ミス・ワールド
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優勝者出身国
2019年現在
優勝回数 | 国 |
---|---|
6 | ベネズエラ、インド |
4 | イギリス (ほか1名が1974年に辞退)、ジャマイカ |
3 | アイスランド、スウェーデン、アメリカ合衆国、南アフリカ |
2 | アルゼンチン、オーストラリア、オーストリア、オランダ、ペルー、トルコ、プエルトリコ、ロシア、中華人民共和国 |
1 | バミューダ、ブラジル、チェコ、ドミニカ共和国、エジプト、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、グレナダ、グアム、アイルランド、イスラエル、ナイジェリア、ポーランド、トリニダード・トバゴ、ジブラルタル、フィリピン、スペイン、メキシコ |
歴代の日本代表
年次は世界大会開催年を示す。一部例外を除いて、これは日本代表選出年と一致する。
当初は産業経済新聞社が日本大会を主催し、1963年まではミス・ユニバース日本代表と共に選出されていた。1965年以後は「世界のビューティ・コングレス」(後に国際文化協会と改称)が選出するようになった。
- 1956年:戸倉緑子 - 日本初参加。世界大会で第4位(2021年現在、歴代日本代表の最高順位)
- 1957年:依藤宗子 - 世界大会で第5位
- 1958年:奥瀬寿子
- 1959年:一の瀬千恵子 - 当時18歳で身長166cm、体重54kg、B89W57H92cm[11]
- 1960年:村井睿子 - 世界大会で『トップ15』
- 1961年:村上千恵- 世界大会で『トップ15』
- 1962年:池田照子 - 世界大会で第5位。国内大会準ミスの麻畠美代子は1964年、日東航空おやしお号墜落事故により21歳で殉職[12]
- 1963年:原田美弥子
- 1964年:ナカタニ ヨシコ - 当時の新聞でもカタカナで報じられており、詳細は不明である[13]
- 1965年:小口侑子 - 世界大会で『トップ16』
- 1966年:小早志春美
- 1967年:外山智香子
- 1968年:三好僚子
- 1969年:辛島恵美子
- 1970年:中村久代
- 1971年:池田恵美子
- 1972年:カジタニ アキコ
- 1973年:松永恵子
- 1974年:島周子 - 世界大会で第7位
- 1975年:藤原千春
- 1976年:朝久野典子
- 1977年:重村千鶴
- 1978年:山口裕子
- 1979年:日比野元美
- 1980年:伊藤加奈子
- 1981年:岸直実 - 世界大会で『トップ15』
- 1982年:菊地睦子(菊地恵子)
- 1983年:中原三枝
- 1984年:大曽根文子
- 1985年:杉本治子
- 1986年:杉村睦
- 1987年:海野圭子
- 1988年:崎久保和美 - 双子の姉・崎久保春美は同日同じ舞台で準ミス・インターナショナル日本代表に選出[14]
- 1989年:武藤かをり
- 1990年:岩崎朋子
- 1991年:津田純子
- 1992年:菊池薫
- 1993年:宮坂謡子(ゆうよう子)
- 1994年:須志田しのぶ - (プロ野球選手村田善則と結婚)
- 1995年:久保真理
- 1996年:藤井美由紀
- 1997年:更家しのぶ
- 1998年:望月里恵
- 1999年:三堀彩
- 2000年:菅井万里子
- 2001年:浜野由佳
- 2002年:鍋田裕子
- 2003年:西出薫
- 2004年:後藤美菜子
- (株)SMJ イネス リグロン主催のミス・ワールド日本代表
- (社)国際文化協会主催のミス・ワールド日本代表
- 2008年:久保寺瑞紀
- 2009年:佐々木えるざ - 世界大会で『トップ16』
- 2010年:松永博子
- 2011年:田中緑 - 世界大会で『トップ31』
- 2012年:五十嵐希
- 2013年:※下記の事情に因り代表派遣の取り止め
- (株)クーインターナショナル主催のミス・ワールド日本代表
- 2013年:田中道子
- 2014年:河合ひかる - モデルガールズ元メンバー、C.C.ガールズ3元メンバー、第19代(2011年度)トリンプ・イメージガール
- 2015年:中川知香 - C.C.ガールズ3メンバー、第24代(2016年度)トリンプ・イメージガール
- 2016年:吉川プリアンカ - 世界大会で『トップ20』[15]
- 2017年:山下晴加 - 世界大会で『トップ15』[16]
- 2018年:伊達佳内子 - 世界大会で『トップ30』タレント部門1位(戦国武将伊達政宗の直系21代目の末裔[17])
- 2019年:世良マリカ
- 2020年:金谷鞠杏 - ダンス&ボーカルグループ「GENIC」のメンバー。世界大会は1年延期後、中止。
- 2021年:星たまき
- 2022年:山口佳南
日本代表創設当初から2012年まで
日本代表の決定大会は、上記の通り1962年まではまではミス・インターナショナル、1963年までミス・ユニバースのそれぞれの日本代表と合同審査の形で、産業経済新聞社(サンケイ新聞)主催、その後1965年以後2012年まではミス・インターナショナル(日本代表決定大会、および世界大会)と同じ社団法人国際文化協会が主催・運営を行っていた。
2012年度にはミス・ワールド単体での日本代表決定コンクールの選出は廃止され、ミス・インターナショナル日本代表決定コンクールで準日本代表に選ばれた3人の中から1人をミス・ワールドの日本代表として改めて選ぶ方式が採用された。このため、同協会が主催や協賛するイベントではミス・インターナショナルの日本代表とともに出演する場合もあった他、日本代表決定コンクールで上位入賞者に贈られるタスキ(サッシュ)も、ミス・インターナショナルのデザインと全く同じものを使用した事例があった。
代表派遣の取り止め
しかし2013年度日本代表派遣選出は一度廃止されることが決定した。
ミス・ワールド事務局本部と国際文化協会とは1965年からミス・ワールド単体で日本代表を選出・派遣する目的で締結してきたが、今回のようにミス・インターナショナルの準ミス日本代表から選出する方式を問題視し、2012年12月21日にミス・ワールド本部から派遣契約を結ばないとの連絡があった。今後「ミス・ワールドの代表のみ選出する団体とだけ契約を結ぶ」とのことであった。
ただ、このような契約打ち切りの問題は日本だけではなく、国際文化協会が同様に契約を打ち切った日本国外の団体について調べたところ、フィリピンやメキシコなど複数の国のミス・ワールドを選出する団体も契約を打ち切られたか、打ち切りを通告されている国があり、今後も複数の大会に派遣している国・地域の団体との契約が切られる可能性があるという。このため当初2013年ミス・インターナショナル日本代表決定大会で選出された準ミス日本代表3人から改めてミス・ワールド日本代表を選出することが不可能となった[18]。
ミス・ワールド2013日本代表選出開始
団体種類 | 一般社団法人 |
---|---|
設立 | 2015年6月9日 |
所在地 |
東京都港区北青山1丁目4-1 ランジェ青山414号 |
主要人物 | 大橋一陽(代表理事) |
活動地域 | 日本 |
活動内容 | ミス・ワールド日本代表選考及び大会運営業務 |
ウェブサイト | http://missworld.jp |
その後、株式会社クーインターナショナルと、ミス・ワールド機構が2013年度以後の日本での専属ライセンスを結ぶことになり、改めて2013年度ミス・ワールド日本代表を募集することが決まり、日本代表の派遣が継続されることになった。クー社から株式会社国際美文化研究所に委託する形でミス・ワールド日本代表を選出することになり現在に至る。2015年6月9日にはミス・ワールド・ジャパンが一般社団法人化された。
- ^ “Tianjin Miss World China Pageant comes to a close”. China Daily (2009年8月28日). 2011年5月24日閲覧。
- ^ “Miss Universe on August 23”. Timesofmalta.com. 2011年5月24日閲覧。
- ^ 西野基久 (2008年12月27日). “意外に知られていない!? 世界三大ミスコンの歴史と違いを探ってみた”. 日経トレンディネット. 株式会社日経BP. 2019年5月7日閲覧。
- ^ “Frontline World: A Pageant is Born”. Pbs.org. 2011年5月24日閲覧。
- ^ “Bet on Miss World Pageant”. Covers.com. 2011年5月24日閲覧。
- ^ Tiza.com. Miss World
- ^ Should the Miss World pageant have gone ahead?
- ^ Mayor's frosty reception for Miss World
- ^ “ミス・ワールド大本命落選 中国陰謀説、ノーベル賞の腹いせ!?”. MSN産経ニュース. 産業経済新聞社. (2010年11月3日) 2015年10月20日閲覧。
- ^ “Puerto Rico's Stephanie Del Valle crowned Miss World 2016”. GMA Network (2016年12月18日). 2016年12月19日閲覧。
- ^ 『週刊サンケイ』1959年7月臨時増刊号33頁、46頁、48頁、18~19頁
- ^ 雪の朝、墜落の悲報 スチュワーデスは準ミス日本『朝日新聞』1964年2月18日夕刊7面
- ^ あでやかに"健闘"誓う『朝日新聞』1964年11月7日夕刊3面
- ^ 双子で?ミスと準ミス?美女日本代表選考の2大会『読売新聞』1988年7月17日26面
- ^ ミス・ワールド・ジャパン2016(1) 日本代表は吉川プリアンカが受賞WWSチャンネル、2016年9月15日
- ^ 『ミス・ワールド・ジャパン2017』7,150人の頂点は現役女子大生・山下晴加が日本代表決定。<全29枚>WWSチャンネル、2017年9月15日
- ^ “「ミス・ワールド2018」日本代表決定 伊達政宗の末裔・慶応大学の伊達佳内子さん”. モデルプレス. 株式会社ネットネイティブ (2018年8月28日). 2018年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月7日閲覧。
- ^ 『2013年度ミス・ワールド日本代表の世界大会への派遣中止のお知らせ』(プレスリリース)国際文化協会、2013年1月9日 。2013年2月3日閲覧。
固有名詞の分類
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