1996年のロードレース世界選手権
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1996年の FIMロードレース世界選手権 |
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前年: | 1995 | 翌年: | 1997 |

1996年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第48回大会である。
シーズンの概要
ホンダのミック・ドゥーハンの500ccクラス支配はまだ続いており、この年も8勝を挙げて3年連続となるタイトルを獲得した。そんな中でもドゥーハンのレプソル・ホンダチームのチームメイトであるアレックス・クリビーレは、オーストリアとチェコと2度にわたってドゥーハンを破って勝利を挙げた。また、この年カネモト・ホンダチームに移籍したルカ・カダローラも3年連続となるシーズン2勝を挙げた。その一方、ダリル・ビーティーがシーズン前のクラッシュで頭部に深刻なダメージを負ってしまい、スズキのシーズン制覇の望みは潰えてしまう。ビーティーは一度は復帰したが、スペイン、そして2レース後のフランスと立て続けにクラッシュし、事実上レーサーとしてのキャリアに終止符を打つことになった。ロリス・カピロッシは、クリビーレが最終ラップにチームメイトのドゥーハンを巻き添えにクラッシュしたオーストラリアGPで、500ccクラス初勝利を挙げた。
エルフ・チームはスイスオート社製のサイドカー用V4エンジンをROCのフレームに搭載した新型マシンをデビューさせた。このマシンは時折速さを見せたが信頼性がなく、目立った成績を残せなかった。一方、ホンダもプライベーター用にコストを抑えたVツインエンジンのNSR500Vを翌年から市販することを発表し、実戦での開発をスタートさせた。
250ccクラスではアプリリアのマックス・ビアッジが3年連続クラスチャンピオンとなり、125ccクラスでもホンダの青木治親が2年連続タイトルを獲得した。この年、500ccクラスの阿部典史、250ccクラスのオリビエ・ジャック、そして125ccクラスのバレンティーノ・ロッシがグランプリ初勝利を挙げた。
GP
ラウンド | GP | サーキット | 125ccクラス優勝 | 250ccクラス優勝 | 500ccクラス優勝 |
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1 | ![]() |
シャー・アラム | ![]() |
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2 | ![]() |
セントゥール | ![]() |
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鈴鹿 | ![]() |
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ヘレス | ![]() |
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ムジェロ | ![]() |
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ポール・リカール | ![]() |
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アッセン | ![]() |
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ニュルブルクリンク | ![]() |
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ドニントン | ![]() |
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エステルライヒリンク | ![]() |
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ブルノ | ![]() |
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12 | イモラ | イモラ | ![]() |
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カタロニア | ![]() |
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リオデジャネイロ | ![]() |
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イースタン・クリーク | ![]() |
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最終成績
500ccクラス順位
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太字:ポールポジション |
250ccクラス順位
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太字:ポールポジション |
125ccクラス順位[1]
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太字:ポールポジション |
エントリーリスト
500ccクラス
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参照
外部リンク
- 1996年のロードレース世界選手権のページへのリンク