宇井陽一とは? わかりやすく解説

宇井陽一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 01:01 UTC 版)

宇井陽一
国籍 日本
生年月日 (1972-11-27) 1972年11月27日(52歳)
千葉県香取郡多古町
レースでの経歴
ロードレース世界選手権
活動期間 1995年 - 2004年
初レース 1995年 日本GP 125cc
最終レース 2007年 日本GP 250cc
初勝利 2000年 日本GP 125cc
最終勝利 2001年 ブラジルGP 125cc
チーム ヤマハ, デルビ, ジレラ, ハリスWCM
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
133 11 22 17 9 886

宇井 陽一(うい よういち、1972年11月27日 - )は、千葉県香取郡多古町出身のモーターサイクルロードレーサー1995年全日本ロードレース選手権GP125チャンピオン。

概要

マシン開発力があり、1999年よりスペインのモーターサイクルメーカー、デルビのエースライダーを務める。2000年・2001年ロードレース世界選手権(WGP)GP125ランキング2位を獲得。同選手権で22戦連続フロントロー獲得。

世界選手権戦績:優勝11回、2位6回、3位6回、ポールポジション17回、ファステストLAP9回(2008年現在)

125ccは勿論のこと、MotoGP(2004日本GP)、250cc(2007日本GP)の全クラスでポイントを獲得した唯一の日本人である。

ゼッケンナンバーは名前にちなんだ41

略歴

少年時代よりポケバイミニバイクを経験する。

1995年、全日本ロードレース選手権GP125チャンピオンを獲得[1]。翌1996年にヤマハ・クルツよりロードレース世界選手権GP125フル参戦開始。スペインのモーターサイクルメーカーのデルビはWGP復帰に伴い、当時チームクルツに在籍したハラルド・バートルにマシン開発を依頼する。宇井のライダーとしての能力とマシン開発能力を高く評価していたバートルは、宇井と共に移籍という条件でのみ移籍すると答えたという。その結果、1999年に宇井はエースとして、バートルは開発責任者としてデルビに移籍することとなった。全くの白紙の状態からのマシン作りながら、初年度から宇井は表彰台1回を獲得し、2年目の2000年第3戦日本GP鈴鹿)でデルビの復帰後の初優勝を含む5勝でランキング2位を獲得[1]

2001年は実質的に同マシン、同チームのマニュエル・ポジアーリ(ポジアーリのマシンメーカー名はデルビと同グループのブランドのジレラである)とのチャンピオン争いとなり、宇井は6勝したがノーポイントレースも多く、3勝のポジアーリに次ぐランキング2位となる[1]。2002年もデルビより参戦。

2003年、ステルガルダ・レーシングチーム(アプリリア)に移籍。しかしシーズン中盤に解雇されてしまう。その直後のレースより実質的な古巣であるジレラより参戦する。

2004年、アブルッツォ・レーシング(アプリリア)に移籍するが、ここでもシーズン中盤に解雇されてしまう。2年連続の解雇劇は、日本のモータースポーツ人気の低さからくるスポンサー獲得の難しさと、ヨーロッパのモータースポーツ人気からくるスポンサーのヨーロッパ人志向が影響していると考えられている。シートを失った宇井にWCMよりオファーがあり、日本GP(もてぎ)にMotoGPクラスへの参戦が実現する。上位陣のリタイヤが多かったこともあり、15位入賞する。その後、残り3戦も参戦することとなった(うち1戦は予選落ち)。

2005年、全日本選手権に戻りバーニングブラッドより4ストローク600cc公道用市販車を改造したマシンによるクラスのST600に参戦。しかし、2ストロークのレース専用マシンに乗り続けてきた宇井は乗り換えに手こずり、このシーズンはノーポイントという大不振に終わった。

2006年、プロテックに移籍し全日本選手権GP250に参戦。

2007年、全日本ロードレース選手権GP250チャンピオンを獲得。

2008年、藤原儀彦のペアライダーとしてTEAM 茶LLENGERより鈴鹿8耐へ参戦。

2009年、全日本選手権のGP250とGP125のダブルエントリーを敢行。チーム名は41PLANwithSpruce/PT。 Rd.4 SUGOから立花レーシングとのコラボレーションにより仮面ライダーのサイクロン号を模したマシンカラーリングとなる。Rd.5 岡山よりチーム名を立花レーシングwithSpruce/PTへ変更。全6戦で3勝を挙げ、GP250最後のチャンピオンとなる。

2019年、千葉県成田市内において、レース参戦用の機材一式を積んだトラックが盗難される被害に遭う[2]。機材費用を含めたレース参戦にかかる費用をクラウドファンディングで調達し、1,000万円を越える資金を集めた[1]

戦績

  • 1992年 - ロードレース関東選手権S80 ランキング2位
  • 1993年 - ロードレース関東選手権125 チャンピオン
  • 1994年 - 全日本ロードレース選手権GP125 ランキング4位
  • 1995年 - 全日本ロードレース選手権GP125 チャンピオンヤマハTZ125
  • 1996年 - ロードレース世界選手権GP125 ランキング18位(ヤマハ・クルツ)
  • 1997年 - ロードレース世界選手権GP125 ランキング12位(ヤマハ・クルツ)
  • 1998年 - ロードレース世界選手権GP125 ランキング11位(ヤマハ・クルツ)
  • 1999年 - ロードレース世界選手権GP125 ランキング11位(デルビ)
  • 2000年 - ロードレース世界選手権GP125 ランキング2位(デルビ)
  • 2001年 - ロードレース世界選手権GP125 ランキング2位(デルビ)
  • 2002年 - ロードレース世界選手権GP125 ランキング13位(デルビ)
  • 2003年 - ロードレース世界選手権GP125 ランキング13位(アプリリア、ジレラ)
  • 2004年 - ロードレース世界選手権GP125 ランキング22位(アプリリア)
    • ロードレース世界選手権MotoGP ランキング28位(ハリス・WCM)
  • 2005年 - 全日本ロードレース選手権ST600 ノーポイント(バーニングブラッド)
  • 2006年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング3位 (PRO-TEC×weave/ヤマハTZ250
  • 2007年 - 全日本ロードレース選手権GP250 チャンピオン(MALOSSI/spruce&PT/ヤマハTZ250
  • 2008年 - 全日本ロードレース選手権GP250(SEV.spruce/PRO-TEC/ヤマハTZ250
  • 2009年 - 全日本ロードレース選手権GP250 チャンピオン(立花レーシングwithSpruce/PT/ヤマハTZ250
  • 2010年 - 全日本ロードレース選手権J-GP2(41PLANNING/PRO-TEC/ヤマハYZF-R6

WGPシーズン別成績

クラス マシン チーム 出走回数 勝利数 表彰台 PP FL ポイント 順位 チャンピオン
1995年 125cc ヤマハ 1 1 31位 0
1996年 125cc ヤマハ 13 1 36 18位 0
1997年 125cc ヤマハ 15 1 2 77 12位 0
1998年 125cc ヤマハ 13 1 76 11位 0
1999年 125cc デルビ 14 1 84 11位 0
2000年 125cc デルビ 16 5 10 6 3 217 2位 0
2001年 125cc デルビ 16 6 8 7 5 232 2位 0
2002年 125cc デルビ 16 1 1 65 13位
2003年 125cc ジレラ 15 1 76 13位
2004年 125cc アプリリア 9 19 22位
2004年 MotoGP ハリスWCM 3 1 28位
2006年 250cc ヤマハ 1 - -
2007年 250cc ヤマハ 1 2 27位

年別成績

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
1995年 125cc ヤマハ AUS
MAL
JPN
15
SPA
GER
ITA
NED
FRA
GBR
CZE
BRA
ARG
EUR
31位 1
1996年 125cc MAL
Ret
INA
JPN
Ret
SPA
17
ITA
18
FRA
15
NED
14
GER
Ret
GBR
10
AUT
7
CZE
Ret
IMO
Ret
CAT
6
BRA
8
AUS
18位 36
1997年 125cc MAL
Ret
JPN
Ret
SPA
22
ITA
10
AUT
7
FRA
4
NED
5
IMO
8
GER
Ret
BRA
3
GBR
Ret
CZE
10
CAT
18
INA
8
AUS
Ret
12位 77
1998年 125cc JPN
Ret
MAL
Ret
SPA
7
ITA
5
FRA
11
MAD
7
NED
12
GBR
3
GER
Ret
CZE
Ret
IMO
6
CAT
Ret
AUS
5
ARG
15
11位 76
1999年 125cc デルビ MAL
13
JPN
4
SPA
Ret
FRA
Ret
ITA
CAT
Ret
NED
6
GBR
7
GER
Ret
CZE
5
IMO
9
VAL
Re
AUS
3
RSA
7
BRA
10
ARG
11位 84
2000年 125cc RSA
Ret
MAL
2
JPN
1
SPA
21
FRA
1
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
1
GBR
1
GER
1
CZE
2
POR
Ret
VAL
3
BRA
3
PAC
Ret
AUS
2
2位 217
2001年 125cc JPN
2
RSA
1
SPA
Ret
FRA
11
ITA
18
CAT
5
NED
Ret
GBR
1
GER
19
CZE
4
POR
2
VAL
4
PAC
1
AUS
1
MAL
1
BRA
1
2位 232

脚注

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