音楽様式とは? わかりやすく解説

音楽様式

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 20:51 UTC 版)

カール・ニールセン」の記事における「音楽様式」の解説

音楽評論家ハロルド・ショーンバーグ著書大作曲家の生涯』の中でニールセン作品幅広さ、力強いリズム惜しみない管弦楽法、そして彼の個性強調している。ジャン・シベリウス比較しつつ、ショーンバーグはニールセンには「同じだけの発展性遥かに大きな力、そしてより普遍的なメッセージ」が備わっている考えている。オックスフォード大学音楽科教授ダニエル・M・グリムリーはニールセンを「20世紀音楽でも指折りの陽気で、人生肯定的、そして不器用な声」であるとし、その理由彼の作品の「旋律豊かさ和声活力」のおかげであると述べている。『Carl Nielsen's Voice: His Songs in Context』の著者であるアン=マリー・レイノルズは「彼の音楽全て声楽発祥と」しており、歌曲書き続けたことがニールセン作曲家としての発展強く影響与えた、というロバート・シンプソン見方引用している。 デンマーク社会学者であるベネディクデ・ブリンガ(Benedikte Brincker)は、母国におけるニールセン彼の音楽対す認識国際的な評価とはかなり異なっていると見ている。彼の民謡への興味背景知識デンマーク人に特別共鳴するのである。さらにこの傾向1930年代愛国運動期、及び第二次世界大戦中高められた。同時期にデンマーク人にとって歌うことが敵のドイツ人たちと自分たちを識別する重要な根拠だったのであるニールセン歌曲デンマーク文化と教育の中で引き続き重要な位置占めている。音楽学者のニールス・クラッベは、デンマーク作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン寓話関連づけ、デンマークにおける大衆ニールセン像は「みにくいアヒルの子症候群のようだ表現する。すなわち「貧し少年が(中略逆境倹約経験し中略コペンハーゲンへと乗り込み中略無冠王者地位獲得するに至るのだ。」このためデンマーク国外でニールセン主として管弦楽作品オペラ仮面舞踏会』の作曲家である一方国内ではそれ以上国民象徴のである2006年デンマーク文化省12曲の最も偉大なデンマーク音楽作品発表した際には、これらの2つ側面が公式にひとつにまとめられた;選ばれたのは『仮面舞踏会』、交響曲第4番、そして2つデンマークの歌だったのである。クラッベは修辞的な問いかけを行う。「ニールセンの中の『国民性』は特定の主題和声音響形式その他の音楽中に表出され得るものなのだろうか、それともそれは純粋に受容史から形作られるものなのだろうか。」 ニールセン本人後期ロマン派ドイツ音楽音楽における愛国心に対して曖昧な態度取っていた。1909年オランダ作曲家であるユリウス・レントゲン宛ててこう綴っている。「近頃ドイツ人技術面での技量には驚かされています。複雑化をこうして嬉々として行っていますが、全てそのもの自身疲弊もたらす違いないと思わずにはいられません。私は純粋に古風な美徳則った全く新し芸術到来予見しています。ユニゾン歌われる歌についてどう思われますか。我々は立ち戻らねばなりません(中略純粋さ清澄さへと。」一方で1925年には次のように記している。「愛国心ほどに音楽破壊するものはない(中略)それに頼みに応じて愛国的音楽生み出すことなど出来ようがない。」 ニールセンルネサンスポリフォニー詳細に研究しており、彼の音楽含まれる旋律和声にはこれによって説明できるものもある。3つのモテット 作品55がこの興味を表す好例である。デンマーク国外批評家にとっては、ニールセン音楽当初新古典主義的な響き持っていたものの、彼が独自の取り組み発展させる従い次第現代的になっていった。それは作家作曲家ロバート・シンプソンが言うところの発展的調性、すなわちある調から別の調への移行である。概してニールセン音楽開始の調とは異な調性終結する可能性有するのであるが、時にそれは交響曲においてなされたのと同じく苦心結果のである一方彼の民謡での活動どれほどそうした要素に負うところがあるのかについては論争となっている。一部評論家彼のリズムアッチャッカトゥーラやアッポッジャトゥーラ、もしくは作品中頻用される短七度短三度指してデンマーク典型であると述べている。作曲者本人次のように記した。「私が思うに、まず音楽へのより深い関心呼び起こすものは音程である。(中略春にカッコー声を聞く我々に驚き喜びもたらすものはその音程のである。もし鳴き声がひとつの音だけでできていたとしたら魅力減じていたことだろう。」 音楽様式に対すニールセン哲学は、おそらく1907年作曲家のクヌーズ・ハーダ宛の書簡書かれ助言要約されている。「あなたには(中略流麗さがあり、いまのところはとても素晴らしいものです。しかし、親愛なるハーダ氏、私はあなたに何度でも助言します。調性明晰さ力強さ』です。」

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音楽様式

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エレクトロニック・ボディ・ミュージック」の記事における「音楽様式」の解説

ジャンル名からも想像できる通りサンプラードラムマシン中心とした電子楽器メイン使用し、かつ肉体的ダンサブル音楽というのが、主な方向性である。傾向としては、ダンサブルビート主流であるが、テクノ・ハウスムーブメントとは違い、派手で重厚な音質ドラムセットが主に使用された。 しかし一番の特徴は、しゃがれた声であまり抑揚のないメロディを歌う独特のボーカルスタイルである。 曲想的にはダークヴァイオレント雰囲気醸し出している場合多く見られた。脅迫的なビートリフレイン耳障りなメタルパーカッション系のノイズ映画からサンプリングされた叫び声ディストーション系のエフェクトをかけて歪ませたボーカルなど、あらゆる方向から暴力的な雰囲気構築しようとする手段取られた。 曲によってはダンサブルなものだけでなく、アンビエント系やゴシック系音響系な曲も混在する場合もある。 注意すべき事実として、EBMというジャンル名Front 242自分たちの音楽スタイル表現した言葉ではあるが、総体としてジャンルが示す音楽的な特徴Front 242自身音楽性全て合致するものではない事が挙げられるFront 242音楽実験的な音響性と複雑なシーケンス織りなすダンスミュージックであり、ビジュアルとしてアーミースタイルに傾倒している時期はあったが、それほどヴァイオレントな面はあまり際立っていなかったといえる。しかも彼らのボーカルスタイルしゃがれ声メイン特徴とはしていない。 むしろEBMのジャンルイメージを形成しているのはFront 242母体したものではなくDAF影響受けたミニマルビート特徴ニッツァー・エブ(Nitzer Ebb)、ボーカルサウンド凶暴でホラーテイスト漂うスキニー・パピー(Skinny Puppy)、ヒップホップ系Meat Beat Manifestoなど、このジャンルくくられ様々なスタイルに及ぶエレクトロニックミュージック担っているといえる

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ヴィルヘルム・ベルガー」の記事における「音楽様式」の解説

ベルリンアカデミー卒業した作曲家多く同じくヴィルヘルム・ベルガー作曲理論に関して卓越した知識磨き上げていた。ベルガー作品は、様式的に見ると、不協和和声法随所挿入したり、対位法的な組み立て好んだりと、後のマックス・レーガー作風予見させる箇所無くはないが、重厚なテクスチュア緻密な展開、不均衡な楽節構造陰翳富んだ表現抽象的な内容明晰な形式感において、むしろヨハネス・ブラームス作品によく似ているちなみにレーガーは、マイニンゲンにおいてベルガー後任楽長であった)。 ベルガー長寿でこそなかったが、多作家であり、楽曲の数は、作品番号にして優に100超えている。《ピアノ五重奏曲》や《交響曲 第2番》は佳作看做されている。ベルガー没後暫くその作品は、ヴィルヘルム・アルトマンのような保守的な音楽愛好家によって高く評価された(アルトマン著書弦楽四重奏演奏者のための手引き(Handbuchs für Streichquartettspieler)第3巻』(1929年)において、ベルガーきわめて好意的な評価寄せた音楽評論家である)。

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アレクサンダー・アグリコラ」の記事における「音楽様式」の解説

アグリコラ様式は、(特に活動初期には)ヨハネス・オケゲム近く年を経るとともに次第ジョスカン通模倣的な作曲技法取り入れようになった作曲時期が確かである作品わずかだが、多く作品では通模倣的でなく、複雑で、リズム変化多彩なオケゲム対位法技法用いている。ただし、オケゲムとは異なりアグリコラ繰り返しや、ゼクェンツを用いることに積極的で、1500年ころに通模倣様式広く流行する頃には、この技法多く取り入れようになったアグリコラ作品には、ミサ曲モテットさまざまなスタイル世俗音楽ロンドー、ベルグレット、シャンソン)や器楽音楽残されている。器楽作品多くジル・バンショワオケゲム世俗音楽基づいている。多く作品15世紀後半人気博していた。 アグリコラは、ブルゴーニュ楽派と、ジョスカン世代フランドル楽派両方様式作曲しており、この2つ様式の間をつなぐ貴重な存在一人である。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/07 06:43 UTC 版)

アスガー・ハンメリク」の記事における「音楽様式」の解説

今日では比較無名存在になっているが、生前優に四半世紀わたって、ボルチモア・ピーボディ音楽院院長として、アメリカ合衆国において影響力ある教師となり、作品欧米の両大陸上演された。ハンメリクの作品で最も顕著な影響ベルリオーズである。とりわけ意識的に選択したのは、フランス音楽の影響密着するという姿勢であり、交響曲におけるフランス語題名採用や、「固定観念」の技法にそれを見ることができる。 ハンメリク作品は、「北欧的な」感じがするとしばしば評されており、作曲者自身友人の手紙の中で、たとえ自分渡米するにせよ何時でもデンマーク人のままでいるつもりだと述べている。後期作品は、セザール・フランクポール・デュカスらの作曲家影響組み込んでおり、より頻繁な転調や、変位和音多用発展的調性部分的複調も採り入れている。最後の交響曲は、同時期のマーラー作品にも匹敵する作品である。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 02:57 UTC 版)

ロード (メタリカのアルバム)」の記事における「音楽様式」の解説

商業的な成功得た前作ブラック・アルバム』から約5年経てリリースされ本作は、バンドルーツであるスラッシュメタルとは異なる、むしろ伝統的なハードロックロックンロールブルーズに近い特徴集合的なサウンドを含むものであることを表していた。前作リリース時点で、最終的にアルバム収録されることになる14曲が作曲の軸であるジェイムズ・ヘットフィールドラーズ・ウルリッヒの手により、ラーズスタジオ”The Dungeon”にてデモ作成まで始まっていた。バンド1995年春、約1年作業することになるレコード・プラント・スタジオ (The Plant Studio) で30ものデモ作成しブラック・アルバムレコーディングにも参加したボブ・ロックと再びチームを組むことになった1980年代バンドサウンド特徴づけるスラッシュメタル様式はほとんどなくなりリズムギター刻みリフ録音においてもジェイムズだけでなくカーク・ハメットがよりブルージーな音とプレイ参加している。加えてラーズこれまでのアルバム見られ速く複雑なツーバス廃し、よりシンプルなテクニックとスタイル最小限アプローチ留めた。その上ジェイムズ作詞にも変化見られ多くの人が最も個人的あり内観的だと感じるような詞を書いたアルバム代表曲である"Until It Sleep"は彼の母の癌闘病の末迎えた死を取り扱っており、"Mama Said"もまた母との関係テーマとしている。これら全ては『メタル・ジャスティス』や『メタル・マスター』に見られる政治的社会的なニュアンスからの出発示していた。 今作7859秒と、メタリカスタジオ・アルバム収録時間が最も長い作品となった初版には単に「78:59」とだけ書かれたその長い収録時間豪語するステッカー添付されていた。結果として、"The Outlaw Torn"がアルバム合わせて約1分短縮しなければならなくなり、フルバージョンはシングル"The Memory Remains"に"The Outlaw Torn (Unencumbered by Manufacturing Restrictions Version)"として1048秒で収録されている。シングルのバックカバーには次のように説明なされている。「『ロード』の最終作業をしていた時、レコード会社俺たちに『7859秒より1秒として長くできないし、そうでなければ根本的に曲を飛ばさない限りCDが鳴ることはないだろうと言った14曲でだいたい30秒ほど超過していて何らかの対処がなされなければならなかったから、"Outlaw"のイカした最後ジャムカットしたんだ。」 また、全曲半音下げチューニングとなっている最初アルバムである。また、オーストラリア盤には他では見られないボーナスインタビューCD付属している。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 07:52 UTC 版)

ジョヴァンニ・フランチェスコ・アネーリオ」の記事における「音楽様式」の解説

ジョヴァンニ・アネーリオは、兄フェリーチェより進歩的な作曲家であり、17世紀初頭ローマ保守的な環境にあってなお進歩主義をとり続けたマドリガーレは、フィレンツェからモノディ様式借用している。その反面ミサ曲モテットといった宗教曲は、数字つきバスをとり入れロドヴィコ・ヴィアダーナ影響示しているものの、保守的なパレストリーナ様式利用している。ミサ曲いくつかは、16世紀末に流布しヴェネツィア楽派複合唱様式が採られている。 ジョヴァンニ・アネーリオの最も重要な業績は、1619年の《霊的な劇音楽 Teatro armonico spirituale》であり、これは実質的に最初オラトリオであると論じられている。ローマ楽派よるものとしては、器楽最初のオブリガート・パートが含まれている。楽器法注意深く表記されており、器楽声楽パッセージ交替は、続く世代多大な影響与えたヴェネツィア楽派のマドリガーレ・スピリトゥアーレと違って霊的な劇音楽》のテクスト世俗語(イタリア語)であるが、音楽的な実態は、ほとんどが壮大なモテットである。音楽によって寓話示されるものの、オペラ違って演技伴わない声楽器楽楽章ごとに交替する。『放蕩息子』や『サウル回心』に曲付けされている。

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