1983年のロードレース世界選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/16 21:20 UTC 版)
| 1983年の FIMロードレース世界選手権 | |||
| 前年: | 1982 | 翌年: | 1984 | 
1983年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第35回大会となる。
シーズン概要
1983年の500ccクラスは、ホンダのフレディ・スペンサーとヤマハのケニー・ロバーツの二人のためだけに用意されたような一年となった。全12戦で行われたこのシーズンで、両者は毎レースで激しいトップ争いを繰り広げ互いに6勝ずつを挙げた。結果的にこの二人のみで優勝を分け合う形となり、最終戦までチャンピオン争いがもつれる歴史的なシーズンとなった。
まずはスペンサーが開幕から3連勝を飾り、前半の6戦中4勝を挙げて、タイトルに向けて好スタートを切った。一方のロバーツはシーズン序盤こそ躓いたが、中盤以降は調子を取り戻しスペンサーを猛追。しかし第11戦スウェーデンGPでスペンサーが6勝目を挙げてロバーツとのポイント差を5に拡げ、最終戦サンマリノGPでロバーツが優勝したもののスペンサーは2位でフィニッシュ。この結果わずか2ポイント差でスペンサーが逃げ切り初タイトルを獲得した。この時点でスペンサーは21歳8ヶ月であり、2013年にマルク・マルケスに破られるまでロードレース世界選手権の最高峰クラスにおけるシーズン制覇の最年少記録であった。79年からWGPに復帰したホンダにとっても500ccクラスでの初タイトルであり、以後ホンダはWGPから改編された現在のMotoGPに至るまで中心的な役割を果たし続ける事となる。
また、絶対的王者として長年WGPの中心に居たロバーツがこのシーズンをもってWGPからの引退を表明。76~82年まで7年連続でメーカータイトルを獲得したスズキもワークス活動の休止を発表するなど、WGPの歴史の中でも大きな転換点となったシーズンでもあった。
250ccクラスは11戦で8人の勝者が生まれる混戦となったが、カルロス・ラバードがチャンピオン争いを制した。
125ccクラスではアンヘル・ニエトがタイトル争いを支配し続け、通算12個目のタイトルを獲得した。
翌年から80ccクラスに移行することが決まっていた50ccクラスにとって、1983年はクラス最後のシーズンであった。50ccクラス最後のチャンピオンの栄誉は、ステファン・ドルフリンガーのものとなった。
グランプリ
| Rd. | GP | サーキット | 50ccクラス優勝 | 125ccクラス優勝 | 250ccクラス優勝 | 500ccクラス優勝 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  南アフリカ | キャラミ |  ジャン=フランソワ・バルデ |  フレディ・スペンサー | ||
| 2 |  フランス | ル・マン |  ステファン・ドルフリンガー |  リカルド・トルモ |  アラン・カーター |  フレディ・スペンサー | 
| 3 |  イタリア | モンツァ |  エウジーニョ・ラッツァリーニ |  アンヘル・ニエト |  カルロス・ラバード |  フレディ・スペンサー | 
| 4 |  西ドイツ | ホッケンハイム |  ステファン・ドルフリンガー |  アンヘル・ニエト |  カルロス・ラバード |  ケニー・ロバーツ | 
| 5 |  スペイン | ハラマ |  エウジーニョ・ラッツァリーニ |  アンヘル・ニエト |  エルヴェ・ギュイ |  フレディ・スペンサー | 
| 6 |  オーストリア | ザルツブルクリンク |  アンヘル・ニエト |  マンフレッド・ヘルヴェ |  ケニー・ロバーツ | |
| 7 |  ユーゴスラビア | リエカ |  ステファン・ドルフリンガー |  ブルーノ・クノイビューラー |  カルロス・ラバード |  フレディ・スペンサー | 
| 8 |  オランダ(ダッチTT) | アッセン |  エウジーニョ・ラッツァリーニ |  アンヘル・ニエト |  カルロス・ラバード |  ケニー・ロバーツ | 
| 9 |  ベルギー | スパ |  エウジーニョ・ラッツァリーニ |  ディディエ・デ・ラディゲス |  ケニー・ロバーツ | |
| 10 |  イギリス | シルバーストン |  アンヘル・ニエト |  ジャック・ボレー |  ケニー・ロバーツ | |
| 11 |  スウェーデン | アンダーストープ |  ブルーノ・クノイビューラー |  クリスチャン・サロン |  フレディ・スペンサー | |
| 12 |  サンマリノ | イモラ |  リカルド・トルモ |  マウリツィオ・ヴィターリ |  ケニー・ロバーツ | 
最終成績
500ccクラスランキング
| 
 | 
 太字:ポールポジション | 
250ccクラスランキング
| 順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  カルロス・ラバード | 5 | ベネズエラ | ヤマハ | 100 | 4 | 
| 2 |  クリスチャン・サロン | 10 | フランス | ヤマハ | 73 | 1 | 
| 3 |  ディディエ・デ・ラディゲス | 6 | ベルギー | シュバリエ | 68 | 1 | 
| 4 |  エルヴェ・ギュイ | フランス | カワサキ | 63 | 1 | |
| 5 |  ティエリー・エスピエ | 13 | フランス | シュバリエ | 55 | 0 | 
| 6 |  マーチン・ウィマー | 4 | 西ドイツ | ヤマハ | 45 | 0 | 
| 7 |  マンフレッド・ヘルヴェ | 26 | 西ドイツ | リアル | 40 | 1 | 
| 8 |  ジャン=フランソワ・バルデ | 12 | フランス | シュバリエ | 32 | 1 | 
| 9 |  ジャック・コルヌー | 17 | スイス | ヤマハ | 32 | 0 | 
| 10 |  ジャック・ボレー | 19 | フランス | ヤマハ | 26 | 1 | 
125ccクラスランキング
| 順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  アンヘル・ニエト | 1 | スペイン | ガレリ | 102 | 6 | 
| 2 |  ブルーノ・クノイビューラー | 15 | スイス | MBA | 76 | 2 | 
| 3 |  エウジーニョ・ラッツァリーニ | 2 | イタリア | ガレリ | 67 | 1 | 
| 4 |  マウリツィオ・ヴィターリ | 13 | イタリア | MBA | 67 | 1 | 
| 5 |  リカルド・トルモ | 5 | スペイン | MBA | 52 | 1 | 
| 6 |  ハンス・ミューラー | 8 | スイス | MBA | 43 | 0 | 
| 7 |  ジョニー・ウィックストローム | 10 | フィンランド | MBA | 42 | 0 | 
| 8 |  ピエール・パオロ・ビアンキ | 4 | イタリア | Sanvenero | 40 | 0 | 
| 9 |  ファウスト・グレシーニ | イタリア | ガレリ | 37 | 0 | |
| 10 |  アウグスト・アウインガー | 6 | オーストリア | MBA | 30 | 0 | 
50ccクラスランキング
| 順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  ステファン・ドルフリンガー | 1 | スイス | クラウザー | 81 | 3 | 
| 2 |  エウジーニョ・ラッツァリーニ | 2 | イタリア | ガレリ | 69 | 3 | 
| 3 |  Claudio Lusuardi | 3 | イタリア | ヴィラ | 38 | 0 | 
| 4 |  ハンス・スパーン | 9 | オランダ | クラウザー | 34 | 0 | 
| 5 |  George Looijestyn | 13 | オランダ | クラウザー | 34 | 0 | 
| 6 |  ハーゲン・クライン | 10 | 西ドイツ | FKN | 33 | 0 | 
| 7 |  リカルド・トルモ | 4 | スペイン | ガレリ | 25 | 1 | 
| 8 |  ライナー・クンツ | 西ドイツ | FKN | 21 | 0 | |
| 9 |  ゲルハルト・バウアー | 14 | 西ドイツ | ツィグラー | 20 | 0 | 
| 10 |  Rainer Scheidhauer | 12 | 西ドイツ | クラウザー | 17 | 0 | 
| 10 |  テオ・ティメル | 7 | オランダ | ブルタコ | 17 | 0 | 
外部リンク
- 1983年のロードレース世界選手権のページへのリンク

 
                             
                    













