ネパール 歴史

ネパール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 07:47 UTC 版)

歴史

リッチャヴィ朝以前

  • ネパールの中心、カトマンズ盆地には旧石器時代から人が住んでいたことが明らかになっている。ドゥマカールの遺跡で発見された木具を放射性同位元素で測定した結果、紀元前2万7400年ごろのものと推定された。また、タライなど旧インド文化圏の各地でも旧石器時代の遺物が発見されている[14]
  • 伝説では、カトマンズ盆地は太古の昔湖だった。スワヤンブー寺院を参詣しに来たマンジュシュリ(文殊菩薩)が湖を囲む山を剣で切り開き、湖水を流しだし人が住めるようにしたという[15]
  • また、「ネ(ne)」という名の牟尼(聖者)が、最初にこの地を「統治(pal)」 したので、「ネパール(Nepal)」の名が付けられたという伝説もある[16]。その他、ネパールの起源に関する伝説は数多く存在する。
  • ネパールの古い歴史については「バンシャバリ」といわれる王朝王統譜が5種類伝えられ、「ゴーパーラ王朝」「マヒシャパーラー王朝」「キラータ王朝英語版」があったとされるが、信憑性は低い[17]
仏陀生誕の地と言われるルンビニ

リッチャヴィ朝時代

4世紀インド・アーリヤ語派の王族によるネーパーラ王国リッチャヴィ朝が成立した[18]。リッチャヴィ朝は5世紀後半から6世紀にかけてカトマンズにマーナ宮を造営し、政治・行政機能を設けた[18]。また7世紀初頭にはカイラーサ・クーラ宮、中葉にはバドラ・アディヴァーサ王宮を造営[† 1][18]。またパンチャーヤト制やグティの原型となる住民組織を保護・育成し、また商業を奨励し都市経営の基盤を固めるなどした[18]。チベットと文化的、経済的、政治的の密接な交流があり、宗教・商業上の中心地として繁栄した。

中世

リッチャヴィ朝の衰退に乗じて9世紀にはデーヴァ朝が興り、バクタブルに王都を築いた[19]ネワール文化が栄えた。続いて14世紀末にはマッラ朝が確立されたが、1450年ごろにバクタプル王国(バクタプル・マッラ朝)からカトマンズ王国(カトマンズ・マッラ朝)が独立する[19]。その後1619年までにマッラ朝、パタン王国(パタン・マッラ朝)もカトマンズ王国から独立し、三王国並立時代となる[19]

ゴルカ朝前期

プリトビ・ナラヤン・シャハ

マッラ王朝は内紛・抗争で力を失い、18世紀前半にはカトマンズ西方の山地で[20]ゴルカ王国ゴルカ朝)が勢力を拡大する。そして1768年から1769年にかけて、第10代ゴルカ王プリトビ・ナラヤン・シャハによってマッラ王朝は滅ぼされる。そして350の小王国に分かれていたネパールが統一され、ゴルカ朝はカトマンズを首都にネパール王国を作った[20]

  • 1790年 - 1791年 - 清・ネパール戦争
  • 1814年 - 1816年 - ネパール・イギリス戦争(グルカ戦争
    • イギリス東インド会社との戦争の結果、善戦したが敗北。スガウリ講和条約により、西はマハカリ河以西、東はメチ河以東、および全タライ地方を放棄する代わりに、イギリスから毎年20万ルピーの支払いを受けることになった。(ただし、講和条約締結の9か月後にはイギリスは20万ルピーの支払いをやめて、タライの大部分をネパールに返還し、ほぼ現在の国境ラインに落ち着いた)このほか条約にネパール兵がイギリス軍傭兵に志願できるという条項を加えた。イギリスはネパールのことをグルカ(Gurkha=ゴルカ)と呼んでいたので、ネパール人傭兵はグルカ兵(ゴルカ兵)と呼ばれるようになった。これが現在まで続き、ネパールは英印両国に毎年グルカ兵を提供している。

ラナ家支配時代

ジャンガ・バハドゥル・ラナ
丘の上に建つ旧王宮

王政復古

民主化時代

ギャネンドラ国王
  • 2001年6月1日 - ネパール王族殺害事件によりビレンドラ国王らが殺害され、ギャネンドラ国王が王位につく。
    • ギャネンドラ国王は議会を停止。以後、国王・議会・マオイストによる混乱状態。
      実質的には武力のない議会に力はなく国軍を掌握する国王派とマオイストによる内戦が続き、政府支配地域とマオイスト支配地域に分かれる。
      アメリカが国王を支援。武器を供給するなどしたが、武装した農民がマオイストに合流するなど混乱に拍車をかける結果に。
  • 2002年10月4日、ギャネンドラ国王はクーデターによりネパール会議派のデウバ内閣を停止、国王の親政を行う。11日、王党派のチャンダを首相に任命。
  • 2004年6月 - 国民の声に圧されて国王は再びデウバを首相に任命。
  • 2005年
  • 2006年
  • 2007年
    • 1月15日 - 下院、暫定憲法発布。その後、下院は解散。
    • 1月23日 - 国連安保理国連ネパール支援団(UNMIN)を設立する安保理決議1740を全会一致で採択。国軍と人民解放軍の停戦を監視。
    • 2月 - ネパール南東部では暫定憲法に反対し地位向上を訴えるマデシ(インド系少数民族)の抗議行動が続き、地元警察との衝突により少なくとも21人が死亡。
    • 12月27日 - 暫定議会、ネパールの政体が連邦民主共和制になる旨の暫定憲法改正案を承認。
  • 2008年
    • 4月10日 - 制憲議会選挙の投票が実施され、毛沢東派が第1党となったが過半数は獲得できず。
    • 5月28日 - ネパール制憲議会が招集され、新たな政体を連邦民主共和制と宣言して正式に王制が廃止された[21]。ギャネンドラ国王は退位し、ここにネパール王国(ゴルカ朝)は終焉を迎えた。

王制廃止以降

  • 2008年
  • 2009年
  • 2010年
    • 6月30日 - マーダブ・クマール・ネパールが辞任を表明。しかし、後継首相を選ぶための制憲議会の首班指名選挙で誰一人過半数を獲得出来ず、同年9月まで8回の選挙が繰り返し行われた。
    • 12月11日 - 元国王・ギャネンドラの長男の元皇太子・パラスが泥酔、副首相・スジャータ・コイララ英語版の娘メラニー・コイララ・ジョスト英語版の婿と口論した末に発砲した容疑で逮捕されたが、三日後の裁判前に双方から発砲は無かったという発表があり釈放された。政治の混乱が続き王制復活への期待が出始めた矢先の出来事であった[22]
  • 2011年
    • 1月3日 - マーダブ・ネパールの引退表明から後任が決まっていなかった首相職にジャラ・ナート・カナールが指名されたが、混迷を収拾できず同年8月14日に辞表を提出した。
    • 8月29日 - ネパール共産党統一毛沢東主義派バーブラーム・バッタライが首相職に指名され、プラチャンダ内閣内閣以来2年ぶりに統一毛派政権となった。
    • 11月1日 - ネパールの主要政党が歴史的な和平プロセスに合意したと、統一毛派のスポークスマンDinanath Sharmaが発表した。[23]
    • 12月2日 - 統一毛派内部で主流派のプラチャンダと強硬派のキランの間で、マオイスト軍戦闘員の内何人を国軍であるネパール軍に統合するか合意し、2,500人の更なる上積みを要求したところ、議会がこれを拒否し、Krishna Sitaula事務局長が「人数を増やして合意することは不可能だ。12月15日までの合意を不可能にするものである。」と指摘した。また、この動きで主流派内での権力争いはバッタライからプラチャンダに戻ったと観測されている。[24]
    • 12月16日 - 合意が任期内に出来ず、議会の会期延長が決定し、6ヶ月後の2012年5月13日までに全ての手続きを完了することになった。[25]
  • 2012年5月- 合意が任期内に出来ず、制憲議会の任期満了。バッタライ首相は11月に選挙を行うとしていたが、政党間の調整がつかず失敗[26]
  • 2013年
    • 2月11日 - 主要政党が5月29日までに制憲議会選挙を行うことで合意[26]
    • 3月14日 - 制憲議会再選挙実施のための選挙管理内閣発足。「内閣の議長」は最高裁長官であったキル・ラージ・レグミ[27][28]
    • 7月6日 - 選挙管理内閣、制憲議会選挙を11月19日に行うと閣議決定[29]
    • 11月19日 - 制憲議会選挙。ネパール会議派が第一党になり、毛派は大敗。毛派は不正選挙であると主張している[30]
  • 2014年
  • 2015年
  • 2017年
    • 2017年5,6,9月 - 地方選挙を3回に分けて実施
    • 2017年11,12月 ‐ 州・連邦下院議会選挙実施 
    • 2018年3月 - オリ(UML党首)政権発足

注釈

  1. ^ これらの王宮は現在のカトマンズにあったと推測されているが、詳しい位置はわかっていない。
  2. ^ a b c d ネパールのカーストの一つ
  3. ^ 現代ネパール語でのविक्रमの発音はビクラムだが、学術的にはサンスクリット語読みでヴィクラマ暦と書かれることもある。ネパールに関する項では原音主義に基づきビクラム暦とする。

出典

  1. ^ a b UNdata”. 国連. 2021年10月31日閲覧。
  2. ^ a b c d World Economic Outlook Database, October 2020” (英語). IMF (2020年10月). 2021年1月27日閲覧。
  3. ^ Nepal”. Worldstatemen.org. 2021年1月27日閲覧。
  4. ^ ネパール「7州連邦制」新憲法を承認・公布へ 大地震で非難受け加速も州区割りに火種 - 産経ニュース 2015.9.17 20:08
  5. ^ a b ネパールで新憲法公布 州連邦制、7年かけ制定 - 日本経済新聞 2015/9/21 1:16
  6. ^ ネパール基礎データ”. 外務省 (2022年3月9日). 2022年3月9日閲覧。
  7. ^ a b The United Nations Terminology Database/Nepal”. 国際連合. 2021年1月27日閲覧。
  8. ^ अब नेपाल के नाम पर ही खड़ा हो गया झगड़ा, जानिए क्या है पूरा विवाद”. livehindustan.com (2020年12月9日). 2021年1月23日閲覧。
  9. ^ It is Federal Democratic Republic Nepal, not just Nepal, parliamentary committee says”. カトマンズ・ポスト (2020年11月9日). 2021年1月23日閲覧。
  10. ^ Supreme Court asks written response from government on decision not to write Federal Democratic Republic Nepal”. カトマンズ・ポスト (2020年12月4日). 2021年1月23日閲覧。
  11. ^ Govt decision to use ‘Nepal’ as the country’s official name, instead of ‘Federal Democratic Republic of Nepal’ is okay: Constitutional experts”. myrepublica (2020年11月6日). 2021年1月27日閲覧。
  12. ^ Nepal”. 中央情報局 (2021年1月19日). 2021年1月23日閲覧。
  13. ^ ISO 3166:NP”. 国際標準化機構 (2021年1月20日). 2021年1月23日閲覧。
  14. ^ 佐伯(2003):21
  15. ^ 佐伯(2003):28
  16. ^ 佐伯(2003):42
  17. ^ 佐伯(2003):39-55
  18. ^ a b c d エリア・スタディーズ(2000):33
  19. ^ a b c エリア・スタディーズ(2000):34
  20. ^ a b エリア・スタディーズ(2000):35
  21. ^ ネパール、王制を廃止 共和制を宣言”. AFPBB News (2008年5月29日). 2018年1月7日閲覧。
  22. ^ 王制復活へ期待の矢先、ネパール元皇太子が発砲[リンク切れ]
  23. ^ http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/nepal/8864647/Nepal-Maoists-hail-historic-deal-as-path-to-peace.html
  24. ^ http://www.dnaindia.com/india/report_nepal-peace-process-in-for-trouble-as-maoists-ask-for-more_1620429
  25. ^ http://www.nepalnews.com/home/index.php/news/1/14893-ca-set-to-get-final-extension-of-six-months-taskforce-decides-to-go-with-govt-proposal.html
  26. ^ a b 「5月29日までに制憲議会選 ネパール主要政党が合意」 -MSN産経ニュース2013.2.12 00:01配信
  27. ^ ネパール選挙管理内閣議長に最高裁長官 -MSN産経ニュース2013.3.14 19:51配信
  28. ^ レグミ最高裁長官,暫定選挙管理内閣「議長」就任- ネパール評論 2013年03月14日記事
  29. ^ 制憲議会選挙11月19日へ、ボイコットの表明も - 日本ネパール協会 2013年7月6日 記事
  30. ^ 制憲議会招集へ=政党対立が収束-ネパール
  31. ^ a b ネパールで初の女性大統領、バンダリ氏…儀礼的な職に限られ - 産経ニュース 2015.10.28 23:22
  32. ^ Nepal top court quashes 2018 formation of ruling Nepal Communist Party”. Indian Express (2021年3月8日). 2021年5月1日閲覧。
  33. ^ 親インド住民「圧迫だ」…ネパール、新憲法交付で対印関係悪化 中国台頭や地方議会選にらむ”. 産経新聞. 2020年7月4日閲覧。
  34. ^ ネパール新地図にインドとの係争地域、領土問題激化必至”. AFP. 2020年7月4日閲覧。
  35. ^ ネパールが相次ぎ「反インド政策」、領土に続き帰化法制強化へ”. 日経新聞. 2020年7月4日閲覧。
  36. ^ 日本経済新聞7月3日8面「反インド政策」ネパールで拍車
  37. ^ Nepalnews.com 2009年6月4日付け[リンク切れ]
  38. ^ ネパール:中国の圧力強化で脅かされるチベット人”. ヒューマン・ライツ・ウォッチ (2014年4月1日). 2014年8月11日閲覧。
  39. ^ Reuters Aug.19 2008
  40. ^ 外務省:高村外務大臣とプラダン・ネパール外務大臣の会談について
  41. ^ 共同通信2008年6月18日 16:20
  42. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/seimu/uno/nepal_08/gaiyo.html
  43. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/21/2/1187504_1092.html
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  47. ^ ネパール”. CIA. 2020年9月3日閲覧。
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  52. ^ a b ウィリアムス春美『ぶらりあるき 天空のネパール』芙蓉書房出版 2012年6月15日
  53. ^ なぜ急増「街中のインド料理店」見えてきたものは(NHK、2018年)
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  56. ^ ネパール基礎データ | 外務省”. 外務省. 2018年11月27日閲覧。
  57. ^ ネパール 危険・スポット・広域情報”. 外務省. 2022年5月14日閲覧。
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  61. ^ नेपालमा प्रचलित संवत् र व्यावहरिक प्रयोग।मेरो नेपाल अनलाईन なお英語版では1903年としている。
  62. ^ グルプラサッド・マイナリ『ナソ・忘れ形見』 野津治仁訳、穂高書店、1992年、210頁下段。
  63. ^ 佐伯(2003):212-213
  64. ^ a b c d e Cricket Association of Nepal 国際クリケット評議会 2023年9月28日閲覧。
  65. ^ THE MOST POPULAR SPORT IN EVERY COUNTRY AAA STATE OF PLAY 2023年9月28日閲覧。
  66. ^ Cricket Association of Nepal 国際クリケット評議会 2023年9月19日






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