1985年のロードレース世界選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/09 16:11 UTC 版)
| 1985年の FIMロードレース世界選手権 | |||
| 前年: | 1984 | 翌年: | 1986 | 
1985年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第37回大会である。
シーズンの概要
前年度タイトル防衛を果たせなかったホンダのフレディ・スペンサーが500ccと250ccのダブルエントリーに挑戦し、両クラスで7勝ずつを挙げ史上初めて両クラスでのダブルタイトルを獲得するという圧倒的なパフォーマンスを発揮したシーズンであった。前年度の革新的に過ぎた84年型から一転し、オーソドックスな構成にまとめられた85年型のNSR500はスペンサーの要望を全面的に反映させた事実上の専用機となり、250ccにおいても彼に与えられたRS250RWがライバルに対して圧倒的な性能差を有していたこともあって、500ccクラスでは完走したレースの全てで2位以上を獲得、250ccでもシーズン途中で6連勝を果たすなど、まさに手の付けられないほどの強さを発揮した。現在のMotoGPにおいては、異なるクラスへのダブルエントリーが禁止されているため、レギュレーションの変更がなされない限りスペンサーが事実上最後のダブルタイトルホルダーとなっている。
一方、前年のチャンピオンであるエディ・ローソンは開幕戦こそスペンサーとの直接対決を制したが、以降はスペンサーの圧倒的な速さの前に屈し3勝をあげたもののランキング2位に終わった。その他では前年度250ccでタイトルを獲得しステップアップしてきたヤマハのクリスチャン・サロンが第3戦西ドイツGPで500cc初勝利を挙げランキング3位となり、シーズンを大いに盛り上げた。更にこの年からフル参戦を開始したオーストラリア人のワイン・ガードナーが、NSR500やYZR500に比べ戦闘力の劣る3気筒NS500でありながら5回の表彰台を獲得する健闘を見せランキング4位に入り、その後の活躍を予感させた。また、77年の350ccクラスでチャンピオンとなった片山敬済がフランスGPを最後に引退を表明した。
長年チャンピオンを独占してきたアンヘル・ニエトが80ccクラスに移ったことによりチャンピオン不在となった125ccクラスのタイトルは、彼のガレリでのチームメイトであったファウスト・グレシーニがしっかりと引継ぎ、このイタリアン・チームに4年連続のタイトルをもたらした。スイス人のステファン・ドルフリンガーは80ccクラスで連続4回目のタイトルを獲得した。アンヘル・ニエトはフランスGPの80ccクラスで彼のグランプリ最後の勝利となる通算90勝目を挙げたが、これはジャコモ・アゴスチーニに次ぐ歴代2位の記録であった(1985年当時。2009年現在ではアゴスチーニ、バレンティーノ・ロッシに次ぐ歴代3位)。
GP
| Round | GP | サーキット | 80ccクラス優勝 | 125ccクラス優勝 | 250ccクラス優勝 | 500ccクラス優勝 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  南アフリカ | キャラミ |  フレディ・スペンサー |  エディ・ローソン | ||
| 2 |  スペイン | ハラマ |  ホルヘ・マルチネス |  ピエール・パオロ・ビアンキ |  カルロス・ラバード |  フレディ・スペンサー | 
| 3 |  西ドイツ | ホッケンハイム |  ステファン・ドルフリンガー |  アウグスト・アウインガー |  マーチン・ウィマー |  クリスチャン・サロン | 
| 4 |  イタリア | ムジェロ |  ホルヘ・マルチネス |  ピエール・パオロ・ビアンキ |  フレディ・スペンサー |  フレディ・スペンサー | 
| 5 |  オーストリア | ザルツブルクリンク |  ファウスト・グレシーニ |  フレディ・スペンサー |  フレディ・スペンサー | |
| 6 |  ユーゴスラビア | リエカ |  ステファン・ドルフリンガー |  フレディ・スペンサー |  エディ・ローソン | |
| 7 |  オランダ(ダッチTT) | アッセン |  Gerd Kafka |  ピエール・パオロ・ビアンキ |  フレディ・スペンサー |  ランディ・マモラ | 
| 8 |  ベルギー | スパ・フランコルシャン |  ファウスト・グレシーニ |  フレディ・スペンサー |  フレディ・スペンサー | |
| 9 |  フランス | ル・マン |  アンヘル・ニエト |  エツィオ・ジャノーラ |  フレディ・スペンサー |  フレディ・スペンサー | 
| 10 |  イギリス | シルバーストン |  アウグスト・アウインガー |  アントン・マンク |  フレディ・スペンサー | |
| 11 |  スウェーデン | アンダーストープ |  アウグスト・アウインガー |  アントン・マンク |  フレディ・スペンサー | |
| 12 |  サンマリノ | ミサノ |  ホルヘ・マルチネス |  ファウスト・グレシーニ |  カルロス・ラバード |  エディ・ローソン | 
最終成績
500ccクラス順位
| 
 | 
 太字:ポールポジション | 
250ccクラス順位
| 順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  フレディ・スペンサー | 19 | アメリカ | ホンダ | 127 | 7 | 
| 2 |  アントン・マンク | 5 | 西ドイツ | ホンダ | 124 | 2 | 
| 3 |  カルロス・ラバード | 3 | ベネズエラ | ヤマハ | 94 | 2 | 
| 4 |  マーチン・ウィマー | 7 | 西ドイツ | ヤマハ | 69 | 1 | 
| 5 |  ファウスト・リッチ | 16 | イタリア | ホンダ | 50 | 0 | 
| 6 |  ロリス・レジアーニ | 9 | イタリア | アプリリア | 44 | 0 | 
| 7 |  アラン・カーター | 9 | イギリス | ホンダ | 32 | 0 | 
| 8 |  マンフレッド・ヘルヴェー | 2 | 西ドイツ | Real-Rotax | 31 | 0 | 
| 9 |  ラインハルト・ロス | 西ドイツ | Romer | 29 | 0 | |
| 10 |  ジャック・コルヌー | 6 | スイス | ホンダ | 25 | 0 | 
125ccクラス順位
| 順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  ファウスト・グレシーニ | 3 | イタリア | ガレリ | 109 | 3 | 
| 2 |  ピエール・パオロ・ビアンキ | イタリア | MBA | 99 | 3 | |
| 3 |  アウグスト・アウインガー | 5 | オーストリア | Monnet | 78 | 3 | 
| 4 |  エツィオ・ジャノーラ | イタリア | ガレリ | 77 | 1 | |
| 5 |  ブルーノ・クノイビューラー | 10 | スイス | LCR | 58 | 0 | 
| 6 |  ドメニコ・ブリガリア | イタリア | MBA | 45 | 0 | |
| 7 |  Jean-Claude Sellini | フランス | MBA | 36 | 0 | |
| 8 |  Jussi Hautaniemi | フィンランド | MBA | 26 | 0 | |
| 9 |  ルシオ・ピトロニーニ | ベルギー | MBA | 25 | 0 | |
| 10 |  Olivier Liegeois | ベルギー | KLS | 23 | 0 | 
80ccクラス順位
| 順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 |  ステファン・ドルフリンガー | 1 | スイス | クラウザー | 86 | 2 | 
| 2 |  ホルヘ・マルチネス | 4 | スペイン | デルビ | 67 | 3 | 
| 3 |  Gerd Kafka | オーストリア | Casal | 48 | 1 | |
| 4 |  マニュエル・エレロス | スペイン | デルビ | 45 | 0 | |
| 5 |  ゲルハルト・ワイベル | 5 | 西ドイツ | Seel | 35 | 0 | 
| 6 |  Ian McConnachie | イギリス | クラウザー | 33 | 0 | |
| 7 |  Theo Timmer | 10 | オランダ | Huvo | 21 | 0 | 
| 8 |  ヘンク・バン・ケッセル | オランダ | Huvo | 18 | 0 | |
| 9 |  アンヘル・ニエト | スペイン | デルビ | 15 | 1 | |
| 10 |  Paul Rimmelzwaan | オランダ | Casal | 15 | 0 | 
外部リンク
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