井田譲 井田譲の概要

井田譲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/11 14:22 UTC 版)

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井田譲(1838-1889)

経歴

大垣藩・井田徹助(藤右衛門)の長男として生まれる[2][3]安井息軒に学ぶ[3]。大垣藩では、藩主侍講、砲術教授方、評定役、京都留守居役などを勤め、第2次長州征討に出征した[3]。その後鳥羽・伏見の戦いに従軍[2][3]

1868年、新政府に出仕し軍務官判事試補となる。徴士・軍務官権判事、会計官権判事、造幣局知事、生野県権知事、生野県知事、久美浜県知事、長崎県知事大蔵大丞、兵部大丞、福岡藩知参事などを歴任し、1871年、陸軍少将となった[2][3][4][5]

鎮西鎮台出張、陸軍省秘史局長、福州在勤領事上海在勤総領事を経て、1874年2月、陸軍に復帰[2][3][4][5]広島鎮台司令長官、陸軍省第1局長、同第4局長、兼同第1局長などを歴任し、西南戦争に出征した山縣有朋の代理として陸軍卿代理となる[2][3][4][5]。広島鎮台司令長官などを経て、1880年3月、再び外交官となる[3][4][5]オーストリア在勤特命全権公使フランス在勤を経て、1883年4月に帰国した[2][3][5]。同年9月19日に元老院議官に就任[2][3][5][6]。後に北白川宮別当を兼任(1886年3月11日[7]1887年11月4日[8])。その死の直前、1889年11月22日に男爵を叙爵し華族となる[1][3][5][9]

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族




  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『官報』第1929号「彙報 - 官庁事項 - 故井田元老院議官履歴」1889年12月2日。
  2. ^ a b c d e f g h i 『明治維新人名辞典』82-83頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸海軍総合事典』第2版、12-13頁。
  4. ^ a b c d 『日本陸軍将官辞典』78頁。
  5. ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』6-7頁。
  6. ^ 『官報』第70号「授爵叙任及辞令」1883年9月20日。
  7. ^ 『官報』第805号、明治19年3月12日。
  8. ^ 『官報』第1307号「授爵叙任及辞令」1887年11月5日。
  9. ^ a b 『官報』第1923号「授爵叙任及辞令」1889年11月25日。
  10. ^ 『官報』第678号「賞勲叙任」1885年10月2日。
  11. ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
  12. ^ 『官報』第1923号「授爵叙任及辞令」1889年11月25日。
  13. ^ 『官報』第1650号「授爵叙任及辞令」1888年12月27日。
  14. ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。


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