ミス・ワールド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 10:18 UTC 版)
設立 | 1951年 |
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種類 | ミス・コンテスト |
本部 | ロンドン |
所在地 | |
公用語 | 英語 |
会長 | ジュリア・モーリー |
重要人物 | エリック・モーリー |
ウェブサイト |
www |
映像外部リンク | |
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on Miss World Official YouTube Channel(英語) | |
Miss World 2014 - Full Show HD - YouTube |
歴史
1951年、ビンゴ・ホールの経営者であったエリック・モーリーが「Festival Bikini Contest」という名のイベントを企画した。これは、そのころ広まりつつあったビキニを着た女性の美人コンテストであり、イギリスのみならず各国から参加者を集めたもので、スウェーデンから来たキキ・ホーカンソンが優勝した。このイベントを新聞などが好奇心たっぷりに「ミス・ワールド」の名で報じたのが、この名の誕生の由来である。モーリーは、一度限り・単発のイベントとしてビキニコンテストを開催したが、この影響で翌年からミス・ユニバースが始まったほか、後年のミス・インターナショナル、ミス・アースといった世界規模のミスコンが行われるようになった。
ミス・ユニバースの開催に刺激され、モーリーは世界で一番の美女を探そうという「ミス・ワールド」を毎年開催することに決めた[4][5]。第2回のミス・ワールドは、ビキニに替えてより刺激の少ない水着コンテストが行われた。1959年から、BBCがコンテストの模様を放送するようになり、テレビの普及とともにミス・ワールドも人気イベントとなっていった。
1980年代には「目的のある美」をスローガンとして単なる美人コンテストからの脱却を図ろうとし、美貌のほかに知性や個性も選考基準に加えるように基準を改めた[6]。1990年代に入りテレビ中継される国はほぼ全世界におよび視聴者は20億人に達したが、一方で発祥の地イギリスでは古いタイプの見世物であり政治的に正しくないとの批判を浴びるようになり、1998年にFiveが放送を再開するまでイギリスでは1988年からの10年間放送されないという事態になった[7][8]。
2000年に創設者エリックが死去して以降、現在のミス・ワールド機構会長はエリックの妻ジュリア・モーリーである。ジュリアの指揮した2001年大会はナイジェリア人が優勝し初のアフリカからのミス・ワールドが誕生したほか、コンテストの裏側の候補者の素顔や浜辺での水着シーンの放送、視聴者が電話やネットで投票に参加するなどリアリティ番組の要素が導入された。
コンテストは1990年代以降、ロンドンを離れて世界各地のリゾート地を中心に開催されている。2003年から2005年までの決勝誘致に成功した中国・海南省の三亜など、リゾート地ではミス・ワールド決勝を誘致する動きが盛んだが、一方で宗教や地元の慣習との軋轢も起こっている(中国開催の問題点については後述)。1996年バンガロール大会では現地のヒンドゥー教関係者や一般市民から開催反対運動を起こされた。また2002年大会ではナイジェリアの首都アブジャで開催される予定だったが、北部ナイジェリア出身のナイジェリア代表が地元ムスリム指導者から姦淫の罪で石打ちの刑にすると脅される事態となり、これを受けヨーロッパを中心に各国代表が辞退したり各国政府がナイジェリア代表の救済のために動いた結果、決勝開催地はロンドンに移された。2015年大会からは水着審査が廃止された。
現在、世界大会は200カ国以上で中継されている。
中国の圧力
2010年の第60回大会では、開催地である中国側から選考委員に「ミス・ノルウェーは低い点に抑えるよう」露骨な圧力がかけられたと、デーリー・ニューズ紙が報じて話題になった。 ミス・ノルウェーは、数日前に選考委員会から「トップ・モデル賞」を獲得し、今大会の本命だったとされていたが、5位にも入らなかった事が憶測を広げる要因となった。また、ノルウェー・ノーベル委員会が、中国の民主活動家の劉暁波にノーベル平和賞を与え、中国との関係が悪化していた。[9]
また2015年の65回大会でも、法輪功を支持するカナダ代表のアナスタシア・リンが中国のビザ発給を拒否され、香港に足止め。結局帰国させられることとなった。
- ^ “Tianjin Miss World China Pageant comes to a close”. China Daily (2009年8月28日). 2011年5月24日閲覧。
- ^ “Miss Universe on August 23”. Timesofmalta.com. 2011年5月24日閲覧。
- ^ 西野基久 (2008年12月27日). “意外に知られていない!? 世界三大ミスコンの歴史と違いを探ってみた”. 日経トレンディネット. 株式会社日経BP. 2019年5月7日閲覧。
- ^ “Frontline World: A Pageant is Born”. Pbs.org. 2011年5月24日閲覧。
- ^ “Bet on Miss World Pageant”. Covers.com. 2011年5月24日閲覧。
- ^ Tiza.com. Miss World
- ^ Should the Miss World pageant have gone ahead?
- ^ Mayor's frosty reception for Miss World
- ^ “ミス・ワールド大本命落選 中国陰謀説、ノーベル賞の腹いせ!?”. MSN産経ニュース. 産業経済新聞社. (2010年11月3日) 2015年10月20日閲覧。
- ^ “Puerto Rico's Stephanie Del Valle crowned Miss World 2016”. GMA Network (2016年12月18日). 2016年12月19日閲覧。
- ^ 『週刊サンケイ』1959年7月臨時増刊号33頁、46頁、48頁、18~19頁
- ^ 雪の朝、墜落の悲報 スチュワーデスは準ミス日本『朝日新聞』1964年2月18日夕刊7面
- ^ あでやかに"健闘"誓う『朝日新聞』1964年11月7日夕刊3面
- ^ 双子で?ミスと準ミス?美女日本代表選考の2大会『読売新聞』1988年7月17日26面
- ^ ミス・ワールド・ジャパン2016(1) 日本代表は吉川プリアンカが受賞WWSチャンネル、2016年9月15日
- ^ 『ミス・ワールド・ジャパン2017』7,150人の頂点は現役女子大生・山下晴加が日本代表決定。<全29枚>WWSチャンネル、2017年9月15日
- ^ “「ミス・ワールド2018」日本代表決定 伊達政宗の末裔・慶応大学の伊達佳内子さん”. モデルプレス. 株式会社ネットネイティブ (2018年8月28日). 2018年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月7日閲覧。
- ^ 『2013年度ミス・ワールド日本代表の世界大会への派遣中止のお知らせ』(プレスリリース)国際文化協会、2013年1月9日 。2013年2月3日閲覧。
- 1 ミス・ワールドとは
- 2 ミス・ワールドの概要
- 3 ミス・ワールド機構
- 4 優勝者出身国
- 5 関連項目
固有名詞の分類
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