1992年のロードレース世界選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/02 04:05 UTC 版)
1992年の FIMロードレース世界選手権 |
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前年: | 1991 | 翌年: | 1993 |
1992年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第44回大会である。
シーズンの概要
この年のレースカレンダーは、アメリカ、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、オーストリアの各ラウンドが削られ、前年の全15戦から全13戦に短縮された。一方で新たに南アフリカGPが加えられ、ヨーロッパGPは引き続いて開催されている。
1992年は前年度からの懸案とされてきた500ccクラスのエントリー台数減少に歯止めをかけ、より多くのチームに参戦の門戸を拡げるため、ヤマハはヨーロッパの有力コンストラクターに対して1990年型YZR500(0WC1)のエンジン販売を開始し、同時に0WC1の車体情報を公開した。これを受けてROCやハリスといったヨーロッパのフレームビルダーが自社製のフレームにYZRのエンジンを搭載したマシンを製作、500ccクラスの活性化に貢献した。また、前年度に引き続き2年連続でポイントシステムが変更となり、それまでの上位15位までから完走上位10位までが入賞となった。その他ミシュランは前年のロスマンズ・ホンダ1チームのみへのタイヤ供給から方針を転換し、ホンダ、スズキ、ヤマハのそれぞれのワークス・チームへのタイヤ供給を再開した。
ホンダはこの年、各気筒の点火タイミングを不等間隔とした画期的なエンジン、通称「ビッグバン」エンジンをデビューさせた。これはそれまでの等間隔爆発エンジンが2ストローク500ccのピーキーで強大なパワーにより簡単にホイールスピンしてしまうのに対し、点火間隔を広くとってその間にグリップを回復してトラクションを稼ぐというものであった。その効果は絶大で、ホンダはシーズン序盤~中盤にかけて他メーカーに対し圧倒的なアドバンテージを得ることになり、他メーカーもすぐに追従することになる。ヤマハは第9戦には同仕様のエンジンをデビューさせ、スズキもシーズン中盤には実用化していた(ただし、シュワンツは最初は使おうとしなかった)。「ビッグバン」の概念は今日の4ストロークのMotoGPマシンにも受け継がれている。[1]
この年、ヤマハのウェイン・レイニーはコースの安全性向上を主催者に訴えるためのライダーの団体、International Motorcycle Racers' Association (IMRA) を立ち上げた。しかし皮肉にもこの年は多くのライダーが怪我に苦しんだシーズンであった。中でも心身共に万全の状態でシーズンを迎えたロスマンズ・ホンダのミック・ドゥーハンは、前述のビッグバンエンジンを搭載したNSR500の圧倒的な戦闘力とも相まって前半7戦中5勝を挙げこのまま初タイトル獲得は時間の問題と思われた矢先、アッセンで行われたダッチTTの予選でクラッシュして足を骨折し、一時は足の切断も検討されるほどの大きな負傷を負ってしまった。レイニー自身も1991年の最終戦に骨折した大腿骨が万全でない状態でシーズンに臨んだが、ドイツGPでの大きなクラッシュのため、続くダッチTTを欠場することになった。スズキのケビン・シュワンツも満身創痍となったシーズンであり、イタリアGPで1勝を挙げるのが精一杯であった。ワイン・ガードナーも日本GPでの足の骨折やドイツGPでのクラッシュにより前半6戦をノーポイントに終わるなど、シーズンを通し重苦しい空気が漂ったシーズンではあったが、エディ・ローソンがウエットコンディションで難しい状況となったハンガリーGPでカジバにグランプリ初勝利をもたらし、ルーキーのアレックス・クリビーレがアッセンで500ccクラス初勝利を飾るなどの明るい話題も多かった。結局、我慢のレースを重ねたレイニーが足の負傷から完全に回復できなかったドゥーハンを最終戦で逆転し、3年連続でチャンピオンを獲得した。
そしてこの年、前年度のカジバ移籍時に2年限りでの引退を公言していたローソンが宣言通り引退を表明。ガードナーもイギリスGPで今シーズン限りでの引退を表明したが、ガードナーはそのイギリスGPで見事優勝し自らの引退に花を添えた。
250ccクラスでは、ホンダのルカ・カダローラがアプリリアのロリス・レジアーニとピエール・フランチェスコ・キリの猛追を退け、2年連続のタイトルを獲得した。初参戦となったマックス・ビアッジは最終戦南アフリカGPで初勝利を飾るなど、500cc同様世代交代を確実に予感させることとなった。一方125ccクラスでは、アレッサンドロ・グラミーニがホンダのファウスト・グレシーニを破ってアプリリアに初タイトルをもたらした。
GP
ラウンド | GP | サーキット | 125ccクラス優勝 | 250ccクラス優勝 | 500ccクラス優勝 |
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1 | ![]() |
鈴鹿 | ![]() |
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2 | ![]() |
イースタン・クリーク | ![]() |
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3 | ![]() |
シャー・アラム | ![]() |
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4 | ![]() |
ヘレス | ![]() |
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5 | ![]() |
ムジェロ | ![]() |
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6 | ![]() |
カタロニア | ![]() |
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7 | ![]() |
ホッケンハイム | ![]() |
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8 | ![]() |
アッセン | ![]() |
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9 | ![]() |
ハンガロリンク | ![]() |
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10 | ![]() |
マニクール | ![]() |
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11 | ![]() |
ドニントン | ![]() |
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12 | ![]() |
インテルラゴス | ![]() |
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13 | ![]() |
キャラミ | ![]() |
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最終成績
500ccクラス順位
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太字:ポールポジション |
250ccクラス順位
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太字:ポールポジション |
125ccクラス順位
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太字:ポールポジション |
エントリーリスト
500ccクラス[2]
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250ccクラス[3]
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125ccクラス[4]
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脚注
- ^ 『Honda Motorcycle Racing Legend vol.2』八重洲出版 ISBN 978-4-86144-091-5 より
- ^ 500cc Grand Prix entry list for 1992 at Motorcycle Racing Online
- ^ 250cc Grand Prix entry list for 1992 at Motorcycle Racing Online
- ^ 125cc Grand Prix entry list for 1992 at Motorcycle Racing Online
外部リンク
- 1992年のロードレース世界選手権のページへのリンク