本多正信 本多正信の概要

本多正信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 03:33 UTC 版)

 
本多 正信
本多正信像(佐々木龍泉筆。加賀本多博物館所蔵)
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 天文7年(1538年[注釈 1]
死没 元和2年6月7日1616年7月20日
改名 正保[1]、正信
別名 弥八郎(仮名)、正行[1]、本多佐渡
戒名 善徳納誨院
墓所 不明
官位 従五位下佐渡守
幕府 江戸幕府関東総奉行、老中
主君 徳川家康松永久秀?→徳川家康
相模国玉縄藩
氏族 本多氏
父母 父:本多俊正、母:松平清康の侍女?
兄弟 正信正重青野重貞、十助
寿林尼(戒名 釋屋妙受大姉)[要出典]
正純政重忠純三浦重成室、小栗重勝側室[注釈 2]
テンプレートを表示

父祖以来、徳川氏に仕えるが、三河一向一揆に与して鎮圧後に三河を出奔。後に許されて家康のもとへ帰参し、江戸開府後は家康、次いで2代将軍・徳川秀忠の側近として幕政の中枢にあり権勢を振るった。


注釈

  1. ^ 桑田忠親は天文8年(1539年)生まれと述べている[要出典]
  2. ^ 寛政譜などの系図には記載されていない。
  3. ^ ただし丸根砦攻めに加わった者たちの中に正信の名は見られない[2]
  4. ^ 『藩翰譜』には、京で正信を見た松永久秀による人物評が記載されるが、正信が久秀に仕えたかどうかは不明とも記される[4]

出典

  1. ^ a b c 寛政重脩諸家譜 1923, p. 707.
  2. ^ a b c 煎本 2015, p. 19.
  3. ^ 寛政重脩諸家譜 1923, pp. 707, 713.
  4. ^ 新井 1896, 11巻19丁表.
  5. ^ a b 新井 1896, 11巻19丁裏.
  6. ^ 三河物語 1974, p. 210.
  7. ^ 橋本正宣「結城秀康について」(『國學院雑誌』67巻4号、1966年)
  8. ^ 宮本義己 著「徳川家康と本草学」、笠谷和比古 編『徳川家康―その政治と文化・芸能―』宮帯出版社、2016年。 
  9. ^ @Honsyoji (2022年11月29日). "三河一向一揆で本願寺側にて功績あった【本多佐渡守正信公の墓所】を探しています。". X(旧Twitter)より2023年5月5日閲覧
  10. ^ a b c d e 西原祐治 (2023年2月9日). “本多正信の供養塔”. 仏教を楽しむ. 2023年5月5日閲覧。が引く「家康を支えた名参謀 本多正信 真宗門徒らしく供養塔のみ」『中外日報』(2023年2月1日号)。原記事は未確認。
  11. ^ 蒲池勢至「「無墓制」と真宗の墓制」『国立歴史民俗博物館研究報告』第49巻、1993年、226頁。 
  12. ^ a b あらためて本證寺の魅力体験ツアー”. 未来寺子屋4. 安城市教育委員会 (2020年). 2023年5月5日閲覧。
  13. ^ a b 藩翰譜
  14. ^ a b c 名将言行録
  15. ^ a b c d 朝倉治彦; 三浦一郎 編『世界人物逸話大事典』角川書店、1996年、916頁。 
  16. ^ 坂本俊夫『宇都宮藩・高徳藩』現代書館〈シリーズ藩物語〉、2011年9月、14頁。 


「本多正信」の続きの解説一覧




本多正信と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「本多正信」の関連用語

本多正信のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



本多正信のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの本多正信 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS