ロードレース世界選手権の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 08:31 UTC 版)
コース
マン島TT クリプス・コース
マウンテン・コースの南東に位置する1周17.38kmの公道を使用したロードコースで、マウンテン・コースの一部も使用する。コース名は、人造湖のクリプス湖(Clypse Resevoir)を周回することに因んで名付けられた[110]。ホンダが1959年に初めてWGPの125ccクラスに参戦したときに使用されたコースである[111]。
規則
慣習等
WGPを引退するライダーにかける言葉「おめでとう」
ロードレース世界選手権(WGP)を引退するライダーに対して、WGP関係者はそのライダーに対して「おめでとう」と言う。その意味についてイギリス人ジャーナリストのケル・エッジは次のように説明している。
「会社を定年退職した人に『おめでとう』とはいわないが、学校を卒業した人には『おめでとう』というでしょ。なぜなら、彼らには未来があるから」(ケル・エッジ)[112]
ライダーの居住地の変化
かつては、ライダーたちはロードレース世界選手権が開催されるヨーロッパ各地のサーキットまで車で移動していたため、彼らの居住地としてヨーロッパの中心部が選ばれることが多かった。しかし、現在のトップライダーたちは航空機を使って各サーキットまでやって来るようになったので、居住地はどこでもよくなった。これはトップライダーたちの報酬がそれに見合ったものになったからである。このような環境を作り出すことに、片山敬済やバリー・シーン、ケニー・ロバーツらが大きな役割を担った[113]。
パドックの変化
かつてのパドックの雰囲気は和やかなものであった。ライダーやメカニック、チームディレクターなどがお互いにそれぞれのキャンプ場所を自由に訪れ、談笑したりしていた。一緒に酒を呑んだり、食事をしたりして楽しんでいた。しかし、日本の4メーカーが500ccクラスに多額の費用をかけるようになってからパドックの様子は変化し、チームの関係者以外の者が近づくと嫌悪感を示すようになった。このような状況になったのは、各チームが1シーズンを戦うために数十億円という費用をかけていることが影響している[114]。
パドック内の設備は貧弱なものであったが、ライダーやジャーナリストたちが長年サーキット側に改善を申し入れ続けて少しずつ良くなってきて、トイレやシャワーが設置されるようになり、また、サーキットにもよるが、簡単な手術ができる救急施設を設置しているところもある。ここまで来るには、ライダーたちは大きな犠牲を払ってきた。多くの事故やライダーの死、レースのボイコットを行いながらやっと手に入れたものである[115]。
ライダーたちの人間関係の変化
ロードレース世界選手権の開催に莫大な資金が動くようになってからはライダーたちの人間関係も変化してきた。アマチュア的なレース運営が為されていた頃のライダーたちの人間関係は和気藹藹としてものであった。サーキットからサーキットへの移動中に、あるライダーのトランスポーターが故障などで止まっていたりすると他のライダーたちが修理を手伝ったり、既にパドックに到着しているライダーたちはそのライダーに代わってレースへのエントリーの手続きをすませたりしていた。しかし、そのような人間関係は今はなく、故障で止まっているトランスポーターを見かけても挨拶代わりに軽くクラクションを鳴らして通り過ぎて行く程度である。従来は、ライダーたちはコンチネンタルサーカスの一員として一つの共同体に属しているような関係にあったが、今やレースは完全に仕事となった。以前のようなコンチネンタルサーカスの共同体の一員としての気持ちを持っていた最後の世代のライダーは、バリー・シーンやフランコ・ウンチーニ、マルコ・ルッキネリ、ケニー・ロバーツである[116]。
サイレンサー(消音器)装着
以前は、GPマシンにはサイレンサー(消音器)が装着されていなかったが、1976年頃[117]にサイレンサーの装着がレギュレーションで規定された。これにはライダーたちから不満が出たが、当時のFIMの責任者がライダーたちへその経緯を説明した。説明の概要は以下のようなものである。
「ロードスポーツに乗るライダーたちはGPマシンに憧れて、自分たちのバイクをGPマシンのように改造して、サイレンサーを装着しないで公道を走り、騒音問題を引き起こしている。GPマシンにサイレンサーが装着されれば、公道を走るライダーたちも自分たちのバイクにGPマシンと同じようにサイレンサーを装着するようになるだろう」(FIM責任者)
この説明にはライダーたちも納得し、GPマシンにサイレンサーが装着されるようになった[118]。現在、MotoGPではMotoGP初期の頃より騒音規制が緩和されている。迫力のある音を出すためだそうである[119]。モーターサイクルレースを取り巻く社会環境が変化してきたようである。逆にロードスポーツでは騒音規制が厳しくなっている。アフターマーケットメーカーのロードスポーツ用サイレンサーの騒音自主規制の厳しさには警察も驚いたそうである[120]。
脚注
- ^ a b 『百年のマン島』(p225)より。
- ^ 『百年のマン島』(p241)より。
- ^ MotoGP Source Book: Sixty Years of World Championship Motorcycle Racing, pp. 28,29
- ^ a b 『百年のマン島』(p299)より。
- ^ a b 『国産二輪車物語』(p165)より。
- ^ 『国産二輪車物語』(p169)より。
- ^ 『百年のマン島』(p301)より。
- ^ a b 『サーキットの軌跡』(p132)より。
- ^ a b 『百年のマン島』(p1, p7, p8)より。
- ^ 『百年のマン島』(p350)より。
- ^ 『百年のマン島』(p315)より。
- ^ 『百年のマン島』(p356)より。
- ^ 『百年のマン島』(p369)より。
- ^ 『百年のマン島』(p385, p386)より。
- ^ 『百年のマン島』(p384)より。
- ^ Dr Martin Raines, "GRAND PRIX RESULTS 1949-98", Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, p. 189
- ^ 『サーキットの軌跡』(p35)より。
- ^ Dr Martin Raines, "GRAND PRIX RESULTS 1949-98", Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, pp. 190-192
- ^ 『百年のマン島』(p402)より。
- ^ a b 『国産二輪車物語』(p166)より。
- ^ 『サーキットの軌跡』(p76)より。
- ^ 『サーキットの軌跡』(p79)より。
- ^ 『グランプリを走りたい』(p100)より。
- ^ a b Dr Martin Raines, "GRAND PRIX RESULTS 1949-98", Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, p. 202
- ^ 『百年のマン島』(p421)より。
- ^ a b 『サーキットの軌跡』(p90, p91)より。
- ^ 『百年のマン島』(p430)より。
- ^ 『グランプリを走りたい』(p58)より。
- ^ 『サーキットの軌跡』(p112)より。
- ^ a b 『国産二輪車物語』(p168)より。
- ^ The Grand Prix Motorcycle, pp. 100,101
- ^ 『サーキットの軌跡』(p138)より。
- ^ 「片山敬済#1977年シーズン」を参照。
- ^ The Grand Prix Motorcycle, pp. 102,103
- ^ a b 『サーキットの軌跡』(p154)より。
- ^ 『グランプリ・ライダー』〈ちくま文庫〉(p233)より。
- ^ 『グランプリ・サーカス』〈ちくま文庫〉(p233)より。
- ^ 『天駆ける』(p127, p128)より。
- ^ Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, p. 113
- ^ a b 『サーキットの軌跡』(p173, p174)より。
- ^ 『サーキットの軌跡』(p178)より。
- ^ Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, pp. 154-157
- ^ Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, p. 134
- ^ a b Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, p. 150
- ^ Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, p. 205
- ^ Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, pp. 197-205
- ^ a b Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, pp. 205-207
- ^ Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, p. 251
- ^ The Grand Prix Motorcycle, pp. 166-177
- ^ 『国産二輪車物語』(p170)より。
- ^ a b c d 『MotoGP ヒストリー 2002-2007』(p7)より。
- ^ a b Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, pp. 250,251
- ^ Honda : 200 victoires en catégorie reine !
- ^ 『MotoGP ヒストリー 2002-2007』(p17)より。
- ^ 『日本モーターサイクル史』(p48)より。
- ^ 『百年のマン島』(p10)より。
- ^ 『百年のマン島』(p29, p30)より。
- ^ 『日本モーターサイクル史』(p56)より。
- ^ 主な仕様 - 空冷4ストロークOHV単気筒219ccエンジン、出力 8ps/4,700rpm、トルク 1.36kgm/3,300rpm、最高速度 90km/h --『日本モーターサイクル史』(p174)より。
- ^ a b c d 『百年のマン島』(p21)より。
- ^ 『日本モーターサイクル史』(p174)より。
- ^ その後、キャブレターを変更し、ドリーム4Eの不調は改善された --『国産二輪車物語』(p46)より。
- ^ 主な仕様 - 空冷4ストロークOHV単気筒189ccエンジン、出力 7.5ps/4,800rpm、最高速度 70km/h --『日本モーターサイクル史』(p173)より。
- ^ 主な仕様 - 空冷2ストローク単気筒50ccエンジン、出力 1.3ps/3,600rpm、トルク 0.2kgm/3,000rpm、最高速度 35km/h、ペダル始動 --『日本モーターサイクル史』(p140)より。
- ^ 『日本モーターサイクル史』(p140)より。
- ^ 『国産二輪車物語』(p46)より。
- ^ 『百年のマン島』(p24)より。
- ^ 主な仕様 - 空冷4ストロークOHV単気筒49ccエンジン、出力 4.3ps/9,500rpm、ギヤボックス 3段、最高速度 70km/h、キック始動 --『日本モーターサイクル史』(p214)より。◆出力は、同書214ページの仕様部分の記述には「4.3ps」とあるが、同書214ページの写真説明文と247ページの写真説明文には「4.5ps」とある。
- ^ 『日本モーターサイクル史』(p214)より。
- ^ 『モーターサイクルの日本史』(p108)より。
- ^ 『百年のマン島』(p313, p315)より。
- ^ 『百年のマン島』(p313)より。
- ^ 『百年のマン島』(p315)より。
- ^ 『百年のマン島』(p321)より。
- ^ 『百年のマン島』(p463)より。
- ^ 『百年のマン島』(p367, p464)より。
- ^ 『百年のマン島』(p366)より。
- ^ 『百年のマン島』(p438)より。
- ^ 『百年のマン島』(p465)より。
- ^ 『百年のマン島』(p361 - p363)より。
- ^ a b c d e f g h i j k Michael Scott, "OVER ENGINEERING", AUSTRALIAN MOTORCYCLE NEWS Vol 49 (No 20): p. 18
- ^ a b 『ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンド - 世界制覇の軌跡 1976-1990』(p118)より。
- ^ 右コーナーの場合は左腕。左コーナーの場合は右腕。
- ^ 『ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンド - 世界制覇の軌跡 1976-1990』(p121)より。
- ^ 『ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンド - 世界制覇の軌跡 1976-1990』(p122)より。
- ^ 『ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンド - 世界制覇の軌跡 1976-1990』(p124)より。
- ^ The Grand Prix Motorcycle, pp. 131,135
- ^ 『ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンド - 世界制覇の軌跡 1976-1990』(p131)より。
- ^ 「スイングアーム」- 後輪を保持し、サスペンションの一部としても機能する部品 --『図解でわかる バイクのメカニズム』(p11)より。「ピボット」- 旋回軸 --『ジーニアス英和辞典』より。
- ^ Dr Martin Raines, "GRAND PRIX RESULTS 1949-98", Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, p. 203
- ^ 『ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンド - 世界制覇の軌跡 1976-1990』(p132)より。
- ^ The Grand Prix Motorcycle, pp. 144,145
- ^ The Grand Prix Motorcycle, pp. 166-175
- ^ MotoGP Source Book: Sixty Years of World Championship Motorcycle Racing, pp. 210,211
- ^ MotoGP Source Book: Sixty Years of World Championship Motorcycle Racing, p. 216
- ^ マイケル・スコット「GP PADDOCK」『サイクルサウンズ』(2000年7月号、p48)より。
- ^ MotoGP Source Book: Sixty Years of World Championship Motorcycle Racing, pp. 212,216
- ^ ライダーはトム・フィリス -- MotoGP Source Book: Sixty Years of World Championship Motorcycle Racing, p. 221。マシンはRC143 --『浅間から世界GPへの道』(p117)より。
- ^ ライダーはバレンティーノ・ロッシ、マシンはNSR500 -- MotoGP Source Book: Sixty Years of World Championship Motorcycle Racing, p. 221
- ^ ライダーはジム・レッドマン、マシンはRC181 -- Honda : 200 victoires en catégorie reine !, emoto.com (2006)
- ^ ライダーはニッキー・ヘイデン、マシンはRC211V -- Honda : 200 victoires en catégorie reine !, emoto.com (2006)
- ^ IRTAのホームページより。このホームページからのログインはIRTAメンバーに限定されている。
- ^ 「2004 MotoGP世界選手権 シリーズ第12戦日本グランプリに宇川徹選手のスポット参戦が決定」『Honda モータースポーツ WGP ニュース』(2004年9月3日 発表)より。
- ^ 原文が社名のアルファベット順になっている -- Motorcycle News and Motorcycles
- ^ a b MotoGP Source Book: Sixty Years of World Championship Motorcycle Racing, p. 181
- ^ 「MotoGP800ccコーナリング速度規制の動き」『速報 MotoGP』(2008年08月17日 発表)より。
- ^ 「FIM、ドルナ社の功績を称える」『The Official MotoGP Website』より。
- ^ 『グランプリ・サーカス』〈ちくま文庫〉(p264)より。
- ^ MotoGP Source Book: Sixty Years of World Championship Motorcycle Racing, p. 181
- ^ 『百年のマン島』(p98, p99)より。
- ^ 『百年のマン島』(p1)より。
- ^ 『グランプリ・ライダー』〈ちくま文庫〉(p246)より。
- ^ 『グランプリ・ライダー』〈ちくま文庫〉(p22)より。
- ^ 『片山敬済の戦い - オランダGPの16ラップ』(p10 - p12)より。
- ^ 『グランプリ・ライダー』〈ちくま文庫〉(p15)より。
- ^ 『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p32)より。
- ^ 1975年のバリー・シーンのRG500にはサイレンサーが装着されていない --『サーキットの軌跡』(p134)の写真より。1976年のバリー・シーンのRG500にはサイレンサーが装着されている --『サーキットの軌跡』(p137)の写真より。
- ^ 根本健「KEN'S TALK」『ライダースクラブ』(号数忘失)より。
- ^ 『サイクルサウンズ』(号数忘失)より。
- ^ 『サイクルサウンズ』(号数忘失)より。
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