」: バロック時代においてとくにオルガン音楽盛んに行われたジャンルであった。単独小品として作曲するだけではなく、これに19世紀新たな生命与えたのはショパンである。24すべての長短調を用いて作曲したのは、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」からの影響示している。作曲1838年から39年にかけて行われた。(目次へ戻る)
練習曲」 :ショパンは「練習曲集」(作品10、1830-32年作曲)、「練習曲集」(作品25、1835―37年作曲)のほかに、作品番号をもたない「3つの練習曲」を作曲した。作品10リストに、作品25マリー・ダグー伯爵夫人献呈された。演奏会用練習曲という新し世界開拓しただけではなくピアノ演奏技術大きく変革した作品集である。作品10はおそらくすべての長短調を網羅することを意図したと思われる。同じ発想リストフンメルももっていた。(目次へ戻る)
即興曲」: ロマン派愛好されたジャンルで、ショパン以前ではシューベルトが有名である。ショパンは4曲の即興曲作曲している。第1番変イ長調作品29)は1837年作曲、第2番嬰ヘ長調作品36)は1839年作曲、第3番変ト長調作品51)は1842年作曲。もっとも有名な「幻想即興曲」(作品66)は、1834年作曲であるが生前出版されず、死後の刊行。(目次へ戻る)
ロンド」: ロンドはほとんどが初期作品である。「ロンド ハ短調」(作品1)は1825年作曲で、同年ワルシャワ刊行されたが、そこでは作品番号与えられていない1835年ベルリン再販されたときにこの番号与えられた。「マヅルカロンド」(作品5)は1826年作曲で、主題マヅルカ用いている。「ロンド 変ホ長調」(作品16)は1833年作曲。「ロンド ハ長調」(作品73)は2台ピアノ用作品。1828年ピアノ独奏用に作曲されたが、二台ピアのように編曲され、死後出版。(目次へ戻る)
変奏曲」: 作品番号をもつのは、エロールオペラ「リュドヴィク」のアリア主題による「華麗な変奏曲 変ロ長調」(作品12)のみで、1833年作曲作品番号を持たない作品として、「ドイツ民謡主題による序奏と変奏曲 ホ長調」(1824年作曲)や、連弾用の「変奏曲 ニ長調」(1826年作曲)、「パガニーニの思い出 イ長調」(1829年作曲)がある。ベッリーニオペラ清教徒」の行進曲主題による共作変奏曲ヘクサメロン」の第6曲を作曲。これはリストタールベルクピクシスヘルツチェルニーらとの共作である。(目次へ戻る)
単独作品」 :「コンセール・アレグロ イ長調」(作品46)は、元来ピアノ協奏曲の第1楽章として1841年作曲されたが、その後ピアノ協奏曲完成断念し、独奏曲として出版された。この作品はほかの作曲家の手でピアノ協奏曲編曲されている。「幻想曲 ヘ短調」(作品49)も1841年作曲で、重々しい下行動機開始する作品で、全体構成ソナタ形式的で、劇的内容作品である。「子守歌 変ニ長調」(作品57)は1844年作曲で、作品変奏曲である。右手主題が、転調を含まず全部10反復され、装飾によって彩られる。「舟歌 嬰ヘ長調」(作品60)はショパンの晩年期の1846年作曲作品である。8分の12拍子のゆったりと揺れるような左手分散和音にのって繊細表現される。その他、「ボレロ」(作品19)、「タランテラ」(作品43)、「葬送行進曲」(作品72-2)、「3つのエコセーズ」(作品72-3)のほかに、作品番号を持たない小品がある。(目次へ戻る)
歌曲」 : 1827年から晩年47年までの間に作曲され、1857年に「17ポーランドの歌」曲(作品74)として刊行された。(目次へ戻る)
ショパンとピアノ
 ワルシャワ時代のショパンが用いていたピアノ製造者は明らかではないが、間違いなくウィーン・アクションのピアノであった。ベートーヴェンは、イギリス・アクションのエラールやブロードウッドのピアノを用いた時期があるが、当時オーストリアドイツ地域、さらにポーランドなどで主に用いられていたのは、伝統的なウィーン・アクションのピアノである。彼が1829年ウィーン催し演奏会で用いたピアノ間違いなくウィーン・アクションのピアノである。
 パリでショパンを魅了したのはプレイエルピアノである。このプレイエルピアノはイギリス・アクション、つまり現在のピアノの打弦方式によるピアノであるが、そのアクションは同じイギリス・アクションのエラールとは異なっていた。エラールはダブル・エスケープメントを開発して、急速な打鍵の可能なピアノ製造していた。それに対してプレイエルは、ウィーン・アクションで一般的であった伝統的なシングル・エスケープメントの打弦方法用いていた。急速な打鍵容易ではないが、自然で薫り高いこの楽器音色を彼はこよなく愛しのである。ショパンの語った言葉、「調子のよいときはプレイエル弾き、そうではないときはエラールを用いる」は有名である。(目次へ戻る)
エディション問題
 ショパンの楽譜で常に大きな問題となるのがエディションである。現在、いわゆるナショナル・エディションとしてエキエル版が刊行されて、これが標準的楽譜として用いられている。しかし、このエキエル版によってショパンのエディション問題氷解したわけではない。ショパンは、自筆譜のほかに、イギリスドイツフランスそれぞれに楽譜出版した。これは国際著作権確立ていない当時にあっては違法海賊版から守るための止むを得ない方法であった。しかし、この3つの版がそれぞれ異なっているために、ショパンの最終的意思特定することができなくなってしまったのである
 エキエル版以前は、同じくナショナル・エディションとしてパデレフスキー版が広く用いられていた。ピアニストであったパデレフスキー経験踏まえた版として広く親しまれてきている。そのほかコルトー編のコルトー版も今日においても価値ある版として通用している。歴史的な版としては、ブラームス校訂ドビュッシー校訂楽譜も編まれた。(目次へ戻る)
ピアノ音楽史におけるショパン
 ショパンのピアノ作品きわめて個性的であるが、同時に19世紀ピアノ音楽さまざまな音楽傾向結びつきを持っている。ワルシャワ時代にショパンが師のジヴニーのもとでモーツァルトフンメル作品学びポーランド人作曲家作品としてマリア・シマノフスカユゼフ・エルスネルヴァイオリニストシューマン尊敬得ていたカロル・クルピニスキらの作品加えて、オギニスキなどの作曲家作品に接していた。ワルシャワ時代にショパンがポーランド人作曲家作品に広く接していたのは間違いない。オギニスキのポロネーズ「さらば祖国」は、ショパンのポロネーズの共通の語法である。また、エルネルの作品ロシア支配対すナショナリズム反映している。
ショパンの作風基盤形成した作曲家として注目されるのが、ネポムク・フンメルである。晩年モーツァルト師事し、その後ハイドンサリエリに学んだこの作曲家語法は、間違いなくショパンの作風源流一つである。フンメル緩徐楽章における豊かな装飾表現モーツァルトから受け継いだ。旋律を、きらびやかなパッセージによって華麗変奏する表現は、ショパンに受け継がれている。1816年頃に作曲されたフンメルの「ピアノ協奏曲 イ短調」(作品85)は、その後のショパンの創作予感させる。
ショパンが「練習曲」(作品10)を作曲したときにすべての長短調を網羅する発想を抱いたと思われ、その思想その後前奏曲集」で結実する。すべての長短調を用いるという思想は、フンメル試みている。ショパンの上記の練習曲集作曲後の1833年刊行された「24の練習曲」(作品125)はすべての長短調を用いた練習曲集である。
ショパンがワルシャワ時代影響を受けた作曲家アイルランド出身ジョン・フィールドもいる。ペテルブルク活躍したフィールド創始したノクターンワルシャワでも広まっていたことは確かで、ショパンの初期ノクターンははっきりとフィールドからの影響示している。影響が明確なのは作品9の3曲で、その後ノクターンではショパンの独自の作風発揮している。
ショパンがフィールドから得た影響ノクターンだけではない。フィールド全部で7曲のピアノ協奏曲作曲したが、オーケストラ伴奏演奏する協奏曲のほかに、彼はピアノを含む室内楽版やピアノ独奏版も編曲している。フィールドノクターンの何曲からはピアノ協奏曲緩徐楽章編曲である。ピアノ協奏曲を、ピアノを含む室内楽版で演奏する習慣は、モーツァルト時代ら行われていたが、フィールド書法19世紀における創作一つ模範となった。これらの編曲前提としているために、ピアノ協奏曲オーケストラは、ピアノ独奏部分では非常に薄い書法が用いられている。ショパンもこの書法を受け継いでいる。また、ショパンの2曲のピアノ協奏曲も、ピアノを含む室内楽版でも演奏されていた。ショパンの「コンセール・アレグロ」(作品46)はピアノ独奏曲として出版されたが、本来はピアノ協奏曲の第1楽章で、ピアノ協奏曲ピアノ独奏版とも解することが出来る。
ショパンは、同時代シューマンメンデルスゾーンリストとは異なった形で19世紀歴史主義を受け止めている。メンデルスゾーンが「前奏曲とフーガ」を作曲し、シューマンリストがペダルフリューゲルやオルガン用の作品バッハ書法受容した。それに対して、ショパンは、すべての長短調を用いた「前奏曲集」を作曲することで、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」の精神19世紀音楽にもたらしている。ショパンは、ワルシャワ音楽院時代作曲科目として対位法フーガを学んでおり、その痕跡は「ピアノソナタ第1番」に示されている。彼が自身創作にこの対位法を生かしたのは、1840年代に入ってからである。とくに「マヅルカ」(作品56-3)は、複雑な対位法書法用いて書かれており、19世紀歴史主義反映している。
 ショパンは3曲のピアノソナタ作曲している。シューマンはショパンがピアノソナタ第2番作曲したときに、批評の筆を執っている。その作品批評は皮肉を込めた肯定的なものではないが、ピアノソナタをこの時代にあえて作曲したことに驚きを隠さない。ソナタソナタ形式は、作曲教養学識象徴となり、作曲家創造性発揮する場ではなくなっていったなかで、ショパンのとくに第2番と第3番はピアノソナタ歴史の中で画期的価値を有している。このソナタ形式原理は、3曲のピアノソナタチェロソナタだけではなくスケルツォバラード創作土台ともなっている。これらは一般に3部形式として論じられる場合が多いが、むしろソナタ形式基礎となっていると考えられる

執筆者西原 稔  2008年9月



ピアノ独奏曲

 ソナタ

ピアノ・ソナタ第1番 ハ短調/Sonate c-Moll Op.4 CT201/1827-28 [total 25'0"]
ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調「葬送」/Sonate b-Moll Op.35 CT202/1839(1835?) [total 22'0"]
ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調/Sonate h-Moll Op.58 CT203/1844 [total 27'0"]

 練習曲

エチュード集(練習曲集)/12 Etudes Op.10 CT14-25/1829-32
エチュード集(練習曲集)/12 Etudes Op.25 CT26-37/1835-37
3つの新しいエチュード(練習曲集)/Méthode des méthodes de piano von Fr.-J.Fétis KK.IIb/3 CT38-40/1839 [total 6'30"]

 即興曲

即興曲第1番 変イ長調/Impromptu As-Dur Op.29 CT43/1837 [4'30"]
即興曲第2番 嬰ヘ長調/Deuxième Impromptu fis-Moll Op.36 CT44/1839 [5'30"]
即興曲第3番 変ト長調/3e Impromptu Ges-Dur Op.51 CT45/1842 [6'0"]
幻想即興曲 嬰ハ短調 (遺作)/[Fantasie-]Impromptu cis-Moll Op.66 CT46/1835 [5'30"]

 変奏曲

華麗なる変奏曲/Variations brillantes sur la ronde favorite ‘Je vends des scapulaires' de Ludovic (Oper von F.Hérold und Halévy) Op.12 CT226/1830?-33 [8'0"]
ドイツ民謡「スイスの少年」による変奏曲 ホ長調/Variations sur air national allemand ‘steh' auf, steh' auf, o du Schweizer' E-Dur KK.IVa/4 CT227/1824-1826 [8'30"]
変奏曲 イ長調「パガニーニの想い出」/Souvenir de Paganini  CT229/1829   [4'0"]
ヘクサメロン変奏曲(第6変奏)/Hexameron variations KK.IIb/2 CT230/1837   [3'0"]

 前奏曲

24のプレリュード(前奏曲集)/24 Preludes Op.28 CT166-189/1836-39
プレスト・コン・レッジェレッツァ 変イ長調 (プレリュード)/Presto con leggierezza As-Dur (Prelude) CT191/1834  
プレリュード 嬰ハ短調/Prelude cis-Moll Op.45 CT190/1841 [4'30"]

 バラード

バラード 第1番 ト短調/Ballade g-moll Op.23 CT2/1831-35 [9'30"]
バラード第2番 ヘ長調/Ballade F-Dur Op.38 CT3/1836-39 [7'0"]
バラード第3番 変イ長調/Ballade As-Dur Op.47 CT4/1840-41 [6'30"]
バラード第4番 ヘ短調/Ballade f-Moll Op.52 CT5/1842-43 [9'30"]

 スケルツォ

スケルツォ第1番 ロ短調/Scherzo h-Moll Op.20 CT197/ca.1835 [10'0"]
スケルツォ第2番 変ロ短調/Scherzo b-Moll Op.31 CT198/1834?-37 [9'30"]
スケルツォ第3番 嬰ハ短調/Scherzo cis-Moll Op.39 CT199/1839 [8'0"]
スケルツォ第4番 ホ長調/Scherzo E-Dur Op.54 CT200/1842-43 [11'0"]

 ノクターン

3つのノクターン (第1-3番)/3 Nocturnes (b:/Es:/H:) Op.9 CT108-110/1830-31 [total 15'30"]
3つのノクターン (第4-6番)/3 Nocturnes (F:/Fis:/g:) Op.15 CT111-113/1830-33 [total 11'0"]
2つのノクターン (第7・8番)/2 Nocturnes (cis:/Des:) Op.27 CT114-115/1835-36 [total 10'0"]
2つのノクターン (第9・10番)/2 Nocturnes (H:/As:) Op.32 CT116-117/1836-37 [total 8'30"]
2つのノクターン (第11・12番)/2 Nocturnes (g:/G:) Op.37 CT118-119/1838-1839 [total 10'0"]
2つのノクターン (第13・14番)/2 Nocturnes (c:/fis:) Op.48 CT120-121/1841 [total 12'0"]
2つのノクターン (第15・16番)/2 Nocturnes (f:/Es:) Op.55 CT122-123/1842-44 [total 8'30"]
2つのノクターン (第17・18番)/2 Nocturnes (H:/E:) Op.62 CT124-125/1846   [total 11'0"]
ノクターン第19番 ホ短調/Nocturne No.19 Op.72-1 CT126/1827 [total 3'30"]
ノクターン 嬰ハ短調/Nocturne cis-Moll (Lento con gran espressione) KK.IVa/16 CT127/1830 [4'0"]
ノクターン ハ短調/Nocturne c-Moll KK.IVb/8 CT128/1847 [3'0"]

 ポロネーズ

2つのポロネーズ (第1・2番)/2 Polonaises (cis:/es:) Op.26 CT150-151/1834-35 [total 19'0"]
2つのポロネーズ (第3・4番)/2 Polonaises (c:/A:) Op.40 CT152-153/1838 [total 14'0"]
ポロネーズ第5番 嬰ヘ短調/Polonaise fis-Moll Op.44 CT154/1840-41 [11'30"]
ポロネーズ第6番 変イ長調「英雄」/Grande Polonaise brillante As-Dur Op.53 CT155/1842 [7'30"]
ポロネーズ第7番 変イ長調「幻想」/Polonaise-Fantaisie As-Dur Op.61 CT156/1845-46 [12'0"]
3つのポロネーズ (第8-10番)/3 Polonaises (d:/B:/f:) Op.71 CT157-159/1827-28 [total 25'30"]
ポロネーズ第11番 ト短調/Polonaise g-Moll KK.IIa/1 CT161/1817 [6'30"]
ポロネーズ第12番 変ロ長調/Polonaise B-Dur KK.IVa/1 CT160/1817 [9'0"]
ポロネーズ第13番 変イ長調/Polonaise As-Dur KK.IVa/2 CT162/1821   [4'0"]
ポロネーズ第14番 嬰ト短調/Polonaise gis-Moll KK.IVa/3 CT163/1824?   [3'0"]
ポロネーズ第15番 変ロ短調「別れ」/Polonaise b-Moll "Adieu" KK.IVa/5 CT164/1826   [6'0"]
ポロネーズ第16番 変ト長調/Polonaise Ges-Dur KK.IVa/8 CT165/1829   [7'0"]

 ワルツ

ワルツ第1番 変ホ長調 「華麗なる大円舞曲」/Grande valse brillante Es-Dur Op.18 CT207/1833 [5'0"]
3つのワルツ (第2-4番)/3 Valses brillantes (As:/a:/F:) Op.34 CT208-210/1835 [total 13'0"]
ワルツ 第5番 変イ長調/Valse As-Dur Op.42 CT211/1840 [4'0"]
3つのワルツ (第6-8番)/3 Valses (Des:/cis:/As) Op.64 CT212-214/1847 [total 8'30"]
2つのワルツ (第9・10番)/2 Valses (As:/h:) Op.69 CT215-216/1835, 1829 [total 8'30"]
3つのワルツ (第11-13番)/3 Valses (ges:/f:/Des:) Op.70 CT217-219/1832, 1842, 1829 [total 8'0"]
ワルツ第14番 ホ短調/Valse e-Moll KK.IVa/15 CT222/1830 [1'10"]
ワルツ第15番 ホ長調/Valse E-Dur KK.IVa/12 CT220/1829 [2'0"]
ワルツ第16番 変イ長調/Valse As-Dur KK.IVa/13 CT221/1829-30 [3'0"]
ワルツ第17番 変ホ長調/Valse Es-Dur KK.IVa/14/1829-30 [1'30"]
ワルツ イ短調(遺作)/Valse a-Moll KK.IVb-11 CT224/1847? [2'30"]

 マズルカ

4つのマズルカ (第1-4番)/4 Mazurka (fis:/cis:/E:/es:) Op.6 CT51-55/1830 [total 9'30"]
5つのマズルカ (第5-9番)/5 Mazurka (B:/a:/f:/As:/C:) Op.7 CT56-59/1829-32 [total 11'0"]
4つのマズルカ (第10-13番)/4 Mazurka (B:/e:/As:/a:) Op.17 CT60-63/1833 [total 15'30"]
4つのマズルカ (第14-17番)/4 Mazurka (g:/C:/As:/b:) Op.24 CT64-67/1834 [total 13'0"]
4つのマズルカ (第18-21番)/4 Mazurka (c:/h:/Des:/cis:) Op.30 CT68-71/1837 [total 11'0"]
4つのマズルカ (第22-25番)/4 Mazurka (gis:/D:/C:/h:) Op.33 CT72-75/1837-38 [total 12'0"]
4つのマズルカ (第26-29番)/4 Mazurka (cis:/e:/H:/As:) Op.41 CT74, 76, 78-79/1839 [total 10'30"]
3つのマズルカ (第30-32番)/3 Mazurka (G:/As:/cis:) Op.50 CT80-82/1841? [total 11'0"]
3つのマズルカ (第33-35番)/3 Mazurka (H:/C:/c:) Op.56 CT83-85/1843 [total 13'0"]
3つのマズルカ (第36-38番)/3 Mazurka (a:/As:/fis:) Op.59 CT86-88/1845   [total 12'0"]
3つのマズルカ (第39-41番)/3 Mazurka (H:/f:/cis:) Op.63 CT89-91/1846 [total 7'0"]
マズルカ第42番 イ短調「エミール・ガイヤール」/Mazurka a-Moll KK.IIb/5 CT105/1840 [6'30"]
マズルカ第43番 イ短調「ノートル・タン」/Mazurka a-Moll KK.IIb/4 CT106/1841 [3'0"]
4つのマズルカ (第44-47番)/4 Mazurka (G:/g:/C:/a:) Op.67 CT92-95/ca.1830, 1848, 1835, 1846 [total 8'0"]
4つのマズルカ (第48-51番)/4 Mazurka (C:/a:/F:/f:) Op.68 CT96-99/ca.1830, 1827, ca.1830, 1846? [total 10'0"]
マズルカ第52番 変ロ長調/Mazurka B-Dur KK.IIa/3 CT-101/1825-26
マズルカ第53番 ト長調/Mazurka G-Dur KK.IIa/2 CT100/1825-26
マズルカ第54番 ニ長調/Mazurka D-Dur KK.IVa/7/1829  
マズルカ第55番 ニ長調/Mazurka D-Dur KK.IVb/2/1832
マズルカ第56番 変ロ長調/Mazurka B-Dur KK.IVb/1 CT103/1832
マズルカ第57番 ハ長調/Mazurka C-Dur KK.IVb/3/1833
マズルカ 変イ長調/Mazurka As-Dur KK.IVb/4 CT104/1834

 ロンド

ロンド ハ短調/Rondo c-Moll Op.1 CT192/1825 [8'0"]
マズルカ風ロンド ヘ長調/Rondo à la Mazur F-Dur Op.5 CT193/1826 [9'30"]
ロンド 変ホ長調 (序奏とロンド)/Rondo Es-Dur Op.16 CT195/1829? [11'30"]
ロンド ハ長調/Rondo Op.73/1828   [9'0"]

 種々の作品

コントルダンス 変ト長調/Contredanse /1827?
ボレロ/Bolero C-Dur Op.19 CT8/1833 [7'30"]
タランテラ 変イ長調/Tarantella As-Dur Op.43 CT205/1841 [4'0"]
演奏会用アレグロ イ長調/Allegro de concert A-Dur Op.46 CT1/1834?-41 [13'30"]
幻想曲 ヘ短調/Fantasie f-Moll Op.49 CT42/1841 [13'30"]
子守歌 変ニ長調/Berceuse Des-Dur Op.57 CT7/1843 [5'0"]
舟歌 嬰ヘ長調/Barcarolle Fis-Dur Op.60 CT6/1845-46 [9'30"]
葬送行進曲 ハ短調/Marche funebre Op.72-2 CT12/1826? [5'30"]
3つのエコセーズ/3 Ecossaises (D:/G:/Des:) Op.72-3,4,5 CT13/1829 [total 2'30"]
春 ト短調/Wiosna g-Moll Op.74-2/1838   [2'30"]
カンタービレ 変ロ長調/Cantabile B-Dur KK.IVb/6 CT9/1834 [1'10"]
ラルゴ 変ホ長調/Largo KK.IVb/5 CT49/1837? [2'30"]
モデラート(アルバムの綴り) ホ長調/Moderato (Feuille d'Album) E-Dur KK.IVb/12 CT107/1843
ソステヌート 変ホ長調 (ワルツ)/Sostenuto Es-Dur (Valse) KK.IVb/10 CT223/1840 [2'0"]
フーガ イ短調/Fugue a-Moll KK.IVc/2/1841?
ギャロップ・マルキ 変イ長調/Galopp Marquis As-Dur KK.IVc/13/1846   [1'0"]
ピアノ合奏曲

 種々の作品

4手のための変奏曲 ニ長調/Variations [über ein Arie von Thomas Moore] D-Dur KK.IVa/6 CT228(1 piano 4 hands)/1826   [8'30"]
ロンド ハ長調(2台のピアノのための)(遺作)/Rondo Op.73 CT196(2 pianos 4 hands)/1828 [9'0"]
管弦楽ピアノ

 管弦楽ピアノ作品

「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 変ロ長調/Variations sur ‘La ci darem la mano' du ‘Don Juan’ B-Dur Op.2 CT225/1827-28 [total 22'30"]
ピアノ協奏曲第1番 ホ短調/Concerto pour piano et orchestre e-Moll Op.11 CT47/1830 [total 43'30"]
ポーランドの民謡の主題による幻想曲 イ長調/Fantasie sur des airs nationaux polonais A-Dur Op.13 CT41/1829 [total 16'30"]
演奏会用ロンド「クラコヴィアク」 ヘ長調/Krakowiak, Grand Rondeau de concert F-Dur Op.14 CT194/1828 [total 16'30"]
ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調/Concerto pour piano et orchestre f-Moll Op.21 CT48/1829-30 [total 32'0"]
アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ 変ホ長調 /Grande Polonaise brillante précédée d'un andante spianato Op.22 CT149/1830-35 [total 13'0"]
室内楽

 室内楽

フルートとピアノのための、ロッシーニ「シンデレラ」の主題による変奏曲/Variations pour Flûte E-Dur (pf, fl)/1824?-30?  
ピアノ三重奏曲 ト短調/Trio pour piano, violon et violoncelle Op.8 CT206(pf, vn, vc)/1828-29   [total 29'0"]
序奏と華麗なポロネーズ ハ長調/Introduction et Polonaise brillante C-Dur Op.3 CT148(pf, vc)/1829-30   [9'30"]
「悪魔ロベール」の主題によるコンチェルタント・グラン・デュオ ホ長調/Grand Duo concertant sur des thémes de "Robert le Diable" E-Dur CT10(pf, vc)/1831-32   [13'0"]
チェロ・ソナタ ト短調/Sonate für Violoncello und Klavier g-Moll Op.65 CT204(pf, vc)/1845-47   [total 24'0"]


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フレデリック・ショパン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/29 13:07 UTC 版)

(ショパン から転送)

フレデリック・フランソワ・ショパンフランス語: Frédéric François Chopinポーランド語Fryderyk Franciszek Chopin[1] (フルィデールィク・フランチーシェク・ショペーン)[2]1810年3月1日2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説もあり) - 1849年10月17日)はポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。


  1. ^ 姓のショパンについては、ショパンと同時代のポーランド語文献では Szopę (Chopin) というポーランド語式発音綴りと仏語式綴りの併記が多く見られ[要出典]ę [ɛɰ̃] は鼻母音)、近世以降はポーランド語化が進み格変化をもつ Szopen という綴りが Chopin と共に一般的であった。
  2. ^ 国際音声記号による発音表記は [frɨˈdɛrɨk franˈt͡ɕiʂɛk ʂɔˈpɛn]
  3. ^ Urszula Kryger (mezzo), Charles Spencer (piano) "Chopin Polish Songs" Hyperion CDH55270 のMieczyslaw Tomaszewskiによるライナーノーツ






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