ミス・ベネズエラ
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ミス・ベネズエラ(Miss Venezuela)は毎年10月に行われるベネズエラを代表するミス・コンテスト。
概要
同大会はグルポ・シスネロスが主催して開催されている。大会は各州の予選を勝ち抜いた28名がミス・ベネズエラを目指すコンテストである。テレビ中継はベネビジョンで4時間にわたって生放送され、2時間の再編集版もユニビジョンで放送される。
基本的にはミスUSAと同様、ミス・ユニバースのベネズエラ代表選考を兼ねているが、第2位がミス・ワールド、第3位がミス・インターナショナル、第4位がミス・アースというように、主要ミスコンのベネズエラ代表としてそれぞれ派遣される。
審査は第1次審査に水着、第2次審査はドレス、そして最終審査はインタビューで最終順位が決まる。
歴代のミス・ベネズエラ(抜枠)
- 1979年:マリツァ・サヤレロ(ミス・ユニバース1979)
- 1981年:イレネ・サエス(ミス・ユニバース1981)
- 1986年:バーバラ・パラシオス(ミス・ユニバース1986)
- 1995年:アリシア・マチャド(ミス・ユニバース1996)
- 2007年:ダイアナ・メンドーサ(ミス・ユニバース2008)
- 2007年のミス・ベネズエラは優勝者決定直後に観客の男がステージに乱入するハプニングがあり、会場内は一時騒然となった。
- 2008年:ステファニア・フェルナンデス(ミス・ユニバース2009)
- 2009年:マレリサ・ギブソン
- 2010年:ヴァネッサ・ゴンサルベス
- 2011年:イレーネ・エッサー
- 2012年:マリア・ガブリエラ・イスラー(ミス・ユニバース2013)
外部リンク
ミス・ベネズエラ
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「マリツァ・サヤレロ」の記事における「ミス・ベネズエラ」の解説
最終結果は次の通り。 Miss Venezuela 1979 - Maritza Sayalero ファイナリスト第1位 - Tatiana Capote(タチアナ・カポーテ) ファイナリスト第2位 - María Fernanda Ramírez(失格) ファイナリスト第3位 - Nina Kors ファイナリスト第4位 - Nilza Moronta ファイナリスト第5位 - Nidya Centeno 最終結果が発表されたとき、María Fernanda Ramírezは受け入れることができず、ファイナリスト第2位のサッシュ(たすき状の布)を引き裂いた。その場で失格。ミス・インターナショナルの参加資格も失う。彼女の家族は審査員に詰め寄り、Antoinette Nuñezは叩かれ、Luis Toefilo Nuñezは顔に傷を負った。 タチアナ・カポーテはミス・ワールド1979に参加するが、予選水着審査の最中におっぱいが露出してしまう。決勝の前日、Tatianaは失格を言い渡される。彼女の胸の一部を、意図的に不適切に露出させたという理由で。これはベネズエラ代表が国際的なミスコンで失格になった唯一の例であると言われている。
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