ホセ・パーラとは? わかりやすく解説

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ホセ・パーラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/18 07:54 UTC 版)

ホセ・パーラ
Jose Parra
ニューヨーク・メッツ時代
(2004年6月26日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地 サンティアゴ州ジャカグア
生年月日 (1972-11-28) 1972年11月28日(52歳)
身長
体重
180 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1995年5月7日
KBO / 1998年4月13日
NPB / 1999年5月8日
CPBL / 2001年8月19日
最終出場 MLB / 2004年7月17日
KBO / 2002年
NPB / 2005年6月11日
CPBL / 2003年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ホセ・ミゲル・パーラJose Miguel Parra , 1972年11月28日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

NPBでは1999年セントラル・リーグ(セ・リーグ)の読売ジャイアンツ(巨人)で、2005年パシフィック・リーグ(パ・リーグ)のオリックス・バファローズでプレーした。巨人時代はホセ、オリックス時代はパーラ韓国球界では파라台湾球界では保樂をそれぞれ登録名としていた。なお、巨人時代はフルネームはホセ・パラと表記されていた[1]

経歴

現役時代

1989年12月、ロサンゼルス・ドジャースと契約。

マイナーリーグでのプレーを経て、1995年にメジャーリーグ初登板を果たす。同年7月31日、パーラ、ロン・クーマーグレッグ・ハンセルクリス・レイサムケビン・タパーニマーク・ガスリー英語版による4対2のトレードで、ミネソタ・ツインズに移籍(レイサムは後日指名選手として10月30日に移籍)。移籍後は先発、翌1996年は、ロングリリーフもこなしたが、1997年はメジャーでの登板はなく、シーズンオフに解雇される。パーラは同年11月1日から16日まで、アメリカ合衆国フロリダ州セントピーターズバーグで開催された韓国プロ野球の外国人選手トライアウトに参加し、速球は最高球速148 km/hを記録、2イニングを投げ、打者7人を相手に被安打1、奪三振3を記録した[2]。同月14日(韓国時間)、パーラはセントピーターズバーグのヒルトンホテルで開催された韓国プロ野球の第1回外国人選手ドラフトで[2]サムスン・ライオンズから1位指名を受けて入団[3]契約金は3万ドル年俸は8万ドルであった[2]タイロン・ウッズスコット・クールボーらとともに、韓国プロ野球でプレーした最初の外国人選手の1人である[3]

1998年はサムスンでプレーし、球速150 km/hの速球を武器に抑えとして7819セーブ防御率3.57の成績を残した[4]。同様に外国人選手ドラフトでサムスンから指名されたスコット・ベイカー英語版も26試合に登板して15勝7敗、防御率4.13の成績を残し、サムスンのペナントレース2位浮上に貢献した[2]。プレーオフにも出場している。

サムスンは翌1999年もパーラの残留を希望していたが、1998年の韓国プロ野球閉幕後、NPB読売ジャイアンツ(巨人)は韓国野球委員会 (KBO) にパーラの身分照会を求め、同年11月9日、『聯合通信』はサムスンとパーラが85000ドル(当時の為替レートで約1000万円)の移籍料を条件に巨人へのトレードに合意したと報じた[1]。当時、サムスンは数年前から巨人の春秋の宮崎キャンプに数人の選手を派遣し、合同キャンプを張る形で巨人と提携するなどしており、また同シーズンにサムスンで投手コーチを務めた藤城和明が巨人OBという縁が獲得につながったと報じられている[4]。巨人は当初、パーラを複数年契約で長期的に育成していく方針と報じられていた[4]1999年1月21日、巨人はパーラとの選手契約を締結したと発表した[5]登録名ホセで、契約金500万円、年俸1500万円の1年契約であり、背番号は42[5]。パーラは韓国球界を経てNPBでプレーした最初の外国人選手である[1][6]。当初は育成目的で獲得とのことだったが、投手陣の不振や怪我人が出たことにより5月に一軍(セントラル・リーグ)へ昇格。5月18日の対ヤクルトスワローズ戦で来日後初先発し、9回途中まで無失点の好投をする。続く5月25日の対広島東洋カープ8回戦で来日初勝利を挙げたが[7]、最終的には12試合に登板して2勝3敗と期待外れな成績に終わる[8]。同年オフ、巨人はホセの残留を前提に検討していたが、最終的には、巨人は練習態度、クイックスローへの取り組み方などから飛躍の見込みがないと判断、同年10月28日にはホセの解雇を決定、ホセはNPBコミッショナー事務局から自由契約選手として公示された[9]。最終的な一軍通算成績は12試合に登板、先発登板9、投球回47.1、2勝3敗0セーブ、防御率5.32、完投0、被安打43、被本塁打5、自責点28、与四球23、奪三振25だった[10]二軍イースタン・リーグ)では13試合に登板、うち11試合に先発登板して4勝3敗、0セーブ、防御率2.75、0完投、投球回59.0、被安打63、被本塁打4、自責点18、与四球16、奪三振48を記録していた[10]

以降、2000年ピッツバーグ・パイレーツ2001年台湾統一ライオンズメキシカンリーグメキシコシティ・レッドデビルズ2002年アリゾナ・ダイヤモンドバックスおよび傘下のAAA級ツーソン・サイドワインダーズ、そして韓国のハンファ・イーグルス、2003年はメキシカンリーグのCafeteros de Córdobaと統一ライオンズ、2004年ニューヨーク・メッツおよび同球団傘下のAAA級ノーフォーク・タイズ、AA級ビンガムトン・ランブルポニーズでプレーした[11]。2004年、ノーフォークでは24試合に登板し、2勝1敗16セーブ、防御率1.63の好成績を残してメジャーに昇格すると、メッツでは13試合に登板して14投球回、14奪三振、防御率3.22を記録した[10]

2004年12月9日、NPBのオリックス・バファローズパシフィック・リーグ)と契約し、6年ぶりにNPBへ復帰することになった[10]。登録名はパーラ[8]。年俸は45万ドル(約5000万円)で、オプション付きの1年契約であり、当初はセットアッパーとしての起用を構想されていた[12]。入団会見では、「抑えで起用されるなら25から30セーブ、先発なら20勝を目標にまず15勝は勝ちたい」と強気な発言を見せた[8]2005年は開幕から先発を任され、合併球団になってからの初勝利投手になるなど、シーズン序盤の先発の軸となる。交流戦では古巣の巨人戦でも投げ、5月までは7試合に登板して4勝となかなかの滑り出しだったが、6月11日の対横浜ベイスターズ戦で右肘を痛め途中降板。右肘内側靭帯及び屈筋腱の損傷で全治6週間と診断され[13]、7月28日には解雇が決定[14]、8月4日に自由契約となり退団した[15]

現役引退後

2008年デトロイト・タイガース傘下ルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・タイガース英語版の投手コーチに就任し[16]2019年まで12シーズンに渡って務めた[17]。この年の冬にはドミニカ共和国のウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナ(LIDOM)のヒガンテス・デル・シバオ英語版の投手コーチを務めた[18]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1995 LAD 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 47 10.1 10 2 6 1 1 7 0 1 8 5 4.35 1.55
MIN 12 12 0 0 0 1 5 0 -- .167 292 61.2 83 11 2 0 2 29 3 0 59 52 7.59 1.70
'95計 20 12 0 0 0 1 5 0 -- .167 339 72.0 93 13 28 1 3 36 3 1 67 57 7.13 1.68
1996 27 5 0 0 0 5 5 0 -- .500 320 70.0 88 15 27 0 3 50 4 1 48 47 6.04 1.64
1998 三星 60 4 0 0 -- 7 8 19 -- .467 406 95.2 79 7 40 4 6 55 3 0 42 39 3.67 1.24
1999 巨人 12 9 0 0 0 2 3 0 -- .400 209 47.1 43 5 23 3 3 25 0 0 29 28 5.32 1.39
2000 PIT 6 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 57 11.2 17 3 7 0 1 9 0 0 9 9 6.94 2.06
2001 統一 10 0 0 0 0 0 2 0 0 .000 54 14.0 9 0 3 0 1 10 0 0 3 2 1.29 0.86
2002 ARI 16 0 0 0 0 0 1 0 3 .000 63 14.0 13 0 11 2 1 8 1 0 5 5 3.21 1.71
ハンファ 31 0 0 0 -- 3 1 4 0 .750 183 39.0 48 3 15 3 6 32 2 0 29 26 6.00 1.62
2003 統一 14 9 1 0 0 5 1 1 0 .833 278 71.2 44 1 16 1 4 54 2 0 16 12 1.51 0.84
2004 NYM 13 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 61 14.0 14 2 6 1 0 14 0 0 6 5 3.21 1.43
2005 オリックス 8 7 0 0 0 4 2 0 0 .667 137 33.0 38 2 9 0 1 20 1 0 16 15 4.09 1.42
MLB:5年 82 19 0 0 0 7 12 0 *4 .368 840 181.2 225 33 79 4 8 117 8 2 135 123 6.09 1.67
KBO:2年 91 4 0 0 -- 10 9 23 *0 .526 589 134.2 127 10 55 7 12 87 5 0 71 65 4.34 1.35
NPB:2年 20 16 0 0 0 6 5 0 0 .545 346 80.1 81 7 32 3 4 45 1 0 45 43 4.82 1.41
CPBL:2年 24 9 1 0 0 5 3 1 0 .625 332 85.2 53 1 19 1 5 64 2 0 19 14 1.47 0.84
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

年度別守備成績



投手(P)












1995 LAD 8 0 1 0 0 1.000
MIN 12 4 8 2 1 .857
'95計 20 4 9 2 1 .867
1996 27 7 7 0 2 1.000
2000 PIT 6 0 3 0 0 1.000
2002 ARI 16 1 1 0 0 1.000
2004 NYM 13 1 0 0 0 1.000
MLB 82 13 20 2 3 .943

記録

NPB

背番号

  • 56 (1995年途中 - 同年終了)
  • 45 (1995年 - 同年途中、1998年)
  • 65 (1995年途中 - 同年途中)
  • 56 (1996年)
  • 42 (1999年)
  • 60 (2000年)
  • 34 (2001年)
  • 52 (2002年 - 同年途中)
  • 19 (2002年途中 - 同年終了)
  • 27 (2003年)
  • 46 (2004年)
  • 49 (2005年)

登録名

  • ホセ (1999年)
  • 保樂 (2001年、2003年)
  • パーラ (2005年)

脚注

  1. ^ a b c 産経新聞』1998年11月10日東京朝刊運動2面「三星のパラ投手 巨人移籍合意」(産経新聞東京本社
  2. ^ a b c d 히스토리 > 삼성라이온즈21” (朝鮮語). サムスン・ライオンズ. 2025年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月17日閲覧。
  3. ^ a b 週刊ベースボール』第55巻第11号(通巻:第2281号)、ベースボール・マガジン社、1998年3月23日、100頁、「気になる隣国のベースボール 大韓民国最新プロ野球事情」NDLJP:7910097/51
  4. ^ a b c サンケイスポーツ』1998年11月9日プロ野球 阪神巨人 C版2頁「巨人が韓国・三星パラ投手獲得へ 韓国野球委に身分照会を求める ドミニカ出身で26歳の抑え右腕」(産業経済新聞社
  5. ^ a b 中日新聞』1999年1月22日朝刊運動1面29頁「ガルベス、ホセと契約 巨人」(中日新聞社
  6. ^ 週刊ベースボール』2022年1月10日号「HOT TOPIC ウッズ、グライシンガー…韓国経由の助っ人、過去に誰がいた? 活躍したのは?」(ベースボール・マガジン社
  7. ^ 『日刊スポーツ』1999年5月26日付2頁(日刊スポーツ新聞社)
  8. ^ a b c 堀まどか「オリックス・パーラ、超強気な入団会見」『日刊スポーツ大阪日刊スポーツ新聞社、2005年1月28日、大阪版。オリジナルの2008年10月13日時点におけるアーカイブ。
  9. ^ 『スポーツ報知』1999年10月29日付6頁「巨人のホセ・パラの退団決定 自由契約公示へ」(報知新聞社)
  10. ^ a b c d 新外国人選手獲得の件 (ブランボー外野手・パーラ投手)』(プレスリリース)オリックス・バファローズ、2004年12月9日。オリジナルの2004年12月11日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20041211154146/http://www.buffaloes.co.jp/info/info.asp?n=707 
  11. ^ José Parra Minor, Korean, Japanese, CPBL & Mexican Leagues Statistics” (英語). Baseball-Reference.com. Sports Reference. 2025年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月17日閲覧。
  12. ^ オリックスが韓国首位打者ら2選手獲得」『なにわWEB大阪日刊スポーツ新聞社、2004年12月10日、紙面から。オリジナルの2006年3月7日時点におけるアーカイブ。
  13. ^ 『大阪日刊スポーツ』2005年6月14日付(大阪日刊スポーツ新聞社)
  14. ^ 『日刊スポーツ』2005年7月29日「オリックス パーラを解雇」(日刊スポーツ新聞社)
  15. ^ 自由契約選手 | 2005年度公示」『NPB.jp』日本野球機構、2005年8月4日。2025年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月17日閲覧
  16. ^ mlive.com (2018年1月11日). “Longtime MLB shortstop joining Tigers as infield coordinator”. 2023年7月17日閲覧。
  17. ^ Lynn Henning (2019年9月15日). “Tigers fire six minor league coaches; future of Mud Hens’ Doug Mientkiewicz not determined”. The Detroit News. 2023年7月17日閲覧。
  18. ^ Gigantes_Cibaoの2019年11月23日のツイート、2023年7月17日閲覧。

関連項目

外部リンク




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