1984年のロードレース世界選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/16 21:20 UTC 版)
| 1984年の FIMロードレース世界選手権 | |||
| 前年: | 1983 | 翌年: | 1985 | 
 
   1984年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第36回大会となる。
シーズン概要
前年度にケニー・ロバーツを破り、史上最年少(当時)でチャンピオンを獲得したフレディ・スペンサーを中心に展開するというのが大方の予想であったが、スペンサーはホンダの新しいV4ワークスマシンNSR500の初期トラブルとシーズン序盤の怪我のために思わぬ苦戦を強いられ、更にシーズン中スポット参戦したアメリカの国内レースで負傷しシーズンの終盤3戦を欠場するなど、タイトル防衛に失敗することとなった。このようにスペンサーはシーズンを通し様々な問題に悩まされたが、サーキット特性に合わせ4気筒のNSR500と3気筒NS500を使い分け、その両方のマシンで優勝するなど速さを見せつけ、最終的にはシーズン最多の5勝を挙げた。
代わってタイトル争いをリードしたのはヤマハの新しいエースライダーとなったエディ・ローソンであり、4回の勝利と4回の2位、更には「ステディ・エディ」のニックネームにふさわしくノーポイント0回、全戦4位以上でフィニッシュする堅実性も発揮し、WGPフル参戦2年目にして初の500ccクラスのタイトルを獲得した。
その他では、スズキのワークス活動撤退で去就が注目されていたランディ・マモラが第3戦スペインGPからホンダで参戦し3勝を挙げてランキング2位に入る活躍を見せ、レイモン・ロッシュがキャリアハイとなるランキング3位となるなど、ローソンを除けばホンダ勢が上位を占めるレースが多くなり、ホンダが2年連続でメーカータイトルを獲得した。また、ワイン・ガードナーが終盤4戦からの途中参戦であったにもかかわらずランキング7位に食い込み、76~77年にタイトルを連覇したバリー・シーンが今シーズンを最後に現役を引退した。
250ccクラスでもヤマハに乗るフランス人クリスチャン・サロンが、リアル・ロータックスに乗るマンフレッド・ヘルヴェの猛追を退けてチャンピオンに輝いた。
125ccクラスのアンヘル・ニエトは6勝を挙げ、2戦を残して通算13個目のタイトルを手に入れた。
前年までの50ccクラスに代わってこの年から新設された80ccクラスでは、ステファン・ドルフリンガーが初代チャンピオンとなった。
グランプリ
| Rd. | GP | サーキット | 80ccクラス優勝 | 125ccクラス優勝 | 250ccクラス優勝 | 500ccクラス優勝 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  南アフリカ | キャラミ |  パトリック・フェルナンデス |  エディ・ローソン | ||
| 2 |  イタリア | ミサノ |  ピエール・パオロ・ビアンキ |  アンヘル・ニエト |  ファウスト・リッチ |  フレディ・スペンサー | 
| 3 |  スペイン | ハラマ |  ピエール・パオロ・ビアンキ |  アンヘル・ニエト |  シト・ポンス |  エディ・ローソン | 
| 4 |  オーストリア | ザルツブルクリンク |  ステファン・ドルフリンガー |  クリスチャン・サロン |  エディ・ローソン | |
| 5 |  西ドイツ | ニュルブルクリンク |  ステファン・ドルフリンガー |  アンヘル・ニエト |  クリスチャン・サロン |  フレディ・スペンサー | 
| 6 |  フランス | ポール・リカール |  アンヘル・ニエト |  アントン・マンク |  フレディ・スペンサー | |
| 7 |  ユーゴスラビア | リエカ |  ステファン・ドルフリンガー |  マンフレッド・ヘルヴェ |  フレディ・スペンサー | |
| 8 |  オランダ(ダッチTT) | アッセン |  ホルヘ・マルチネス |  アンヘル・ニエト |  カルロス・ラバード |  ランディ・マモラ | 
| 9 |  ベルギー | スパ |  ステファン・ドルフリンガー |  マンフレッド・ヘルヴェ |  フレディ・スペンサー | |
| 10 |  イギリス | シルバーストン |  アンヘル・ニエト |  クリスチャン・サロン |  ランディ・マモラ | |
| 11 |  スウェーデン | アンダーストープ |  ファウスト・グレシーニ |  マンフレッド・ヘルヴェ |  エディ・ローソン | |
| 12 |  サンマリノ | ムジェロ |  ゲルハルト・ワイベル |  マウリツィオ・ヴィターリ |  マンフレッド・ヘルヴェ |  ランディ・マモラ | 
最終成績
500ccクラスランキング
| 
 | 
 太字:ポールポジション | 
250ccクラスランキング
| 順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  クリスチャン・サロン | 2 | フランス | ヤマハ | 109 | 3 | 
| 2 |  マンフレッド・ヘルヴェ | 7 | 西ドイツ | リアル・ロータックス | 100 | 4 | 
| 3 |  カルロス・ラバード | 1 | ベネズエラ | ヤマハ | 77 | 1 | 
| 4 |  シト・ポンス | スペイン | JJコバス | 66 | 1 | |
| 5 |  アントン・マンク | 西ドイツ | ヤマハ | 61 | 1 | |
| 6 |  ジャック・コルヌー | 9 | フランス | ヤマハ | 60 | 0 | 
| 7 |  マーチン・ウィマー | 6 | 西ドイツ | ヤマハ | 47 | 0 | 
| 8 |  ウェイン・レイニー | アメリカ | ヤマハ | 29 | 0 | |
| 9 |  アラン・カーター | 12 | イギリス | ヤマハ | 25 | 0 | 
| 10 |  ジャン・フランソワ・バルデ | 19 | フランス | ペルノ | 25 | 0 | 
125ccクラスランキング
| 順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  アンヘル・ニエト | 1 | スペイン | ガレリ | 90 | 6 | 
| 2 |  エウジーニョ・ラッツァリーニ | 3 | イタリア | ガレリ | 78 | 0 | 
| 3 |  ファウスト・グレシーニ | 9 | イタリア | MBA | 51 | 1 | 
| 4 |  マウリツィオ・ヴィターリ | 4 | イタリア | MBA | 45 | 1 | 
| 5 |  アウグスト・アウインガー | 10 | オーストリア | MBA | 41 | 0 | 
| 6 |  ジャン=クロード・セリーニ | フランス | MBA | 33 | 0 | |
| 7 |  ステファノ・カラッチ | イタリア | MBA | 29 | 0 | |
| 8 |  ルカ・カダローラ | 4 | イタリア | MBA | 27 | 0 | 
| 9 |  ハンス・ミューラー | 6 | スイス | MBA | 27 | 0 | 
| 10 |  ブルーノ・クノイビューラー | 2 | スイス | MBA | 27 | 0 | 
80ccクラスランキング
| 順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  ステファン・ドルフリンガー | 1 | スイス | ツェンダップ | 82 | 4 | 
| 2 |  Hubert Abold | 西ドイツ | ツェンダップ | 75 | 0 | |
| 3 |  ピエール・パオロ・ビアンキ | 3 | イタリア | Casal | 68 | 2 | 
| 4 |  ホルヘ・マルチネス | スペイン | デルビ | 62 | 1 | |
| 5 |  ゲルハルト・ワイベル | 西ドイツ | リアル | 61 | 1 | |
| 6 |  ハンス・スパーン | 4 | オランダ | クラウザー | 47 | 0 | 
| 7 |  Willem Heykoop | オランダ | Casal | 29 | 0 | |
| 8 |  ハンス・ミューラー | スイス | ザックス | 18 | 0 | |
| 9 |  George Looijesteyn | 5 | オランダ | Casal | 16 | 0 | 
| 10 |  テオ・ティメル | 10 | オランダ | Casal | 13 | 0 | 
外部リンク
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